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2014年10月22日水曜日

SHRINEBUILDER 「Shrinebuilder」


リッケンバッカーを抱えて習わぬ経を詠む男:アル・シスネロス(SLEEPOM)と、不撓不屈のドゥームメタルアイコン:スコット〝ワイノ〟ヴァインリッヒ(THE OBSESSEDSAINT VITUS)を中心に、NEUROSISの濁声咆哮担当:スコット・ケリー、意外と便利屋なヴェテラン太鼓叩き:デイル・クローヴァー(THE MELVINS)とまあ、その筋の強者が雁首を揃えたスーパーバンドによる2009年作。
レーベルはNEUROSISのトコ厨二魂擽るイカしたアートワークはNEUROSIS(後にギターで参加のRED SPAROWES共々脱退)のヴィジュアル担当:ジョシュ・グレアム。音響技師はトシ・カサイ

いずれも強烈な個性を放つ、ひとかどの者どもを集めたアルバムにしては非常に整っている、というのが第一印象。誤解を生みそうな表現だが、あえて。
ではどうやってこのどいつもこいつもエゴの強そうな連中を束ねて、一枚のアルバムに整えられたのか? 正直なところ、ワイノはこの面子の中で浮いてはいまいか?
キーワードは〝調和〟。

ジャケをご覧の通り、基本は呪術的でそこはかとなく暗く、ずるっとミッドテンポを堅持するヘヴィ音楽。その一方で、OMやNEUROSIS、THE MELVINSで聴かれるようなインプロを発展させたような酩酊パートも各曲ごとに用意されている。ゆえに曲は概ね七・八分と長め。また、ワイノ、ケリー、シスネロスの三声体制(蛇足ながらクローヴァーもメインヴォーカルを執れる人)だが、ヴォーカル主導の作品ではない。
こんな、面子からして容易に察せられる音世界。
そこへ、更に分かりやすく各メンバーの個性が意図的に反映されているところがキモ。
例えばワイノらしい朗々とした歌声に加えて、彼が掻き鳴らす明快なドゥームメタルリフとか。ケリーのあの喉を酷使しているとしか思えない濁った怒鳴り声とか。シスネロスがOMで流す読経ヴォーカルに、まろやかなベースラインとか。あと明らかに彼が部分的に持ち込んだ、密教ちっくな音世界とか。クローヴァーらしいタンタンと響くスネアの音とか(彼加入前に叩いていた元SLEEP、OMのクリス・ハキアスっぽいオフロードなビート感も、クローヴァーのプレイで再現されている)。
これらファンならピンと来る、個性派ならではの特徴をあえてパーツとして捉え、楽曲の雰囲気に添って当てはめる――こうすることでアルバムに調和が齎され、スーパーバンドの威厳も保たれるという寸法だ。

ここで意地悪く穿った見方をすれば『スリリングさに欠ける』のかも知れない。もっと個性と個性が激突する、ひりひりした作品が聴きたい方も居るかも知れない。
だがそんなこと、それぞれのメインバンドで演れば良いことだろう、と。
筆者からすれば、各曲に籠められた酩酊パートの心地良さで巧くカヴァー出来ているので何ら問題ない、と。あと、超個性ならではの〝音色〟が大ネタフレーズとして楽しめてにやにや出来る、とも。
この老練したメンバーによる理詰め感、ハードコアというよりもポストロックに近い――と強引な極論を吐き、このブログらしく締めさせていただこうか。

なおこのスーパーバンド、ワイノ曰く『シスネロスがイカレちまったので、今後何も起こらないと思うよ』とのこと。
ヘヴィ音楽から離れてダブに傾倒するシスネロスへの皮肉かと思われる。

M-01 Solar Benediction
M-02 Pyramid Of The Moon
M-03 Blind For All To See
M-04 The Architect
M-05 Science Of Anger


2014年8月22日金曜日

NEUROSIS 「A Sun That Never Sets」


この道、もうすぐ三十年! カリフォルニアはオークランドの悪夢、2001年発表の七枚目。ペンシルヴァニアの地下音楽専門レーベル:Relapse Recordsより。
ジャケはシンメトリーの鬼:セルドン・ハント

基本線は重く暗い、バンド名が体を表す音世界。特級の鬱音楽である。
前作同様のアルビニ録音(スタジオも例の場所)らしさ溢れる、バカデカい音でボトムを支えしジェイソン・ローダーのドラム。ヘヴィ系にありがちなサウンドに埋没する縁の下の力持ち的存在とは一線を画す、くっきりとしたフレーズワークのベース:デイヴ・エドワードソン。この種のバンドにしては珍しい専任キーボード奏者として、サンプラーを駆使しつつバンドの裏で鳴りし効果的な音を一手に引き受けるノア・ランディス。それらを盾に、ソロ同様アコギを能くする底抜けに暗い歌声のスティーヴ・ヴォン・ティルと、喉を酷使した濁声を張り上げるスコット・ケリーの両ヴォーカル兼任ギターを立てた創りとなっている。
そこへ三枚目から非常勤ヴァイオリン/ヴィオラ弾きとして、バンドの退廃美を演出する色白ぽちゃメガネっクリス・フォースが必要に応じて音を重ねる、と。
暗く重く激しいだけではなく、音の鳴りを注視し、ジャンルの垣根を取り払う実験性も重視した理知的な作風だ。

そんな三枚目で確立した音楽性を毎盤アップデートしながら保守し続けている彼ら、今回は徹底して駆けない。元ハードコアパンク上がりならではの外連味ないファストナンバーは封印したものの、テンポが速めの曲はアルバム毎に演ってきた。
だが今回は徹底して低速。どろっと、ずるりと重々しく、遅い。まるで呪詛である。
ゆえにM-02を始めとする、静かに始まって、タメにタメて後半でバンド一丸となり音塊を爆発させる曲展開が彼ら史上最大の(負の)高揚感を発揮することとなる。
それにより、既に暗黒音楽の重鎮として君臨する彼らが、箔というか更なる名状し難き凄みとやらを付与出来た。
これはもう、彼らにとって一大到達点かと。
そのくらい実の伴った緊張感と、押し殺した迫力に戦慄する。
作風からして長尺になりがちなのだが、組曲としても聴ける13分にも亘る漢哭きの大曲:M-05の堂々たる創りからして王者の風格を醸し出している。しかもコレでアルバムを締めて『ねっ!? 俺たちって凄いでしょ?』といちびるのではなく、あえてアルバムの真ん中に配し、続くM-06では常に得意にしてきたトライバルな反復ビートの曲をインタールードのように用いて後続の喚起力を高める、大正義な進行も素晴らしい。

ファンによって傑作が変わる奥深きバンドだが、筆者としては揺るぎなきNEUROSISらしさが具現されたコレが頂点。
ずるずるどろどろ音楽は冗長で単調、なんて批判は浅はかだと本作で知るべきだ。

M-01 Erode
M-02 The Tide
M-03 From The Hill
M-04 A Sun That Never Sets
M-05 Falling Unknown
M-06 From Where Its Roots Run
M-07 Crawl Back In
M-08 Watchfire
M-09 Resound
M-10 Stones From The Sky
M-11 Dissonance (Bonus Track For Japan)

日本盤のみボートラ1曲追加。M-01のロングヴァージョンっぽいので、アルバムをリピートして聴くとループ感が味わえて吉。
それよりも、本作の全曲を映像化した(のと、別働隊がある部屋にて本作を大音量で鳴らしたモノを録音して、その録ったモノをまた同じように鳴らして、それを録音して……を最終的に三十回繰り返した)ブツがあるんだとよ。おお怖っ。


2014年6月30日月曜日

FROM FICTION 「Bloodwork」


カナダはトロント出身の四人組、唯一のアルバム。2006年作。
録音技師はかのスティーヴ・アルビニ。無論、シカゴにある彼所有のElectrical Audioにてレコーディングされた。

