ラベル えくすぺりめんたる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル えくすぺりめんたる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年2月22日月曜日

ONEOHTRIX POINT NEVER 「Garden Of Delete」


おいコラ、ロパ公!
Warp移籍ですっかりチョーシコイてる一気に知名度を上げた、ダニエル・ロパーティンの七枚目は2015年作品。
ジャケ絵は自ら手掛けたもの。

前作よりはちゃめちゃ度アップ。
ライヴを頻繁に演るようになってクラウドを意識し始めたのか、本作は割とビートがある。しかもアッパー系の。
また上モノに、やはりクラウドを意識してかEDM(エレクトリック・ダンス・ミュージックの略)で使われるような扇情的でぺなっぺななシンセ音を多用するようになった。
それとは逆に、ヘヴィメタルちっくなギターをちょぼちょぼトラックに織り交ぜるような、作品の方向性としては理解に苦しむ音色選択センスも聴き逃せない(まるでシュラプネル系のギターヒーローが弾いたかのようなソロもあるぞ!)

その結晶がM-04。
少年の無機質な歌声を主音に据え、チェンバロのような格式高い音色が脇を固め、彼の平常時を表現したかと思えば、やがて音色が歪み、キックが連打され、声が濁り始め……打ち込みブラックメタルばりの狂乱突貫パートに挿げ代わる。
――まるで悪魔に憑りつかれたみたいに。
パーツをぶつ切って密に転換するメソッドを用いる彼だからこそ生めた本作のハイライト。

で、気になるのはそれ以後――いやアルバム全編にわたって、はちゃめちゃ、傍若無人に暴れ狂っているのだろうか? ってトコ。
実はそうでもない。
きちんと通して聴いてよくよく考えてみると、前作で結実した、ザッピングを多用して聴き手の感受性を攪拌し、落ちどころを定めさせない〝脳内ロパーティン劇場〟が手段を多少代えて、淡々と、かつ飄々と再提示されている事実に気付く。
前述のM-04や、剽窃なのにどこか落ち着きないところが如何にも彼らしい〝ロパーティン流EDM〟のM-02やM-06など、本作のアイキャッチにしか過ぎないのだ。
目先のインパクトに騙されては奴の思う壺だ!

こういうアンテナはびんびんに張り巡らせて様々な要素を柔軟に取り入れはするけど、どれも上っ面までで留めておくこの気質、彼の胡散臭さ強固な自信の表れかと思う。
ちなみに本作、コンセプトアルバムらしい。

M-01 Intro
M-02 Ezra
M-03 ECCOJAMC1
M-04 Sticky Drama
M-05 SDFK
M-06 Mutant Standard
M-07 Child of Rage
M-08 Animals
M-09 I Bite Through It
M-10 Freaky Eyes
M-11 Lift
M-12 No Good
M-13 The Knuckleheads (Bonus Track For Japan)

日本盤ボートラは前作とは違いきちっとトラックしているのでまあ、こちらかな……?


2015年7月30日木曜日

LAUREL HALO 「Quarantine」


ミシガン州アナーバー出身の女性クリエイター:ローレル・アン・チャートゥによるデビュー盤は、かのHyperdubから! 2012年作品。
ジャケは日本美術界の困ったチャン会田誠の「切腹女子高生」。

聴かせたいのは彼女自身の歌声。フォークシンガーとしての経歴もあるらしい。
だが決して歌モノではない。あくまで、好き勝手に出せる上にキャッチーな有用音色を有効利用しているだけ。喉から発せられる物憂げなトーンを音符に乗せ、多重録りしてそれぞれ音色化したブツをレイヤーの如く神経質に編み、左右チャンネルのあちこちに振りまくという色んな意味で面倒臭そうな作風が特徴。
そこへ、あまり高くない機材から捻り出した印象的なシンセ音を等価で絡め、たまに拍取りのぼそぼそしたビートを這わせるのが彼女のメソッド。

つまりフロアをロックする意図を感じない打ち込み音楽であると。(共演してるしね)
なお、彼女の最大影響土壌はデトロイトテクノの模様。

筆者的聴きどころはM-05と小曲M-06を挿んだM-07。
M-01の爽やかで朗らかな歌声に騙されてはいけない。
まずはM-05。感情を殺した声色を無機質にハモらせ、ぼそぼそとシンセを意味深にループさせ、サビで『ハリケーン(激発)はいつでも来るんだから……』と歌い上げる空恐ろしさよ。
続くM-07ではサスペンスドラマちっくで浮遊感のある不穏なシンセに導かれ、やがて……突如鳴る、逆回転仕立ての金切声は慟哭なのか断末魔なのか。
そのタイトルは『骸』。

メンヘラかよ!

――とまあ、女性ならではの妖しい魅力がところどころに詰まったいけない一枚。
ただし記譜の出来る温かみの感じられない音色を軸に構成しているため、想像よりは聴きづらくない代物かと思われる。
加えて、きちんとクラシック教育を受けた人なので、トラックが端正で理路整然としているのも好印象。メンヘラを演じてる訳ね。

M-01 Airsick
M-02 Years
M-03 Thaw
M-04 Joy
M-05 MK Ultra
M-06 Wow
M-07 Carcass
M-08 Holoday
M-09 Tumor
M-10 Morcom
M-11 Nerve
M-12 Light + Space


2015年7月8日水曜日

SAO PAULO UNDERGROUND 「Tres Cabecas Loucuras」


今度は思ったより真っ当だぞ!
流離のコルネット吹き:ロブ・マズレク大将率いるブラジリアンジャズカルテット(ちゃんと裏ジャケにもう一人居るから大丈夫。仲間外れじゃない!)、2011年発表の三作目。

大将以外のメンバーは前作より固定。一枚目から組んでいるマウリーシオ・タカラ、ロック上がりらしいヒカルド・ヒベイロ、すっかりブラジル移転後の大将作品常連と化しているギリェルメ・グラナードの三太鼓叩き。
だが本作は、前作での三太鼓vsコルネットという妖しい図式に拘らず、より多角的なブラジリアンジャズを標榜している。ドラムをヒベイロで固定し、残りの二太鼓がカヴァキーニョ(ブラジルのウクレレみたいなの)やキーボードのような和音楽器も兼ね、ゲストにジョン・ハーンドンやジェイソン・アダシェヴィッツらを迎えることで、色鮮やかになった。

もう一度書くが、前作がアレ過ぎたお蔭で本作は一聴するに真っ当。音質もクリアだし、ビートを一本化することで曲が整頓されたのも大きい。
もちろん大将のコルネットも絶好調。M-02のブリープノイズまで織り交ぜてのサウンドチェックっぽいアレで聴き手に肩肘を張らせる出だしから、This Is 大将! な金管楽器の高らかな鳴りで各音色を統べるところなど秀逸。まるで大将が譜面台を叩いて総員に開始を促す指揮者のようだ。
また、M-04ではキコ・ディヌッチを迎えてのアンニュイなボサノヴァナンバーも披露。無論、初のヴォーカル入り。後半よりロマンチックに入る大将のコルネットがこれまた絶品。
おおゥ、真っ当……!

ただそれは薄皮一枚の見栄え良い外身。内側は相変わらずえげつない。
編集編集アンド編集の異端ジャズなのは相変わらずだが、主音すら情け容赦なく卓で歪ませる苛烈なエフェクトは少々控え気味。その一方で、どの曲も数多の音色が蠢いていて、妖しさは感じられる。だがそれだけではない。
実は始終音が揺れている。
一曲中のどれかの音色が左右連続パンされ、ふやけている。副音だけでなく、ヴォーカルや大将のコルネットといった主音級さえもその標的たりうる。
ヘッドフォン装着でその音を追っていると、ちょっとした妖しい思いが出来てしまい、困る。

大将はシカゴに残ろうがブラジルへ行こうが、あくまで気持ちイイ音楽を創ることに余念がない、妖しくも一本貫いたかっけーオッサンだ。

なお、後に大将は本作参加のタカラ、グラナードにアダシェヴィッツ、ハーンドンをピックして、その名もロブ・マズレク八重奏を立ち上げる。
そういう意味でもコレは重要作。麻薬にも良薬にもなる妖しい処方箋。

M-01 Jagoda's Dream
M-02 Pigeon
M-03 Carambola
M-04 Colibri
M-05 Just Lovin'
M-06 Lado Leste
M-07 Six Six Eight
M-08 Rio Negro


2015年5月20日水曜日

GROUPER 「Dragging A Dead Deer Up A Hill」


またココか! オレゴン州ポートランドの宅録おねいさん:リズ・ハリスのソロユニット、2008年発表の四枚目。
オリジナルリリースはバーミンガムのTypeだが、2013年にシカゴのKrankyよりリイシューされた。どっちのレーベルも妖し過ぎる……。

音楽性を端的に表すと、アシッドフォーク。
おそらくかなりヴィンテージな(≒古ぼけた)機材で録っているであろう、デモテープさながらな音質。ダビーというよりも、全体的にぼやけた音像。
軸はリズおねいさんの歌――よりも、おねいさんが奏でるアコギとかエレギとかエレピ。真中中央にどっかと腰を下ろしている。そのやや上から、慎ましげにおねいさんの歌。声質から淡白一辺倒かと思いきや、儚げだったり、清らかだったり、陰鬱だったり、投げやりだったり、凛としていたりと、なかなかヴァラエティに富んでいる。その歌声をオーヴァーダブでハモらせたりもする。
ただし、ちょいちょいグリッチや裏に回ったエレピなどの副音に埋もれてなし崩し化する。
こんなロウさはアルバム全体にも波及。軽度な編集を施しているにもかかわらず、トラックの頭と終いでさーーーっと存在をあらわにするヒスノイズは放置。ギター弦が指と運指でこすれるきゅっという音、ピックがピックアップにばちっと当たる音すら拾う。音割れしない程度に、副音どころか主音すらハウリングを起こしてたりもする。

臨場感を出したいのか、生々しさを出したいのか。
いや、彼女の音による主張は一貫している。
音を意のままに操っているのではない。全てを受け入れている。
あなたはすきにしてくれてかまわない。だから、ありのままのわたしをみて。

何となくメンヘラなおねいさん(誤解なきよう記すが、彼女の肉声は強い意志を感じさせる自立した女性のそれだ)によるセルフヌード音源集(モノクロ)。
ただ、音像のあまりのアレさから素人ヌードのような雰囲気もあるが、あくまで彼女はプロ。自らのヴィジョンを余さず映し込むための技巧、と好意的に捉えることも可能。
まんまんくぱりんこしたり、ちんちんずぼずぼしたりするだけがヌードじゃないってことだね。

M-01 Disengaged
M-02 Heavy Water/I'd Rather Be Sleeping
M-03 Stuck
M-04 When We Fall
M-05 Traveling Through A Sea
M-06 Fishing Bird (Empty Gutted In The Evening Breeze)
M-07 Invisible
M-08 I'm Dragging A Dead Deer Up A Hill
M-09 A Cover Over
M-10 Wind And Snow
M-11 Tidal Wave
M-12 We've All Gone To Sleep