音世界は刺々しいマスロック。かなり荒っぽい上に、嫌みのない程度に複雑な展開を志向しているので、マスコア扱いを受けて然るべき存在かと思う。(蛇足ながら両者はルーツからして似て非なるジャンルなので、混同しないよう注意されたし)
自由闊達なインストM-02以外は、投げやりなんだかヤケクソなんだか分からないヴォーカル入り。左右から違う音のギターが聴こえるので、おそらく兼任だろう。また、M-06の静かな出だしで併せているたぶんリラグロッケン(鼓笛隊でよく見る、歩きながら鳴らせる鉄琴)以外、すべてギター二本+ベース+ドラムで音を賄っている。

さて、そんな彼らの軸はざらついた金属質な鳴りの二本のギターワークなんだろうが、そこはアルビニレコーディング。真中中央に配置されたドデカイ音のドラムが幅を利かせまくる。頻繁にリズムチェンジするのに、この手の音楽性にしては鋭い突起物でざっくざく刺しまくる切れ味鋭いテクニシャンタイプではなく、鈍器でがっつがつ殴りまくる漢臭いビートを身上としているのも面白い。
小声で言わせてもらうがこのドラマー、ごく稀にモタったりしているのだが、おそらく生々しい音を録ることに血道を上げているアルビニが黙殺したものと思われる。なおこのドラマーの名誉のために付け加えると、良いタイム感を有する手練れだと上から目線で筆者は評価している。
ただこの類のバンド、門外漢には『曲展開が複雑で意味分かんない』と敬遠され、好事家には『どのバンドも似通ってて個性出しづらいよね』としたり顔されがち。だが彼らは曲展開に変態ちっくなあざとさがなく、むしろ流麗ですらある一方、アルビニに背中を押してもらった持ち前の馬力も相俟ってスリリングかつ喚起力のある演奏が存分に味わえる。オリジナリティがあるとは言わないが、良いバランス感覚を有していると思う。
でもまあそのゥ……ヴォーカルが演奏に埋もれていて弱いと言えば弱いのかも知れないが、がなりまくって吼えまくって何を歌ってるのか分からないタイプではないので、へヴィミュージック耐性のない聴き手を取り込みやすいのでは。

ただし、残念ながら彼らは本作を発表する前年、既に解散してしまっていたらしい。
今回は情報がなさ過ぎて困った。でも銀盤という名の記録は永遠に残り続ける。

M-01 Tumult
M-02 Terry
M-03 Patterns In Similar Static
M-04 Nnii
M-05 Laywires
M-06 Q In The G (Cue Indigee)
M-07 Quagmire


2014年5月8日木曜日

NADJA 「Queller」


カナダの夫婦スラッジ善哉、約一年半ぶりの単独フルレングスアルバム。2014年作。

2010年に本作と同じ、ブラジルのEssence Musicから切った「Autopergamene」(注:リンク先は通常盤)149セット限定ボックス仕様の装丁の素晴らしい出来栄えに甚く感動した夫妻。今回のもこだわってマス。
光沢を抑え、シックで肌触り滑らかなマットコート紙を用いたゲートフォールド紙ジャケ。しかも厚手のボール紙にシルクスクリーンで手刷りした帯(俗にいう〝Obi-Strip〟)付き。
まるで例のトコから出した日本盤みたいデス。

さて内容は、四曲とも九~十分。NADJAとしては長くもなく、短くもなく。
音世界はいつも通り、曇天泥濘牛歩鈍重音楽。全曲、例の溶けて消えゆきそうなヴォーカル入り。ただし、「Dagdrom」を機に移行するかと思われた生ドラム路線ではない。普段通りの打ち込みドラム。残念。
また、今までより若干、拡散性ギターノイズ――つまりシューゲイザーちっくなギター音色が強いような気がしなくもない。まあ司令塔のエイダン・ベイカーは『シューゲイザーがバックボーン』と吐露しているクチなので、何ら問題はない。
こうなれば安定のNADJA印。悪い訳がない。

けど、どうせ奴らは金太郎飴。差異などこのくらいか? なんてヒネクレ心で高を括っていればM-04で眉根が寄るはず。
何と、泥濘牛歩を貫徹する彼らなりに軽快な変拍子ビートをボトムに敷いてきたのだ。
とは言え、上モノは相変わらず拡散性のあるへヴィディストーションギターなので、思ったより違和感はない。むしろマシーンビートを拍としか考えてなさそうだったベイカーがビート構成に目覚めたかも知れないと推測すれば、筆者的には朗報だ。
なお、この曲が作中、一番シューゲイザー臭い。

以上を踏まえて、本作はNADJAとしては〝外伝〟の扱いを受けると思われる。無論、彼らは外伝でも一切手を抜かないのは語るに及ばず。
最後に本作、CDはたった300枚限定だそうな。(LPは白盤・黒盤合わせて353枚)

M-01 Dark Circles
M-02 Mouths
M-03 Lidérc
M-04 Quell


2014年3月16日日曜日

LITURGY 「Aesthethica」


ブルックリン出身、ハンター・ハント・ヘンドリクス(テメエ、明らかに芸名の元ネタトリプルHだろ!!)率いる〝新世代ブラックメタルバンド〟2011年作の二枚目。

はっきり申し上げて、彼らに〝ブラックメタル〟のタグを下げるのは良くない。
共通する点はトレモロ奏法とブラストビートくらいだ。スタジオ衣装はほぼ普段着だし、白塗りもしていない。厨二っぽいが、(形だけでも)悪魔崇拝者ではない。大手インディーに移籍して、録音状態も格段にクリアになった。
メタルと言うカルトなジャンルの極北にあたる、更に選民意識の強いジャンルなのだし、異端は排除してあげた方が真正ブラックメタルさんサイドにとっても、彼らやDEAFHEAVENさんサイドにとっても有益なんじゃなかろうか。

なら代わりに彼らをどんなジャンル名で括れば良いのか?
〝マスメタル(Math Metal)〟で良いんじゃないっすかー? (鼻ホジー

冗談はさておき、彼らの音楽性はまず例の(利き手はひたすら連続ピッキングして、もう片方の手は運指を複雑に動かす)トレモロリフと(キックとスネアとハイハットを同時に高速で叩く)ブラストビートありき。
その一方でキメがやたら多い。あまりにキメを多用し過ぎて、ループさせているんじゃないか? と勘繰りたくなるくらい多い。このことから、テクニック至上であることが伺われる。
音像は左右にそれぞれギターを配置。共に高音部を担う。中央をドラムが高速ビートで貫き、トレモロリフとの相乗効果で物理的速度を構築する。ベースは同じく中央に侍り、ひたすらギターにユニゾンすることで、高音パートがリズムパートと剥離しないよう吸着する役目を司る。その両者の平均高低差が高いためか、この手の音楽としては幾分かベースパートが聴き取りやすい。インストはおしなべてこんな調子。
あとは、自分より強い敵を野生の本能で察知してビビっている豺狼のような声で吼え散らかすHHHのヴォーカルを、ドラムの更に後ろから背景音のように鳴らすくらい。歌詞はちゃんとあるが、まず判別出来ないので内容などどうでも良い。
無論、同じコトばっかり演っては飽きられるので、M-03・M-05・M-07・M-11のような間曲を挿むことでアクセントを付けている。
それでも足りないと、M-09のようなミッドテンポのドゥームナンバーを演ってみたり。ごく稀にハードコアでお馴染みのDビートでボトムを支えてみたり(注:ブラストビートもハードコア系派生)。ギターのトレモロリフが錐揉み逆噴射の末に天高く広がり、シューゲイザー化したり。いろいろ伏線を引いて今後に繋げようと足掻く姿勢は高く評価したい。
中でも、M-07のようなトレモロで鳴らすべき音をしょぼい打ち込みで展開したら何だかバロック調に聴こえてきたり、M-11のように人声を重ねて聖歌っぽく聴かせてみたりする中世っぽい試みは、見るからにナルちゃんなHHHの雰囲気と見事に合致するので、この彩を本チャンの楽曲でもっと滲み出せれば……。

なお、本作はあのシカゴの大手インディー:Thrill Jockey Recordsよりリリースされた。
あー、OOZING WOUNDとかTHE BODYとかTRANS AMとか抱えるラウド系レーベルですもんねー。(棒

Disc-1
M-01 High Gold
M-02 True Will
M-03 Returner
M-04 Generation
M-05 Tragic Laurel
M-06 Sun Of Light
M-07 Helix Skull
M-08 Glory Bronze
M-09 Veins Of God
M-10 Red Crown
M-11 Glass Earth
M-12 Harmonia
Disc-2 (Bonus Disc For Japan)
M-01 (Untitled)
M-02 Immortal Life
M-03 Life After Life
M-04 Everquest I
M-05 Everquest II
M-06 No More Sorry
M-07 Vessel Of Everthirst

Daymare Recordingsから出た日本盤は、かのレーベルお得意のゲートフォールド紙ジャケ仕様二枚組となっている。
さてそのおまけ盤(Disc-2)は、OVAL(もちろんドイツのあの音遊びおじさんだよ!)との同年リリースしたスプリットLPから、約20分ものインスト大曲M-01。あとデビューEP「Immortal Life」をまるごと、という内訳。
すべて既発曲だが、一枚目と併せれば彼らの活動が総括出来る便利盤だ。


2013年8月28日水曜日

PELICAN 「Australasia」


シカゴの四人組ヘヴィインストバンド、2004年の初アルバム。ISIS:アーロン・ターナー運営のHydra Head Recordsより。(現在はレーベル閉鎖中)
ジャケデザインは言うまでもなく社長、御自ら。

音世界はポストロックにも通じるヘヴィミュージック。分厚いギターリフ主導で曲が展開し、起伏は展開任せ。無論、一曲一曲は長め。
そのリフ構成は、フィードバックに逃げたり、カッティングやワウのような変化球に溺れたりせず、ひたすら剛球一本槍。ベースはひたすらユニゾン。初アルバムらしい衒いのなさが魅力だ。
それを単調、と論うのは簡単だが、ココまでリフリフアンドリフと貫かれれば、ヘヴィリフへの耐性如何で清々しい思いに駆られるのではなかろうか。
この手のバンドにありがちな、めそめそした叙情性(つまり〝エモさ〟)が皆無で、剛球ならではの漢の哀愁を漂わせているのも良い。
以上を踏まえ、メタルっぽいマチズモを感じさせて受け付けないわー、と仰られるならこのバンドは眼中に入れなければよろしかろう。

で、そこら辺を受け入れられる激音慣れした耳の方々へ、このブログっぽい難点を提議するならば――
『この手のバンドってポストロックにも通じる音楽性なのに、音響に対するこだわりがないのは何でなの?』
鳴らし方、外し方、崩し方、乱し方、鳴らす位置、鳴らす音量、それらによる効果と反映のさせ方――をさほど考えず、雰囲気だけ近付けたこの手の音楽性を安易に〝ポストロック風〟と括ってしまう風潮に、筆者は違和感を感じてしまう。
音の快楽はどうしたのさ!

そんな重箱の隅を突付く筆者など捨て置いて、このアルバムは曲展開の構築美と力技の成せる熱量が存分に味わえる良い作品だ。
それはそれ、これはこれ。

Disc-1 「Australasia」
M-01 Night End Day
M-02 Drought
M-03 Angel Tears
M-04 GW
M-05 Untitled
M-06 Australasia
Disc-2 「Pelican EP」
M-01 Pulse
M-02 Mammoth
M-03 Forecast For Today
M-04 The Woods

二度目の日本盤はデビューEP付きのお徳盤。しかもゲートフォールド紙ジャケ仕様。


2013年7月28日日曜日

SUNN O))) 「3: Flight Of The Behemoth」


シアトルの重低音魔人二体による、2001年作の三枚目。
レーベルは本作からいつものアンちゃんトコで。アートワークは当然、オマやん。

M-01、02といつも通りの重低音絨毯爆撃。
だが油断して聴く音楽ではないがはいけない。本作から彼らの音楽に対するアプローチが変わりつつあるからだ。
今までは斧(〝Axe〟はギターの隠語)二本を振りかざしての重低音無間地獄。コレからは、そこから一歩踏み出し、違う地獄の景色を描いてみようと考えた。

そこでM-03と04の連曲。日本が生んだノイズグル・MERZBOWこと秋田昌美とのコラボだ。全く別畑からの起用かと思いきや、秋田はブラックメタルに理解を示しており、SUNN O)))とは割と簡単に折り合いが付けられたものと思われる。
さてその結晶は、あざといくらい安い音質のお陰でチェンバロのように聴こえる不吉なピアノループが先導し、SUNN O)))二人が絡んでいく形から始まる。だがやがて、その作為的なループは消失。秋田の手により、ギター音色がハーシュにまで崩壊し切ってしまう。
大地を揺るがす重低音、とぐろを巻いて両耳を苛むハーシュノイズ、存在を忘れた頃に再び現れ瞬くピアノループ――と、各音色が膨張と緊縮を繰り返す、眉間の皺の刻みが止まらない逸品となっている。
コレだけでも後の拡散路線の布石は打てた。

またM-05は曲タイトルからして何てことはない。かのMETALLICA〝For Whom The Bell Tolls〟の翻案だそうな。
オリジナル同様、鐘の音で始まる中、かすかにドラムマシーンによるビートが這い、重低リフが轟き、喉を鳴らして低い唸り声を洩らすこの曲、言うまでもなく原曲の面影など一切ない。それなのに、さり気なくインスパイア先への敬意を忘れない彼ら――
こうして先人や同胞の知/血を巧みに取り込み、音楽的な成長を遂げていくのだ。

Disc-1
M-01 Mocking Solemnity
M-02 Death Becomes You
M-03 O))) Bow 1
M-04 O))) Bow 2
M-05 F.W.T.B.T
Disc-2 「Sunn O))) With Merzbow At Earthdom 2007」
M-01 O))) Bow 3
M-02 O))) Bow 4

日本盤のみボーナスディスクのDisc-2は、新大久保Earthdomで2007年五月、秋田を迎えて演ったライヴの音源化。コレでしか聴けない。
SUNN O)))、秋田以外の面子は、アッティラ・チハー(MAYHEM)、オーレン・アンバーチ、トス・ニューウェンフイゼン、アツオ(BORIS)、といつものメンバー。
KIRINのビア樽を中心に参加メンバーが猛る、インナーのあほ写真で苦笑い。


2013年6月28日金曜日

GODFLESH 「Songs Of Love And Hate」


異ジャンルを取り込んで、地下ヘヴィ音楽界を隅から隅まで闊歩する才人:ジャスティン・ブロードリック(Gu)と、G・C・グリーン(Ba)によるユニット、1996年作の四枚目。
――に、翌1997年発表のリミックス盤「Love And Hate In Dub」と、2001年発表のPV集「In All Languages」を付けたお徳盤。2009年リリース。
90年代、エクストリーム音楽界で暴虐の限りを尽くした、英国はノッティンガムのEarache Recordsより。

背骨をノミで彫るようなベースと、金ヤスリで削り散らかすようなギターへ、あえてボトムをドラムマシーンで固定して繰り広げる重苦しいミッドテンポが彼ら本来の持ち味。
ただそれ一辺倒でもないのが、曲者のブロードリック面目躍如といったところ。ギターのフレーズも局所音楽らしい硬質のリフだけに頼らず、今となっては二手も三手も先を行っている、シューゲイザー的な拡散性の高いフィードバックノイズを織り込んだり。自身の歌も、局所音楽らしい怒号だけでなく、ゆらゆらたゆたう陰鬱な声色を使い分けたり。人力至上のメタルやハードコアでは異端の打ち込みを、ビートだけでなく装飾音としても効果的に用いたり。
さまざまなアイデアを柔軟に盛り込む先進性が最大の長所だ。