2014年7月16日水曜日

ONEOHTRIX POINT NEVER 「Replica」


Warp移籍に乗じて一気に知名度を上げた、ブルックリン出身:ダニエル・ロパーティンの2011年作、五枚目。Mexican Summer傘下で自ら興したSoftware Recordsより。
気になるこの不気味なアートワークは、パルプフィクションなんぞの挿絵で糊口を凌いでいた不遇の絵師:ヴァージル・フィンレイ。

〝ヴェイパーウェイヴ〟なる音楽をご存知だろうか? 日常で流れている当たり障りのないフレーズを(アイロニー含みで)コラージュしてトラックを組み立てる、何とも露悪的な代物をこう呼ぶ。生活音や自然音を録り込んで利用する〝ムジークコンクレート〟とは似て非なるモノだ。
さて本作はロパーティンが100ドルで、昔のCMがふんだんに詰め込まれたDVDを買ったところから端を発している。言うまでもなく、コレを素材にアルバム一枚ヴェイパーウェイヴってみよう! となる訳だ。その発想が理解に苦しむ。
もちろんこのDVDから盗んだ拾った数あるパーツのみで構成した訳ではない。そこへ、ロパーティンがシンセ音色を当てはめて融合する形を取っている。彼はこれまた数あるシンセ音色の中でもクワイヤ(模擬コーラス音色。荘厳な雰囲気が出る)を好みがちなので、何となくどれか分かるだろう。

ただ、分かるからと言って、どこまでが件のDVDをサンプリングした音色で、どこからが彼がシンセで生成した音色か? と問われたらどう答えるべきなのだろう。
『ンなコトどーでも良いよー』と思考停止するのも快楽主義的に悪くない。『いや、これは分析する価値ありますぞ!』なんてメガネクィッとするのもスノッブで俗っぽくて悪くない。
このアルバムのキモは現実(ロパーティンのシンセ音色)と虚構(DVDからのサンプリング)の境界線が曖昧になっているところにある。
アルバム一音色が注ぎ込まれたM-03のDVD音色含有率は如何に、とか。〝Up!〟と無機質にループさせた声ネタの底で、彼の作品としては珍しく用いられているパーカッシヴなビートはもしやサンプリングなのでは? とか。M-09に浴びせられたヘンテコなループ群はもしやヴィデオゲームから持ってきた(ちなみに彼はヌルゲーマー)のかという以前にトラック半ばで入る血の通いが薄い少年少女合唱音色は本物なのかクワイヤなのか? とか。
こうして疑念が生じてくると、M-05の主音であるピアノすら、どこの馬の骨の音色かも分からなくなってくる。
いや、そもそもロパーティンの浮遊感漂うシンセ音は現実を意味しているのか? むしろかつてTV番組の合間で確実に存在していたDVDの方が現実感あるぞ、とか。

このような現実と虚構の狭間で揺れ動く感覚、堪らんね。
ロパーティンはアンビエントちっくな長音を能くするので、意識を集中させると相乗効果でお手軽なトリップ感覚が得られる俗っぽいアルバム。
おやおや、やっぱりこの人の本質って露悪主義だわ。

M-01 Andro
M-02 Power Of Persuasion
M-03 Sleep Dealer
M-04 Remember
M-05 Replica
M-06 Nassau
M-07 Submersible
M-08 Up
M-09 Child Soldier
M-10 Explain


2014年5月16日金曜日

KTL 「IV」


シアトルの漆黒斧使い:オマやんSOMAことステファン・オマリーと、Editions Megoを主宰するPITAことピーター・レーバーグの異色デュオ、2008年作(こんなタイトルだが)三枚目。
レーベルは無論、Editions Mego。デザインは、オマリー。

まずは資料的なことから。
ユニット名は〝Kindertotenlieder〟の略。演出家のジゼル・ヴィエンヌとアウトサイダー作家のデニス・クーパーによる同名の舞台の劇伴を創るにあたって、依頼を受けたレーバーグがオマリーを誘うところからこのプロジェクトが始まっている。
やがてLP二枚、EP一枚でその活動が一段落するも、解散せず独自のユニットに発展。あのジム・オルークをプロデューサーに迎え、何と日本の吉祥寺でレコーディングを敢行。ドイツのケルンでミックスを施し、出来たモノがコレ。
なお、BORISの敦夫がドラムで参加している。

さて内容だが、オマリーのギターを軸にレーバーグがノイズ/電子音を散らす、掛け声一つ入らぬ純然たるインスト。ドラムは居るが拍は欲さぬ、衆目の予想通りな音世界だ。
ただ、そこで『ですよねー』と知ったふりして深く攫うのを止めては、このアルバムの持つ〝業〟が浮かび上がってこない。
そこに、彼らの求める罪深い音世界があるのだから。

まずレーバーグの捻り出す各種音色が非常に多彩であること。
オーソドックスにインダストリアルちっくな軋む音から、バネが無軌道に跳ね回るような音。垂れ込める幽々しき背景音。電子ホタルが火を灯すようなワンショット。目覚まし時計から生成したようなけたたましい連続音。水晶製の縦柵を棒で左から右へ辿ったような音。電子部品がスパークするような音。鼓膜を棒の先であちこち弾く音――
ある意味大ネタ使いであるムジークコンクレートとは一線を画した、我々素人の耳には『これどうやって作ってんだ?』としか思えないさまざまな雑音が、オマリーのギターへこっそり茶々を入れつつ、さり気なく幅を利かせている。
それを更に深化させたのが、オルークの推進する〝偶発的な音〟の有効活用である。
つまりグリッチ――録音の際に発生した予期せぬ音だ。
オマリーのアンプから絞り出たフィードバックやプラグをガリる音、レーバーグの機材から漏れた通常ならカットすべき雑音はもちろん、敦夫のドラムをわざと低周波数で録り、その際に生まれた正しく再現出来ていない音もろともトラックに組み込むような大胆な発想も彼ならでは。
上記の要素が全て詰まった、21分にも亘るM-02がこのアルバムのハイライト。力技のギターとドラムが、手練手管のノイズを相手取って獅子奮迅する。