本作はそんな彼らのターニングポイント。
何と、遂に人力のドラマーを加入させたのだ。

後に米バカテク変態オルタナバンド・PRIMUSに引き抜かれ、果てにシャナナナニーニー鳴く蝉率いるあのGUNS N' ROSESに抱えられた、ブライアン・マンティアがその人。(蛇足ながら、彼の母方は日系人)
それにより、ビートに生々しい躍動感が生まれた。
が、以前のようなシンプルな打ち込みビートが彼ら特有の冷徹さを増幅させていたのに要らんコトしよる、という意見も生まれた。
ただ筆者は、人力だけでなくM-04のようなブレイクビーツを導入したのも加味して、この変化を好意的に受け止めている。常日頃から書いている『カッコ良いビートは正義!』やら『カッコ良い音をくれる方々を型にはめてはいけない』やら、そんな身上で。

ダブに傾倒する一方、ヒップホップユニットをも組閣してしまうような視野の広い人なら、好きに演らせてあげりゃ良いじゃないのさ。
本作は彼が外部で演ってきたコトを、メインユニットでフィードバックさせ始めた、基点とも言えるアルバムと考えている。

Disc-1 (CD)
M-01 Wake
M-02 Sterile Prophet
M-03 Circle Of Shit
M-04 Hunter
M-05 Gift From Heaven
M-06 Amoral
M-07 Angel Domain
M-08 Kingdom Come
M-09 Time Death And Wastefulness
M-10 Frail
M-11 Almost Heaven
Disc-2 (CD)
M-01 Circle Of Shit (To The Point Dub)
M-02 Wake (Break Mix)
M-03 Almost Heaven (Closer Mix)
M-04 Gift From Heaven (Breakbeat)
M-05 Frail (Now Broken)
M-06 Almost Heaven (Helldub)
M-07 Kingdom Come (Version)
M-08 Time Death And Wastefulness (In Dub)
M-09 Sterile Prophet (In Dub)
M-10 Domain
M-11 Gift From Heaven (Heavenly)
Disc-3 (DVD)
M-01 Crush My Soul (PV)
M-02 Mothra (PV)
M-03 Slavestate (PV)
M-04 Christbait Rising (PV)
M-05 Avalanche Master Song (PV)


2013年5月30日木曜日

ADORAN 「(Untitled)」


NADJAだけでなく、ソロ活動に別プロジェクトとフットワークの軽さを見せるエイダン・ベイカーが何とドラムスティックを握り、ベーシストのドリアン・ウィリアムソンと組んだスラッジデュオの2013年初作品。ベイカー懇意のベルギー発:Consouling Soundsより。
AidanDorian=ADORAN、ね。

(自身を含め)総勢十七名のドラマーを迎えた2012年1月のソロ作から、〝オーガニック〟を謳った2012年10月のNADJA作品に至る流れからして、ベイカーの中で人力ビート熱が高まっているものと思われる。
それなら本来、彼はギタリストというよりはマルチプレイヤー(というよりも作曲家)なので、『俺が全編ドラムを叩いた作品を創りたい』と考えるのも当然の帰結。(というよりは元々、打ち込みビート構成の工夫のなさからして〝打ち込みは人力の代替〟としてしか見ていないっぽい)

さて、ベイカー作品で二曲となると当然、M-01が27:22、M-02が30:09と長尺。
リズム隊でのデュオ編成らしく、コード弾きのベースが地べたをごろごろ這いずり回る主旋律を担い、ドラムがそれを支えつつもがんがん鞭打ってメリハリを付けていく――そう、あのミッドテンポでひたすら引きずって引き伸ばして、次第にフレーズを移り変えていく暗黒音楽系の牛歩サウンドがココでも展開されている。
引き、満ち、引き、また満ちる――この終わりそうで終わらない弛まぬ緊張感なら、思ったより長さを感じないはず、当ブログの読者様なら。
そこで想起されるのが、同じカナダ出身のポストロック共同体:GY!BE周り。
双方まるで絡みはないが、こうしてコミュニティ内で音を完結させる如何にもポストロック人らしいGY!BEと、人脈を広げることで音楽的領土を拡大していくハードコア派生系音楽人のベイカー(ただし、彼のバックボーンはシューゲイザー)の点と点を結んでみるのも、強引だが面白い。

この音世界なら、ベイカーのドラムにもっと安定感やビート構成力やパワフルさを求めたくなるなあ、なんて思ったりもするが、そこは難癖なので黙殺。現在はドイツに住んでいるベイカーに、メイプルリーフを感じられただけで良しとする。
なお、本作は2012年の6月にベイカーの元地元・トロントで録られた。マスタリングは地下音楽御用達の兼業ミュージシャン:ジェイムズ・プロトキンによるもの。

M-01 Careful With That Death Machine
M-02 The Aviator




2013年4月22日月曜日

ISIS 「Celestial + SGNL>05」


当ブログでやたら名の挙がる、Hydra Head Recordsオーナー:アーロン・ターナー率いる五人組ヘヴィネスバンド。RED SPAROWESのブライアント・クリフォード・メイヤーも在籍。
本作は2000年にEscape Artist Recordsから出した初フルアルバムと、その連作に当たるNeurot Recordings(NEUROSIS運営)より切った翌2001年発表のミニアルバムを合わせ、日本のみの二枚組便利盤仕様(同2001年発売)にしたもの。それが、リマスターとボートラのライヴ音源を加えて2010年に再発された。
ジャケデザインは当然、ターナー自身。

この界隈に蔓延る〝BLACK SABBATH症〟とも言うべき籠もったダウンチューニングのヘヴィリフではなく、モダンへヴィネス以降の低音ブーストした音密度の圧縮リフを振り下ろす、よくよく考えてみれば珍しいタイプ。曲調はミッドテンポを堅持。ターナーのモノトーンな咆哮ヴォーカルはあくまでおまけ。
そこへ強弱法を多用し、音のメリハリをつけていく一方、手を替え品を替えた音工作をさり気なく絡めていくのが彼らのメソッド。
M-02では、前半でインダストリアルちっくなループを被せ、目を見張らせたかと思えば、その後半で後にメイヤーがRED SPAROWESで大々的に展開する叙情的なパートへとシフトする、大胆巧みな構成が光る。
またギターの鳴り方にも相当気を配っており、静のパートではただ弦を爪弾くだけでなく、聴き心地良さそうな音をリアルタイムで模索するようなサイケデリックな音色を耳一杯に広げる場合もある。完全インストのM-06では、オケヒットならぬバンドヒットを執拗に連発する中、ギターがフィードバックでそれにシンクロさせ、躍動感のみでは留まらぬ妙な酩酊感を齎すことにも成功している。

なるほど、〝Thinking Man's Metal〟と呼ばれただけはある。

ただしこれ以降、考え過ぎと言うか根っ子のハードコアを忘れたカナリアと言うか、それなりにヘヴィで適度に練って鳴りを重視し、ポストロックを思わせる作風へと〝進化〟していく。
だが筆者はこの、メーターを振り切った破壊的な動の力と、音の粒が芽吹く再生的な静の心が高度で備わった本作こそ傑作だと思うのだが、如何であろう。
つか以降は中途半端で子供騙しだと思うけどなー。録音状態もトリップ感を視野に入れているクセに、音像の内側でもこもこしてて気持良くないしー。何でかなー、おかしいなー。

Disc-1 「Celestial」
M-01 SGNL>01
M-02 Celestial (The Tower)
M-03 Glisten
M-04 Swarm Reigns (Down)
M-05 SGNL>02
M-06 Deconstructing Towers
M-07 SGNL>03
M-08 Collapse And Crush
M-09 C.F.T. (New Circuitry And Continued Evolution)
M-10 Gentle Time
M-11 SGNL>04
M-12 Glisten (Live)
M-13 Gentle Time (Live)
Disc-2 「SGNL>5」
M-01 SGNL>05 (Final Transmission)
M-02 Divine Mother (The Tower Crumbles)
M-03 Beneath Below
M-04 Constructing Towers
M-05 Celestial (Signal Fills The Void)
M-06 CFT (Live)

US盤は「Celestial」単体売りで2013年、後のバンド解散(2010年)まで所属したIpecac Recordings(マイク・パットン将軍主宰)にて再発されている。


2013年3月28日木曜日

EARTH 「A Bureaucratic Desire For Extra-Capsular Extraction」


アレの、地元シアトル・Sub Pop Recordsから出した1991年作デビューミニ(M-01~03)に、Blast Firstからの公式ライヴ盤(1995年作)がフィラデルフィアのNo Quarter再発された際のボートラで、件の初作と同時期録音のマテリアル(M-04~07)を付けて、リマスターやらジャケ新調やらを施し、アンちゃんのトコで出し直したブツ。2010年発表。
となるとジャケは、サイモン・フォウラーの描いた絵にオマやんのデザイン。

まずはCDトレー下にある卒業アルバム風の写真をご覧あれ。
まるで、左から:
キレると見境がないのでクラスで煙たがられているディラン・カールソン(G)。
気弱でカールソンの腰巾着化しているデイヴ・ハーウェル(Ba)。
『フヒヒ』という薄笑いが気持ち悪いナードのジョー・プレストン(Ba、Percussion)。
:と決め付けたくなるようなスクールカースト最下層の人々っぽい有様に、乾いた失笑を漏らしていた筆者。(あくまで写真からの連想よ?)
それにM-02と06では、斜に構えた態度が気に食わないジョックスらから始終イジメられているカート・コベイン(NIRVANA)と、アーティストかぶれな勘違いビッチのケリー・カナリー(当時DICKLESS)がゲストシンガーとして参加している。(あくまで想像だってばよ!?)

こんな、如何にも負け組臭のするダメーな連中によるダメーな音楽が、この頃芽吹き始めたグランジだった訳で。
そのグランジ連中は、意外と自分で何を演りたいのかはっきり頭に描けていなかったのも事実。そのダークサイドたるEARTHは逆で、演りたいヴィジョンが初作品にも関わらず早くも血肉と化していた。
その証明が本作だ。

彼、ディラン・カールソンのヴィジョンはただ一つ。『BLACK SABBATHばりにドヘヴィなギターリフをひたすら引きずり倒して、聴き手を鬱のどん底に落としたい!』
ビートはあるが、あくまで拍を刻むために便宜上敷いている程度。カールソンに強いられてプレストンが演る気なーく、手数も少なく単調な上にハンマービートとしても迫力不足で頻繁にモタるビートなど、大よそどうでも良い。二本あるはずのベースに至ってはすっかりフレーズに埋もれ、嵩増しする持続重低音と化している始末。
『俺にカッコ良いリフを弾かせろ。お前らは付いて来い』のジャイアニズム君臨。
それを男気と勘違いしたコベインの陰鬱な歌声は、この傲慢な音像になぜかとてもしっくりくる。それに相伴するカナリーのヒステリックな喚き声は逆に正直ウザい。
そんな二人が――いやメンバーの他二名すらおまけの圧倒的リフ無間地獄はもはや、大正義ですらある。思ったよりフィードバックでごまかさず、リフの単位も明確な上、これだけ聴かせどころがはっきりしているのだから、むしろ『音楽的で受け入れやすい』という予想だにしない意見も納得出来る。

次の怪傑作の耳慣らしとしてはこれ以上ない教材。加えて、時代を先駆けたオーパーツとしての価値も見い出せる、なにげに美味しい一枚。
ただし、特異な音楽性なのは疑いようもない事実なので、取り扱いには注意されたし。

M-01 A Bureaucratic Desire For Revenge Part 1
M-02 A Bureaucratic Desire For Revenge Part 2
M-03 Ouroboros Is Broken
M-04 Geometry Of Murder
M-05 German Dental Work
M-06 Divine And Bright
M-07 Dissolution I



2013年2月22日金曜日

SLEEP 「Dopesmoker」


カリフォルニア発・伝説の超弩級ストーナー/スラッジトリオ、すったもんだの末の解散後に発表された三枚目(1999年)を改題して完全補完した2003年作。
2012年にジャケ+ボートラを差し替えて、リマスターを施し、グレッグあんちゃんが経営する例のSouthern Lordで再発された。
双方共にアートワークはアリク・ローパー。どっちもカッコイイぞ!

一曲、63分34秒+ボートラライヴの11分35秒。原本の「Jerusalem」でさえ不粋にもトラックを六分割しているが52分08秒。正に超弩級の内容だ。
案の定、MELVINSのアレに強く影響を受けているという。(向こうはインディーだからこそ出来たのに、コレをメジャーで堂々とやろうとするその神経がオカシイ)
ならば、ジャムセッションでたらーんと時間稼ぎをして何とか一時間を乗り切るセコい長尺曲なはずがない。もしそうなら、筆者のこの銀盤が即座にフリスビーと化している。
ではお手本のように、焦らしテクの如き引き伸ばしと、カヴァーメドレーを挿むくらいの謎展開と、シュールな踏み台外しで凌いでいる訳でもない。
ではどうやって?

本作はほぼワンリフ進行だ。
暗黒系コワモテ音響技師:ビリー・アンダーソンの仕立てる一枚膜が張られたような音像の中、マット・パイク(現HIGH ON FIRE)のレスポールがド分厚いリフを延々と引きずり出し、先導する。それをクリス・ハキアス(元OMなど)のドラムが支え、アル・シスネロス(現OMなど)のリッケンバッカーが付かず離れず侍りつつ、例の無調な歌声を咆哮して被せる。
見るからに単調で、明らかに一時間持たなそうだが、そこにさまざまな工夫が。
まずはハキアスの歪なのに統制の取れた、奇妙なビート構成。スネアが例えば十六小節、ほとんど同じパターンを刻まないオフロードぶり。その一方でシンバルパターンがほぼ一定の四つ打ち。金物系が拍としてのミニマル感を醸し出し、スネアやタムが蠢くことでボトムとしての役割だけでなく、ギター、ベースに続く第三の音色としての参陣を強くアピールしている。
次にシスネロスのベース。コレもフレーズワークがかなりオフロード。本来、主音のギターを盛り立てる低音堅持のパートなのだが、隙あらばフレット上で手心を加えてフレーズを燻らせたがる。果てには、曲中に三度あるギターソロの二回目でギターの低音をカットし、その低音を自らが幅を利かせることで反旗を翻すような真似も。
この二つの、役割はきちんと果たしているが如何にも御し難いパートに翻弄され、パイクのギターが不甲斐ない音を出しているのかと言えば、そうではない。音の隊長として、悠然と猛々しいフレーズを反復させる。単調になりがちなリフワークを、ループの魔力だけに逃げず、力技と引技を巧く使い分けて連ねる様は司令塔に相応しい。『俺に付いて来い』と言わんばかりの男気さえ感じる。

こうしてたった三つの音が作用と反作用を繰り返すことで曲にフックを与え、引いては曲展開の起伏を生むのだ。

この通り、本作は録音中、絶対にドンギマっていただろうがどこまでもストイックで、雄々しく、熱い。小手先の衒いや、斜に構えた気取りなど一切ない。
正に全身全霊、真っ向勝負。
そんなテンションも、40分あたりで見せる静かな引き際を経てほどなく、再び立ち上がる力を以って頂点を迎える。それを終いまで弛ませることなく、それどころか増幅させ、血走った目つきで大団円へと――

いやはや、筆者の拙文程度でこのアルバムの素晴らしさが伝わったかどうか疑問だ。
ヘヴィミュージックに耐性があるのなら、是非この熱さを鼓膜から全身に伝え、自ら感じ取って欲しい。

M-01 Dopesmoker
M-02 Holy Mountain (Live)

オリジナル盤はM-02が〝Sonic Titan (Live)〟だった。スタジオ録音版がない、コレが初出の未発表曲だ。(再発盤の方のM-02は二枚目収録曲)
日本盤はそれを加えた二曲のライヴ音源を本編と切り離した、二枚組仕様+特別装丁となっている。ま、二倍の金を取ってる訳ですから、このくらいは。