偶発的な+αを欲している割には、全てが計算ずく。一見、オマリーがレーバーグとオルークの掌で踊っているかのように映る。
だがオマリーは、彼の弾くギターは、操り人形に非ず。SUNN O)))で培った、これまた多角的なギターの鳴らし方で勇ましく対抗する。
音像はドローン系なのでさしづめ、静かなる水面下での諍いか。もちろんお互いの才にリスペクトを払った、美しい闘いであることは論を俟たない。

音の気持ち良さだけでなく、音の凄さの一端を垣間見られる一枚。
聴けば聴くほどその真価が牙を剥く。

Disc-1 「IV」
M-01 Paraug
M-02 Paratrooper
M-03 Wicked Way
M-04 Benbbet
M-05 Eternal Winter
M-06 Natural Trouble
Disc-2 「KTL IV Paris Demos」
M-01 Paraug 1 Part 2
M-02 Paraug 1 Part 3
M-03 Benbbet
M-04 Parathird

毎度毎度のDaymare Recordingsによる日本盤だが、ゲートフォールド紙ジャケ仕様はもちろん、ボーナスディスクに2008年八月八日にパリで録った限定150枚のデモ音源(本作のプリプロダクション!?)が付いてくる。そのランタイムは47分くらい。
高いけどとてもお得。


2014年3月22日土曜日

ONEOHTRIX POINT NEVER 「R Plus Seven」


Software Recordsを主宰する、(ユダヤ系)ロシア移民のアメリカ人:ダニエル・ロパーティンの2013年作、六枚目。Warpデビュー盤。
ジャケはスイスのアニメーション監督(アニメではない):ジョルジュ・シュヴィッツゲーベルが手掛けた1982作のショートフィルム「Le Ravissement De Frank N Stein」 のワンシーンを借用して、ロパーティン自身がデザインしたもの。

音世界はエレクトロニカと称しても憚らないはず。ただ、今まで当ブログで扱ってきたニカ連中とは、音楽性に微妙な隔たりがある。
どう聴いても、クラブでクラウドをノらせるコトを想定してトラックを組んでいない点である。テクノ派生の音楽としては異例の存在だ。
ビートはほぼなく、荘厳に用いる長音と、小気味良く奏でてトラックの進行役を司る短音のシンセ音二種を巧みに和え、そこへサンプリングやら音色チョップやらの装飾を徹底した計算づくではめ込んでいくメソッドから、ハコの熱気を感じない。
ループはあるが、反復の快楽よりも刷り込み目的の意図を強めに感じる。加えて、浮遊音を使おうがゆったりたゆたわせてくれず、ころころ曲を展開――いや、場面を転換させるやり口ではチルアウトも望めない。
この何ともストイックな面、さすがは実験音楽(エクスペリメンタル)上がりの人である。

となると聴き手を置いてけぼりにする難解さの際立った、いちげんさんお断りの高慢な作風かと問われれば然に非ず。
今回、上モノはどれも記譜の出来そうな有機的なパーツばかり。たまに覗かせる普遍的なメロディのクセから、クラシックの素養も感じさせる。メロディを立たせると、トラックが一気に親しみを帯びるので、この手の音楽には良い処方箋だ。
また音色使いも、地味に効いてくるモノから即効性のあるモノまで、流れに沿わせたり断ち切ったり渦巻かせたり芽吹かせたりと、脳内ロパーティン劇場を余すことなく自在に卓で視覚的に再現出来ている。
それでいて、意図したいやらしい破綻も未熟であるがゆえの崩壊もなく、曲/アルバム単位で安心して身を委ねるコトも出来る。

端的に言えば、キャッチーでもあり、歯応えもある。そこら辺の匙加減の絶妙さが、本作最大の長所かと思う。
難しく考えないで、美しくて心地良い音色が匠の技で織り込まれた作品、と思えばそんなに高いハードルでもないはず。

M-01 Boring Angel
M-02 Americans
M-03 He She
M-04 Inside World
M-05 Zebra
M-06 Along
M-07 Problem Areas
M-08 Cryo
M-09 Still Life
M-10 Chrome Country
M-11 Gone (Bonus Track For Japan)

日本盤のみボートラは、間曲に使えそうな一分程度の小曲。要らないと言えば要らないが、投げっ放し感漂うこのシュールな余韻、筆者個人的には嫌いじゃない。


2014年2月28日金曜日

TYONDAI BRAXTON 「Central Market」


まずはこのタイヨンダイ・ブラクストンという人のバックボーンを知る必要がある。
1978年、NYC生まれ。父はシカゴを根城に大活躍したジャズサックス奏者:アンソニー・ブラクストン
幼少期はクラシックばかり聴かされていたようだが、物心ついた頃には(音楽的)反抗期からか、普通にロックやクラブミュージックへと傾倒していく。
その一方で、ハートフォード大学にてきちんと作曲法を学んでいたりもする。

そんな彼がBATTLES在籍時の2009年にリリースした、単独ソロ名義二枚目。
無論、Warpより。

いきなりだが、本作にBATTLESの曲調を期待しない方が良い。バンドとソロは別物なのに、『思てたんと違ーーう!!』なんてちゃぶ台をひっくり返すのは行儀が悪い。
返す返す申し上げるが、彼はきちんとクラシックの教育を受けた音楽家なのだ。きちんと創り手の人となりを理解せず、少しでも己の抱くイメージにそぐわないと断罪するのは、いつも語っているが絶対に良くない。
その通り、前半四曲はロックですらない。楽団をまるごと呼び、同じようなバックボーンを持つもあえてクラシック側で根を下ろしたケイレブ・バーンズにタクトを振らせた、ブラクストン流のクラシックに仕上げてしまっている。
〝流〟だからして、まんまクラシックをしている訳ではない。そこに彼らしい工夫が随所に込められているのがミソ。
「Mirrored」の初っ端を飾ったあの口笛の音など、BATTLESでも散見された人懐っこい音色使いや、声を加工してオーケストラルヒット(略してオケヒット)を生成したりや、クラシックっぽくないビート感と装飾音をセオリー無視で忍ばせたりや、既成の規制を取り払った自由な音楽を期成しようと心血注いでいるのが十二分にも伝わる。

ほら、そろそろ、(思てたんと違うけど)許せてきたでしょう?

そこで後半、ぐいっと聴き手を引き寄せる。
ドローンアンビエントのM-05を経たM-06では軽快なビートの背景にヴァイオリンを垂れ込め、歯切れの良いギターや朗々とした歌声を立てていく、逆にクラシックフレイヴァーを持ったBATTLESでも演れそうなヘンテコロックを平然と。M-07も生オーケストラなど絡ませつつ、聴き手に落としどころを悟らせない変態曲。
これで巧く大団円。こーゆーの求めてたんでしょ? と言わんばかりに。
(日本盤のみボートラは、声ネタを重ねていくブラクストンが得意な手法でのノンビート曲。コレでも良い締め)

『あー、やっぱこの人は別次元だなー』と思わせる何かを、彼は持っている。
だが、『一所に収まりそうもない奴だなー』という感じも、大いにする。

M-01 Opening Bell
M-02 Uffe's Woodshop
M-03 The Duck And The Butcher
M-04 Platinum Rows
M-05 Unfurling
M-06 J. City
M-07 Dead Strings
M-08 Ex Cathedra (Bonus Track For Japan)


2013年1月22日火曜日

TOWN AND COUNTRY 「Up Above」


全手動ミニマル四人組、2006年の五枚目。

彼らが、長音を多角的に絡めていく雅楽風な音世界を確立したのが前作。あの時点の拙文ではあえて〝洋風雅楽〟と称したが、本作では更に斜め上の発展を遂げている。
前作までに用いてきたヴィオラ、アコギ、ウッドベース、チェレステなどの洋風楽器に、タイのケーン、インドのタンブーラ、北アフリカのゲンブリ、日本の尺八などの民族楽器を平然と混入し始めたのだ。
しかもM-06、07では最強の音色・人声を出来損ないのホーミー(モンゴル)という形で初披露。
その音色総数、二十四。
三作目までは爪弾かれた音色を紡いでいく手法が、前作で長音を折り重ねていくそれへの移行を画策し、本作ではそれを多種多様な楽器で実行していこう、となった訳だ。

ただしコレにより、何となーく引っ掛かる点が生まれてしまった。
単に難解化した。それだけ。
洋風楽器に各国の民俗楽器をエキゾティック要素目的ではなく、音色の多角化のみの理由で投入した。如何にもこの界隈の連中らしい妙案だと思う。
ただコレ、演り過ぎると輸入盤ラストのM-10や日本盤ラストのM-12のような、情報が錯綜して聴き手側がリラックス出来ない状態に陥るのだ。
こうなるともう、快楽原則に法って音を出しているのか疑わしくなる。

だがこの据わりの悪さと似たような方向性の音楽ジャンルもあったりする。
ずばり、ノイズミュージックだ。
〝ハーシュ〟と呼ばれる耳垢をすっ飛ばす破音が分散して襲って来る音像だと考えれば、不思議と難しく考えずに受け入れられるはず、ノイズ耐性があれば

じ・つ・は、そこまで強烈な音像の曲ばかりでもなかったりする。前作の踏襲程度で、ドローンっぽくだらーっと聴き流せる曲だったり。M-09のようにほぼアコギ一本だけど三作目以前とは違う鳴らし方の曲だったりする。
脅かして申し訳ないが、割とハードルが高めのアルバムだと思うのであえて。
だからこそ、ありのままを受け入れる逆転の発想を。音楽なんざ、頭で考えて聴くだけ損なんだぜ!

M-01 Sun Trolley
M-02 Fields And Parks Of Easy Access
M-03 Phoney Fuckin' Mountain
M-04 Bee Call
M-05 Cloud Seeding
M-06 Blue Lotus Feet
M-07 King Of Portugal
M-08 Belle Isle
M-09 Almost At White Glass And Sun
M-10 Up Above
M-11 Sun Trolley Part 2 (Bonus Track For Japan)
M-12 Up Above The World (Bonus Track For Japan)

M-06はエルヴィスやジョージ・ハリスンも傾倒したヨガの導師:パラマハンサ・ヨガナンダの、M-07はポルトガルの賛美歌のカヴァー。


2012年5月22日火曜日

COLLEEN 「Les Ondes Silencieuses」


フレンチおねーさん、セシル・スコットによる三枚目。2007年作。

まず本作を語るにおいて、彼女が十五年間もの間探し続け、遂に2006年初頭! ねんがんのがっきをてにいれた! ことから書き始めねばなるまい。(誰だ! 「ころしてでも うばいとる」と思った奴は!)
主に十六世紀から十八世紀頃まで用いられ、やがて廃れてしまった擦弦楽器〝ヴィオラ・ダ・ガンバ〟がそれ。
察しの良い(Jリーグ好きな)方はもうお分かりだろう。その名の通り〝脚(Gamba)〟で支え――そうそう、ジャケのように立てて弓で弾く、ヴァイオリン属のようで系統の違うこの楽器が、本作中のM-01、M-04、M-05、M-08.、M-09と、大活躍を果たしているのだ。