2013年2月12日火曜日

SUNN O))) 「Black One」


シアトルの超弩級重低音破壊神:ステファン・オマリーとグレッグ・アンダーソンによる2005年作品、六枚目。

今回、実験音楽系からのオーレン・アンバーチとジョン・ウイーゼ、ストーナーロック系で活躍するマティアス・シュニーベルガー以外の招集面子からして、制作意図がはっきりしている。
M-03、07ではヴォーカル、M-05、06ではギターやキーボードのマレフィック(XASTHUR)、M-02のヴォーカルはレスト(LEVIATHAN)。
その他、M-05の歌詞引用はMAYHEMでかのアッティラ・チハーの前任ヴォーカルだったデッドから。M-03はIMMORTALのカヴァー。
M-01の曲タイトルの元ネタはSTRIBORGの中の人。M-07は同様に独りバンドで、この界隈の音楽性を築き上げたBATHORYに捧げられたもの。

我々門外漢にはまるで耳慣れない固有名詞が羅列されているが、そのままずばりブラックメタルの人々。白塗りの顔(コープスペインティングと言うらしい)と黒ずくめの服装で悪魔を稀に心底本気で賛美するデスメタルの派生ジャンルだ。
ライヴでは黒衣を纏ってプレイしたり、〝ドローン・スラット〟やら〝ミスティック・フォグ・インヴォケイター〟やら厨二臭いそれモンのステージネームでクレジットしたり、自分のレーべルで手厚く保護したりと、SUNN O)))は常にブラックメタル愛を公言してきた訳だが、ココまで明確に作品へと反映させるとは思わなかった、今更。
彼らにとってブラックメタルは、希釈・攪拌された数多の影響土壌の一つでしかないと思っていた、筆者は。

とは言え、性急なビートに歪んだトレモロ奏法のギターが乗るブラックメタル特有の音世界が展開されている訳などない。
むしろ例の、聴き手の臓腑を握り潰す鈍重ヘヴィギターを主とした漆黒のパワーアンビエント。それをM-01からM-07まで、徹頭徹尾。カヴァー曲ですら情け容赦なく溶解。
その聴かせ方もただ垂れ流すのではなく、良くタメを利かせてその効果を最大限に増幅させるような工夫も当たり前の如く執り行っている。各ヴォーカリストの咆哮も、暗黒リフを引き立たせる背景音でしかない。
このへヴィディストーション貫徹路線、聴き手へのハードルを彼らの意図せぬ方向で高くしただけのような。加えて、音像が初期に戻っただけのような。
これは『ギターもエレクトロニクスも、まだ探求するべき余地がある』と語り、前作のようにドヘヴィリフだけに頼らない音世界を確立させつつある彼らが進むべきステップではない。

ただ、なぜこのような内容のアルバムを、あえてこの時期に創ったかは明白。
この前年の2004年。レーベルオーナーの父と共同して、ブラックメタルどころかデスメタルすら存在していない頃から孤軍奮闘していた、件のBATHORYの中の人:クォーソンことトマス・フォルスベリが急逝している。
本作はおそらく、ブラックメタルの始祖:BATHORYへ最大の敬意を込めて編んだ鎮魂盤であり、SUNN O)))が地下音楽界に叩きつけた独自の暗黒論でもある。

Disc-1
M-01 Sin Nanna
M-02 It Took The Night To Believe
M-03 Cursed Realms (Of The Winterdemons)
M-04 Orthodox Caveman
M-05 CandleGoat
M-07 Bathory Erzsebet
Disc-2 「La Mort Noir Dans Esch / Alzette」
M-01 Orthodox Caveman
M-02 Hallow-Cave
M-03 Reptile Lux
M-04 CandleGoat / Bathori

日本盤は2006年に1000枚限定生産されたヨーロッパでのライヴ音源を追加。
SUNN O)))二人の崇拝対象であるEARTHのディラン・カールソンが参加した、トリプルギター/ベースレス編成の代物だ。ちなみに本編でも参加のマレフィックの他、いつものランドール・ダン(ライヴPA)やスティーヴ・ムーア(トロンボーン)やトス・ニューウェンフイゼン(アナログシンセ)も名を連ねている。



2013年1月20日日曜日

RED SPAROWES 「The Fear Is Excruciating, But Therein Lies The Answer」


元ISIS:ブライアント・クリフォード・メイヤー率いるハードコア上がりのバンド、2010年・三枚目。中核メンバーだった当時NEUROSISのビジュアル担当(当バンドのパートはギター)が脱退し、女性ギタリスト:エマ・ルース・ランドル加入後初の作品。
レーベルはマネジメント事務所が経営するSargent House。録音技師はここ数年でめきめき頭角を現してきたトシ・カサイ

基本的に前作と音世界は変わらず。
ハードコアのエッジとポストロックの〝鳴り〟への拘りを併せ持つオールインスト音楽。壮大なスケールとダイナミックさが売りで、それに伴う強弱法での陰影の付け方が巧み。
ただしアルバムを編む行為は生もの。時と場所と人とその気分が違うのだから、まるっきり同じ音源が出来る訳がなく、本作も例外ではない。

前作は中共の〝大躍進政策〟を題材に(一枚目のお題目は〝種の絶滅〟)採ったが、本作は特に設けられていない。曲説明文タイトルの短さからもそれが出ている。
お陰か偶然か、本作は各曲だいたい六分から七分(一曲平均じゃないよ)、ランタイムにすると四十分台、とコンパクトにまとめている。長いと言えば長いが、壮大なスケール感が持ち味の彼らならもっと引き伸ばせるのに、この省エネ策。物足りないと感じるか、各曲に締りを齎していると取るか。
また録音技師の変更により音の粒子が整い、各音色の位置がクリアになった印象を受ける。もちろん前作の音質が劣悪だった訳ではない。荒さと生々しさを好むか、整頓された緻密さを好しとするかは聴き手それぞれ、というだけ。

実は彼ら、意図的なのかは分からないが、レコーディング技師だけでなくマスタリング技師までアルバム毎に替えてリリースを重ねていたりする。
もし『自分らの音世界は変えず、どう料理されるかを試している』などと考えてるとしたら、それはそれで彼らの音響への飽くなき拘りを表しているし、自らの音世界への強固な自信とも受け取れる。
さあ次は誰だ。面白いから畑違いの奴を連れて来いや!

Disc-1
M-01 Truth Arise
M-02 In Illusions Of Order
M-03 A Hail Of Bombs
M-04 Giving Birth To Imagined Saviors
M-05 A Swarm
M-06 In Every Mind
M-07 A Mutiny
M-08 As Each End Looms And Subsides
Disc-2 「Aphorisms EP」
M-01 We Left The Apes To Rot, But Find The Fang Still Grows Within
M-02 Error Has Turned Animals Into Men, And To Each The Fold Repeats
M-03 The Fear Is Excruciating, But Therein Lies The Answer

日本盤はランドル加入前に切られたLP/配信のみの音源「Aphorisms」(2008年)付の二枚組でお徳。それならもう一声、デイメアお得意のゲートフォールド紙ジャケ仕様に! 気が利かねえな!
もちろんこちらもトシ・カサイによる録音。


2012年12月24日月曜日

OM 「Advaitic Songs」


ベースとドラムのソリッドでハイブリッドなデュオ、2012年の五枚目。
レーベルは前作に引き続き、シカゴの大手インディー・Drag City

音をありのままに録ることしか興味のないスティーヴ・アルビニに仕切らせず、あくまで三名の共同録音者の一人に留める。代わりに前作では共同録音者の一人という立場だった、31 KNOTSでドラムを叩いている兼業エンジニア:ジェイ・ペリッチが束ねる。
それが功を奏したのか、プレイヤー二人のヴィジョンが完全に固まったのか。
お陰で本作、最小表現の袋小路に陥った三枚目、それを打破すべく暗中模索を始めた四枚目、と悩んで学んだ彼らがようやく開眼した。

基本線はベースとドラムを軸に、穏やかさと相反するひりひりとした触感が共存する〝聴く涅槃〟。ベースを兼任するアル・シスネロスのヴォーカルは歌唱よりも詠唱に近い。
前作はその方向性により、タンブーラ(インドの弦楽器)と中近東音階をただ用いてエスニック風味を出しただけだったが、本作はそこへバリバリの西洋楽器・ヴァイオリンやチェロを厚く絡ませ、見事に同化させることに成功した。
まるで違和感なく中東と西洋が血肉と化しているのだから、これこそ正しくハイブリッド。

賞賛すべき点はそれだけではない。録音状態も素晴らしい。
伝わりやすく表すならば、四枚目より叩いているエミール・エイモスのドラム。独特のビート感を持つ彼のプレイが立体的に聴こえる。各シンバルの位置が明確に聴き分けられ、しかもタムが左右に移る様まで把握出来る。
この生々しさと空間処理、前二枚をアルビニに投げた委ねた効果やも知れない。

ここまで来るともはやハードコアですらない。M-02で久々にベースを歪ませても、その音が欲しかっただけにしか聴こえなくなっている。あくまで題材でしかない宗教臭さもそれほど気にならないはずだ。
限定されたイメージの中で、熟成された音世界が無限の可能性を示してくれる傑作。

M-01 Addis
M-02 State Of Non-Return
M-03 Gethsemane
M-04 Sinai
M-05 Haqq Al-Yaqin



2012年11月30日金曜日

NADJA 「Dagdrom」


「Autopergamene」以来、二年ぶりの公式アルバム。2012年作。
Broken Spine Productionsは、エイダン・ベイカーとリア・バッカレフのNADJA夫妻が現在の居住地であるベルリンにて立ち上げた自己レーベル。おしなべて、ベイカーのソロや別プロジェクトを発表する場のようだ。

本作は本人たち曰く「新章」らしい。
ただ音像ががらりと変わったか、と問われれば「特に」と筆者は淡白に返すことだろう。
シューゲイザーとスラッジの中間、曇天泥濘路線。近作の傾向からして全編、声という音色としての歌の導入。各曲の長さはムダに引き伸ばさずとも、10分前後を使い切る。
いつも通りの安定感。(発言は常に変革志向強いニュアンスなのにねえ)

ならばどうして「新章」と謳ったか。偏に人力のドラマー参加に負う部分が大きい。

90年代前半のオルタナティヴロック潮流以前から存在感を見せつけるも、世紀末直前で事切れた(が、ついこの間再結成しやがった)伝説のイカレバンド・JESUS LIZARDのほぼオリジナルドラマー、マック・マクニーリーがその人。
普段の打ち込みビートではなく、生ドラムを導入した作品は他バンドとの競演作以外にも初めてではない。2008年の「Desire In Uneasiness」がそれ。ドラマーは、ベイカーの別プロジェクトでも叩いているジェイコブ・シーセン(Jacob Thiesen)。
その際のビートは何だか打ち込みっぽいと言うか、ベイカーに打ち込みビート使用のデモを聴かされ「この通りに叩いてくれ」との要望に応えただけのような物足らなさだったが、今回は違う。
マクニーリーによる、ドラムセットを叩き壊さんばかりのパワフルさと、人力ならではな六十四分休符程度のスネアのずれ――ベイカー本人が〝オーガニック〟と自負するくらいの生々しさを持って、破壊的かつ創造的なNADJAサウンドの野太いボトムを底上げしている。(このタイム感が気持ち良いから、あまり「モタってる」とか言ってくれるなよな。ほんとにモタってるトコもあるけど)

無機から有機へ。おや? なるほど、新章。確かに変革。

M-01 One Sense Alone
M-02 Falling Out Of Your Head
M-03 Dagdrom
M-04 Space Time & Absence

恒例、Daymare Recordingsからの日本盤は、おまけディスク付きの二枚組仕様――だが、コレが問題。
元々はAIDAN BAKER名義の2012年作「The Spectrum Of Distraction」購入特典のDL配信音源「Spectrum Sessions」からマクニーリーが叩いているトラックを選り抜いて、ベイカー自身が再編集したモノ。
本名名義はヘヴィディストーション控えめでジャズの空気が強い作風なのに、何で一緒くたにしてしまうかねえ。


2012年11月6日火曜日

KHANATE 「Clean Hands Go Foul」


いきなり絞首刑囚(絞首刑+死刑囚)の断末魔。自らのパートを〝Vokill〟と定めていたアラン・ドゥービン(元O.L.D.)によって。十三階段を登る過程をすっ飛ばす唐突さで。
それに負けず劣らず極悪な、あと三種の音。
負の意味で印象的な〝音色〟を、リフという名の単位に縛られることなく捻り出そうと躍起になっているステファン・オマリー(SUNN O)))など)のギター。
生命反応のあるブースト装置として、フレーズを作為的に揺らがせながら淡々とド低音を持続させるジェイムズ・プロトキン(元O.L.D.ほか。マスタリング技師としても著名)のベース。
地味にビートを堅持することに飽き、持ち前のパワーヒッティングで第四の音色としての存在感を誇示するティム・ワイスキーダ(元BLIND IDIOT GOD)のドラム。
この超個性な四色が、閉塞的かつ退廃的な空間から絞り出す暗黒音楽――という作風は前々作で既に確立済み。
本作では更に溶解が進み、ワイスキーダの拍を度外視した鳴り方重視の打楽器志向も相俟って、よりパワーアンビエントな作風となった。オマリーがメインプロジェクトとして動かしている、SUNN O)))の音像に近付いたとも言えるかも知れない。
その雰囲気に合わせてドゥービンの呪詛も、廃屋という閉塞空間に残存する地縛霊の如き幽玄さが浮き彫りとなった。実はこのバンドのリーダーである、プロトキンによる録音加工の賜物と言えるかも知れない。

コレらから導き出される本作の音世界は、憎悪の塊のようなインパクトを誇った彼らとは思えないほど地味で、しかもじわじわ蝕んでくるモノだった。

その象徴たるトラックは、32分52秒にも渡るM-04に。
ほぼ無音――いや、無調。
確かに微かに鳴っている。音符にならない音が、右から左へ。
そっと持続音を継ぎ足し続けるベース。弦を指の腹で撫でるように鳴らすギターを、プラグをガリったノイズと共に。リムショットですらない撥をリムに転がす音から、シンバルやタムを気付かれないよう挿むドラム。吐息の延長で出す、声にならない音のヴォーカル。
それらがだんだんと、暗がりのあちこちからじーっと聴き手を見つめ続け、存在を露わにしていく様はもう、何とも言えない気分にさせられる。電気を消した室内にてヘッドフォン着用で聴きたくないくらい。

そんな2008年発表の本作の原型は、2005年に録られていた。三枚目と同時期らしい。
その翌年、自然消滅に近い解散宣言。
後、2008年。プロトキンが遺されたマテリアルを拾い上げ、ドゥービンの声を追録し、前作同様Hydrahead Recordsよりリリース。その活動にけじめを付けた訳だ。
That's All Folks!

M-01 Wings From Spine
M-02 In That Corner
M-03 Clean My Heart
M-04 Every God Damn Thing


2012年9月28日金曜日

ELECTRIC WIZARD 「Come My Fanatics....」


出ました大英帝国大麻導師! イングランド南部・ドーセット出身の(当時)三人組スラッジコアバンド、1996年作の二枚目。
リーダーのジャス・オーボーン(Gt.Vo)に、後に袂を別つBaとDs、というシンプル編成。
なお、CRIPPLED BLACK PHOENIXのジャスティン・グリーヴス(Ds)が加入し、さっさと脱退するのは本作の次の次のそのまた次(2004年)のアルバム。

当アルバムは〝世界一重いアルバム〟と評されて久しい。
極度のダウンチューニングからひたすらリフを引きずり、聴き手の心に負の感情を刻印するそのサウンドは、ヘヴィ音楽に耐性のない方は避けて通った方が幸せかと思われる。
ただ、このバンドの本質がヘヴィさだけではないとしたらどうする?
むしろ筆者は、レーベルオーナーがあきれてしまうほどマリファナ好きの快楽主義者が目指す至高のトリップミュージック=サイケバンドだと思うのだが。