だからという訳ではないが、本作は全体的に不穏な空気を漂わせている。ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器の音色(ねいろ)がそうさせるのか。
それはまるで、やはりジャケのような鬱蒼とした森の中で独り、誰に聴かせる訳でもなく楽器を奏でているような。
なーんてね。率直に書けば、録り方が前作までとは少し違う。
彼女自身が弾くさまざまなアコースティック楽器を、音数絞って静謐に生々しく重ねていく手法は変わらない。
ただ、音色(おんしょく)にエコーやフィルターを掛け、幻想的空気を醸し出した音像ではなく、鳴る音をありのままに録る、生々しさを前面に押し出したそれなのだ。
もしや素材本来の旨味を際立たせるため、あえて加工せず――

いやいやいや、もし彼女が「やっと手に入れたのー、聴いて聴いてー!」なんて見せびらしているとしたら、あまりに鬱屈した仕上がりだなあ、と。
だからこのヴィオラ・ダ・ガンバからインスピレーションを受け、彼女が編んだ作品と考えるのが自然なのかも知れない。

M-01 This Place In Time
M-02 Le Labyrinthe
M-03 Sun Against My Eyes
M-04 Les Ondes Silencieuses
M-05 Blue Sands
M-06 Echoes And Coral
M-07 Sea Of Tranquillity
M-08 Past The Long Black Land
M-09 Le Bateau


2012年5月6日日曜日

SAO PAULO UNDERGROUND 「Principle Of Intrusive Relationships」


コルネット奏者、ロブ・マズレク大将がプラジリアンジャズメンと組んだ渾身のプロジェクト二枚目。2008年作品。レーベルは前作同様、Aesthetics(音量注意)。
編成は大将と相方のマウリーシオ・タカラに加えて、二名のパーカッショニストを迎えている。つまり太鼓三段構えだ。さすがはビートを最重要視するラテンの血/地か。

さて……以前書いた通り、本作は相当エグい。マズレク音源中、図抜けたエグさ。他の音源とはダブルスコアつけて聴きづらい。はっきり言ってコレを大将入門盤にして欲しくない。もっと他にも良いのありますよって。

何がエグいのかと言えばその極端な録音状態。
まずハナのM-01から前作同様、フリージャズちっくなポリリズム曲(つか公開リハーサル)で既にこれからかっ飛ばすぞ! という無用な意気を感じる。
明らかに前作から劣化した、もわもわもこもこした音像の中、一本のコルネットを取り囲むように三基の太鼓が好き勝手に鳴らされる訳である。門外漢からすれば、こんなのわけがわからないよ、と匙を投げたくもなるわ、と。
ただこの曲、途中から存在感を顕わにしてきたベースに引きずられて、徐々にメンバー四点のピントが合い出すこの兆しがめちゃめちゃカッコイイ。
以後、ダビーなんだか偶発セッションなんだか悟れない、如何にもし難い音像が繰り広げられる。時にはばっきばきの音割れも辞さない。M-03やM-08など、大将自慢のコルネットの響きが、安っぽいサンプラーによる加工で聴くも無残に溶解している。M-04は各楽器のバランスが一切取れていない、まるでシャツのボタンを掛け違えたまま街を歩くような珍曲。M-06に至っては周波数の合わないラジオを聴いているかのようだ。

で、誰かに「こんなの聴いて面白いの?」と訊かれたら、筆者は満面の笑みを呈してうんっ、と頷くだろう。変なモン聴いて悦に入ってる俺は人とは違うぜ愚民ども! みたいなキモチワルイ上から目線ではなく、純粋に。
演るコト成すコト極端で、この音像に慣れてくると痛快に聴こえるのだ。
四十代半ばに差し掛かった中年太りのオッサンが、ココまで尖がった音を創るのかと。このオッサン、還暦過ぎてもぎらぎらした音楽創ってそうと(おまけに二十代の情婦も抱えてそう)

マズレク大将というミュージシャンは、象徴的なコルネットの吹き方からして、常に気持ち良い音を念頭に置いて音楽を創ってくれる人だ。
本作もその表現軸は変わっていない。相変わらず一音一音に痺れる。
ただ今回に関しては、その聴かせ方があまりに異常なだけだ、と思おう

M-01 Final Feliz
M-02 Barulho De Ponteiro 1
M-03 Barulho De Ponteiro 2
M-04 Pulmões
M-05 Entre Um Chão E Outro
M-06 Cosmogonia
M-07 Imã
M-08 Só Por Precaução


2012年3月26日月曜日

THE BOOKS 「Thought For Food」


NYC出身だけど見るからにナードな風貌のニック・ザムートとポール・デ・ジョンのデュオ、2002年発表のデビュー盤。
オリジナルリリースはドイツのTomlabレーベルだが、2011年のリマスター再発はブルックリンのTemporary Residence Limitedからとなっている。その際、ジャケも差し替えとなった。筆者は旧盤しか持ってないし、こっちの方が好きだから古いままで良いのっ!

作風を端的に表せば、ファニーな雰囲気が持ち味のフォークトロニカ。ドラムで拍を取らず、アンプラグド楽器の生演奏に隠し味程度の電子音を振り掛けた音像は、このジャンルの第一人者・初期FOUR TETよりもフォークしている。
だがこの、もはや死語と化しつつあるジャンルの雛型かと言えば疑問符が浮かぶ。

意味の有無を問わせない、妙ちくりんな声ネタ(何で日本語の株放送が?)をコラージュばりにべたべた貼り付けたかと思えば、ザムートがゆるゆる歌ってみせたりもする。トラック構成も、脈絡ない音色がどんどん刷り込まれ、聴き手の脳内を攪拌することしばしば。
アコギはもちろん、ベースやバンジョーやマンドリンやヴァイオリンやチェロなど、弦楽器に特化してふんだんに用いる。主となるアコギも普通に爪弾いたかと思えば、指で弾(はじ)くようにかき鳴らしたり、弦を何かで叩いたり、ベースでいうスラップのような音を出したりと、鳴らし方に必要以上の工夫を凝らしている。
この音への執着心、正にナードの成せる業。

子供の心を持つ大人二人が音を用いて遊び倒す、たのしい音楽じっけん読本。
まったりムードかと思わせておいてその実、かなりはちゃめちゃ。滅茶苦茶なのかと思えば、すっきり明瞭。難読文字にもフリガナ振ってありますよ、と。
一体どっちが実体? と問われても二人、飄々とした笑みを見せるだけ。裏の裏は表。

M-01 Enjoy Your Worries, You May Never Have Them Again
M-02 Read, Eat, Sleep
M-03 All Bad Ends All
M-04 Contempt
M-05 All Our Base Are Belong To Them
M-06 Thankyoubranch
M-07 Motherless Bastard
M-08 Mikey Bass
M-09 Excess Straussess
M-10 Getting The Done Job
M-11 A Dead Fish Gains The Power Of Observation
M-12 Deafkids

でも2012年初頭、ザムーラが解散宣言しちゃったよ。悲しいね。


2012年2月8日水曜日

SAO PAULO UNDERGROUND 「Sauna: Um,Dois,Tres」


居住地をブラジルはサンパウロに変えたシカゴジャズシーンの顔役、ロブ・マズレク大将が、太鼓叩きのマウリーシオ・タカラと組んだ2006年初作品。
レーベルはシカゴのAesthetics(音量注意)。

クレジットには古馴染みのジョシュ・エイブラム(TOWN AND COUNTRY、THE ROOTSなど)やチャド・テイラー(CHICAGO UNDERGROUND系)の名も見られるが、ほとんど現地のブラジリアンミュージシャンで固めている。
いや、〝固めている〟という表現はこのプロジェクトを語る上で適切ではない。クレジットにおけるテイラーのパートが〝Short Drum Sample〟な点で何となく察して欲しい。
何しろ、ゲストプレイヤーなど音のパーツでしかないのだから!

卓! 加工! エディット! ミックス! オーヴァーダブ!

大将はご親切にもタイトル曲のM-01でさっそく、このアルバムのあり方を示している。ヘッドフォンをご用意を。
サウンドチェックのような声から、ぱらぱらとタカラのドラムと大将のコルネットが鳴り始める、左右のチャンネルで別々の音が。フリージャズどころの話ではない。ポリリズムにすらなっていない。二人の捻り出す〝音色ども〟が聴き手の脳内のあちこちで揺さぶりを掛け、混沌の坩堝へと落とし込む。
いいかい? 〝演奏〟じゃなくて〝音色〟だよ、と。
それがようやく霧散し、全ての音が止んだ後……一発で誰が吹いているか分かるコルネットが響き、ラテンの肉感的なビートがそれを後押しするM-02が弾けた瞬間、聴き手毎の本作における評価が決まると思う。
ただしこの曲は二層構造で、中間部に編集の賜物であるドローンノイズを噛ませてある。そこから再び肉感的なビートとコルネットがフェイドインで戻って来て締める、まるで楽団が町内一周パレードしたような素敵曲! と思える方は、おそらく本作を気に入っていただける方なのではなかろうか。
以後、アンサンブルでは味わえないテクスチャの妙を存分に堪能出来る。
ビート感が明らかにラテン風味なので、CHICAGO UNDERGROUND系とはきちんと差別化が計れているし、エディット感はこちらの方が強いくらいだ。

マズレク大将がジャズを多角的に視ているコトが分かる秀作。
ただし! はエグいよ。本作が洗練されている、と言いたくなるくらいね。

M-01 Sauna: Um, Dios, Tres
M-02 Pombaral
M-03 The Realm Of The Ripper
M-04 Olhosss...
M-05 Afrihouse
M-06 Black Liquor
M-07 Balao De Gas
M-08 Numa Grana
M-09 O Armarinho (Bonus Track For Japan)
M-10 FSY (Bonus Track For Japan)

日本盤は、ボートラのM-09が本編であるM-07の終いから続くへんてこな声ネタループを引き継いで大将の寂しげなコルネットが乗る連動性のある曲なので、ちょっとしたお徳盤。ないよりあった方が良い程度だけど、筆者はこちらを薦める。
M-10もアレだしね……。


2011年9月24日土曜日

RADIAN 「Juxtaposition」


以前書いたTRAPISTでもドラムを担当しているマーティン・ブランドルマイヤーのメインバンドがこちら。他のメンバーもレーベルオーナー(シンセサイザー)、ライヴハウス付のエンジニア(ベース)と、一筋縄ではいかない音響野郎で脇を固めている。
本作は2004年作品の三枚目。
エンジニアはThrill Jockey Recordsと言えばこの人、Soma Studiosの引き籠り職人:ジョン・マッケンタイア。