曲が概ね長いとか、オーボーンがファズを使いたがるとか、その彼の歌唱が如何にもなヘタウマ的だらしなさとか、スピリチュアルでスペイシーなインスト・M-04が明らかにソレモンの曲だとか、定型的なサイケ色は枝葉でしかない。
本作は2006年再発時にリマスターを施しているのだが、その改変ぶりがあまりにも露骨にトバし目的なのだ。
M-05を聴いて欲しい。
この筋特有のもこもこした音像の中、オーボーンとベーシストの超ド級重低音リフと、ドラムのモタってるんだか踏み止まってるんだか分からないべしゃっとしたビートへ、水泡が弾けるような電子ループを噛ませたこの曲。旧盤ではほぼ埋もれてしまっているのだが、リマスター盤ではそのループの音量が作為的に大きくなっている。それはもう、バンドの演奏を妨げん勢いで。
――明らかにこの音を耳で追え、と言わんばかりに。
結果、ずるずる反復演奏とのマッチアップで、聴き手の視点がどんどん定まらなくなってくる。こそばい鼓膜が、次第に快楽(けらく)へと蝕まれていくはずだ。

音による圧殺を目的としがちなこの界隈では思ったより居ない、音による快楽を推進するバンドとしてあえて、当ブログでミスマッチな彼らを扱った訳だ。

最後にもう一度。「ヘヴィ耐性のない方は興味本位で触れるべからず」
ただ、耐性というのはあくまで己が勝手に定めた感度の限界値であって、本来身体がどこまで耐え得るか、本人さえも知る由がないのかもよ。へへへへ……。

M-01 Return Trip
M-02 Wizard In Black
M-03 Doom Mantia
M-04 Ivixor B / Phase Inducer
M-05 Son Of Nothing
M-06 Solarian 13
M-07 Demon Lung (Bonus Track)
M-08 Return To The Son Of Nothing (Bonus Track)


2012年8月28日火曜日

NADJA 「The Bungled & The Botched」


カナダのシューゲイジングスラッジ夫妻による2008年作品。

あまりに膨大な量を持つ彼らのフル音源だが、彼らなりに線引きというモノがある。
カナダのAlien8 Recordingsとオレゴン州のBeta-lactam Ring Recordsより発売されたモノ、に加えて日本のDaymare Recordingsで配給されたモノは自称〝公式〟。それ以外は〝外伝〟扱いとのこと。
本作はConsouling Sounds産――つまり〝外伝〟だ。
以上を踏まえて、今まで当ブログで扱った彼らの音源では、コレコレが〝公式〟。言わずもがな、カヴァー盤のコレとコラボ作品のコレは〝外伝〟になる。

いつもならのっけから、ド低音と金属音に二極分裂したギターノイズを仁王立ちさせてずるずる、時間を掛けて引きずって行くのだが、本作のM-01は寂しげに爪弾かれるアコギ単品で静かに静かに幕開け。
やがてそこへフルートが絡み、聴き手の寂寥感を駆り立てていく。いつの間にかマシーンビートもひっそり添えられ、いつもの展開への布石が打たれ――ず、ビートが止み、囁き声が聴き手の耳元をくすぐる。
『え、来るの? 〝外伝〟だから来ないの?』と戸惑っているはずの聴き手をさんざん焦らし……ようやく、ご褒美を与えるかの如く、がーん! と、来る、いつものあの音像が。しかも曲前半で奏でられたアコギの調べと全く同コード進行で。
コレだけでも〝外伝〟扱いとは思えないくらいの強力な高揚感を、聴き手に与えてくれること受け合い。しかもこの曲、2012年に行われた彼らの初来日公演でも披露された。〝外伝〟なのに。

M-02はいきなり例の〝音数は少ないが密度は異常に濃い〟音像で幕開け。そこからお得意のギターサイケデリアが舞い散り、不安定な鳴りのピアノループが噛み合わさっていく、彼らならではの曲。

このように音世界は揺るぎもしないが、ちょっとだけ〝公式〟では演らなそうなコトを取り入れてみるのがNADJA的外伝。アウトテイク集では決してない。
そのランタイムは59分59秒。こだわりを持って計算された、音の洪水。

M-01 The Bungled And The Botched
M-02 Absorbed In You

後、2013年にめでたく国内盤が発売。
二枚組仕様で、おまけ盤は500枚限定のオリジナル初回盤に付いてきたCD-Rだったもの。本編のデモヴァージョンがそっくり収録されている。


2012年6月6日水曜日

TEETH OF LIONS RULE THE DIVINE 「Rampton」


ヴォーカルならぬ〝Hexing Pariah〟のALF ANTISOCIAL、ギターならぬ〝Flagellation In Beautiful Sixes〟のDRONE SLUT、ベースならぬ〝Of The Night Goat〟のMYSTIK KLIFF MACABRE、ドラムならぬ〝Avalanche〟のCRIPPLED BLACK PHOENIXの四人からなる英米スラッジコアプロジェクト、唯一の音源。2002年作品。
その正体は何とまあ、NAPALM DEATHCATHEDRALのリー・ドリアン、SUNN O)))の二人、IRON MONKEYELECTRIC WIZARD→いろいろのジャスティン・グリーヴスによるスーパーバンドだ。
今回は珍しく、アートワークにドローン・スラットステファン・オマリーが噛んでいない。

それにしても……くくっ、この変名やらパート呼称って……くすくすっ、厨二病現在進行形の……あははっ、今となっては過去恥部ー、って感じじゃないですかー!
グリーヴスに至っては、後にこの変名を自らのプロジェクトに冠するぐらい気に入っちゃってるし。
つかバンド名、引用元まんまだよね……。

とまあいろいろ枕に顔を埋めて足をばたばたさせたくなる要素満載のこのアルバムだが、内容は相当えげつない。
何せ一曲目から29分25秒の大曲。
音がやけに籠もっているのはわざと。このジャンル特有の〝禍々しい生々しさ〟演出のためと割り切って欲しい。と言うか、プロデューサーのビリー・アンダーソンが絡むと決まってこんな音像。
グリーヴスのドラムがイントロとなり不吉な予兆。そこへ徐々に漆黒フィードバックで塗り込めようとするSUNN O)))の二人。その暴虐に抗うべくグリーヴスも躍起になるも、健闘空しく取り込まれる。刻印のようなヘヴィリフの手先となる。やがて……こんふう音の表をやけに強調する〝稀代の音痴〟ドリアンの咆哮の斧が振り下ろされた瞬間、好事家納得の音世界が聴き手皆に提示される。
具体的に書けば『SUNN O)))のあの音像がバカデカいビートの上で再現され、そこへ誰も真似しない唯一無二の歌声が被さる』。
個性と自我と天然のぶつかり合いだが、コレが意外と齟齬を起こさず、奇跡的な配分で聴き手の鼓膜を圧殺すべく共闘しに来る。
かと思えばM-03はドリアンのCATHEDRAL色全開のトラック。オルガンを巧く使ってドゥーミーに17分53秒を料理している。
こうなると当ブログで扱うには重過ぎる嫌いはある。ただ、全体的に重苦しさ一辺倒で押し切るだけとは限らない工夫もぽつぽつ、さり気なく仕込まれているので、耐性さえつけば十分聴き応えを感じていただける創りだ。

熱量を醸し出しやすい音楽だからと、上澄みだけ掬って生半可に鳴らすポーザーも多いこの界隈。こんな殺る気むんむんな音を叩き付けて来る連中に向けて〝厨二病〟と揶揄するのは些か失礼にあたるのかも知れない。
依然シーンに君臨し続ける猛者の共同体ならではの本気が、ココにある。

M-01 He Who Accepts All That Is Offered (Feel Bad Hit Of The Winter)
M-02 New Pants And Shirt
M-03 The Smiler

M-02はシカゴの老舗インディーTouch And Goに所属したKILLDOZERのカヴァー。原曲を踏襲しつつも、ジャンク臭を消して如何にもな出来に仕上げている。
また本作は、ミスティク・クリフ・マカブルグレッグ・アンダーソンのSouthern Lord同様、自己レーベルを所有するALF・アンチソーシャルドリアンのRise Above盤もあるよ!