えと、あの、非っ常ーゥに言いづらいコトなんですがァ……別にRADIANで演っているコトをTRAPISTへ持ち込んでも、音の素人である我々聴き手にはさほど違和感もないという。その逆もしたり。
現に日本盤のみのボートラ(M-10、11)のマスタリングは、TRAPISTのギタリストが手掛けていたりする。
え? ほんとにもしかして、鍵盤と六弦楽器の違いだけ?
まあまあまあ。それだけ両バンドの首魁・ブランドルマイヤーには、誰にも譲れない、確固たる音楽的ヴィジョンがあると思いねえ。
だからと言って『メンバーが違うから別バンド』なんて落ちでもなさそうな。

そこで両作品を聴き比べること数時間。
どちらも2004年作品なので、比較対象としてはこれ以上ない素材だ。

メロディをほぼ排除したシンセによる長音の鳴り。抜けの良いブランドルマイヤーのビート。それらに付かず離れずのベースラインと、その他に使用される楽器。加えて、副次的に発生する雑音(グリッチ)――
これらがやけに組織立って鳴っている上に、加工品としか思えない質感の音パーツも鼓膜に響いてくる。
漠然とだが、まずはざっくり鳴らしてから細部をちょこちょこ色付けしていくのがTRAPISTだとすれば、細部を(グリッチですら!)卓に持ち込んで徹頭徹尾弄り倒すのがRADIANなのかも知れない、と筆者は結論付けることにした。
もはやRADIAN側の三人が弾いている音など、パーツに過ぎないのだ!
分家の方がバンドっぽいのも変な話だが、本家は明らかに手間隙が掛かっているという点で、メインを張る意味がある。

けど、そんなコトをわざわざ踏まえてまで聴いても、気持ち良くなれないよ!
やはりぽーっと鳴らし、ほけーっと聴くべき音楽だと改めて気付かされる。

てんかい? ぎこう? りろん? なあにそれェ。きもちいのォ?

M-01 Shift
M-02 Vertigo
M-03 Rapid Eye Movement
M-04 Transistor
M-05 Helix
M-06 Ontario
M-07 Tester
M-08 Tiefenscharfe
M-09 Nord
M-10 Axon (Bonus Track For Japan)
M-11 HLx2 HLx2 (Bonus Track For Japan)


2011年7月6日水曜日

TRAPIST 「Ballroom」


欧州随一の音響立国:オーストリアはウィーンの三人組による2004年発表の、厳密には二枚目。(初作品はメンバーの連名)
米国はシカゴの音響系総本山:Thrill Jockeyより。

実も蓋もないが、多くの文字情報を詰め込んで聴く音楽ではない。
ドラムのマーティン・ブランドルマイヤーが、同じくThrill Jockey所属のRADIANでも撥を振るっていることぐらい知っておけば、それで事足りる。
多くなればなるほどこのバンドの、この作品の、この音世界の邪魔になる。

一聴、ハードルが物凄く高い音楽である。
ドラムとアップライトベースとアコギによる即興演奏を軸に、さまざまな音色パーツをスタジオに持ち込んで重ねる手法。
ここら辺の〝音響系〟と呼ばれる輩が演る即興は、ただでさえ受け入れづらい即興という手法をこねくり回して聴き手に提供するので、まるで音に〝イチゲンさんお断り〟の札が下がっているように聴こえてしまう(おそらくジャズのDNAゆえだろう)。ストーナーやサイケ連中のように、安易に垂れ流してくれないのが難点だ。
だがココで逆に考えてみよう。この手の音響派連中の即興は、音に一定の理性を介在させて聴き手の快楽中枢を意図的に擽ってくるのだ、と。(演奏者たちだけ楽しんでるインプロは自慰だぞ! そんなの表現じゃないんだぞ!)
更にこのTRAPISTは、スタジオでその即興演奏をわざわざ編集して、より痒い音に仕立て上げてくれるばかりか、もっとむず痒い思いをさせようと、気持ち良い音をわざわざ書き加えてくれているのだ、と。
問題はその音の鳴らし方が聴き手にとって気持ち良かったか、なのだ。

たまにその音がパーツの一片をそっと五線譜の上に置いただけの、旋律にすらなっていない曲もある。リズムにすらなっていないボトムの曲もある。
何コレ、音楽じゃない! と拒否反応を示す前に、その奥で何が鳴っているのかを気にして欲しい。そこには予期せぬ音(グリッチ)を含めた、聴き手の予想だにせぬ副音が細菌のように蠢いているから。

ざーっと粗塗りした幽玄な背景に、きちっと音色を細部まで書き込んだこの音世界は、まるで水墨画のような。
とにかくだらーっと浸って欲しい。頭を使うだけムダ。

M-01 Time Axis Manipulation (Part 1)
M-02 Time Axis Manipulation (Part 2)
M-03 Observations Took Place
M-04 The Meaning Of Flowers
M-05 For All The Time Spent In This Room
M-06 Hello Again (Bonus Track For Japan)

日本盤は6分にも渡るM-06を追加収録。


2011年6月2日木曜日

TOWN AND COUNTRY 「5」


見て! この素敵ジャケ。シックでいいなあ。
シカゴの人力ミニマルアンビエント四人組の、こんなタイトルだけど四作目。2003年作品。なぜ「5」かは、ミニアルバム扱いのコレをカウントに入れているため。

このバンドは日本の音楽に強く影響を受けている。
もちろんジャパコアでもない。ノイズ系でもない。V系でもなければテクノでもない。
ずばり〝雅楽〟である。
彼らは雅楽の、長音を幾重にも塗り重ねる手法に感銘を受けた。前作「C'mon」までは出し殻のようにひっそりと鳴らす生楽器の音を、なるべく最小音数で荒縫いし、反復してきた。
本作でもその色は残している。元々が一音一音に自己主張を籠め過ぎないさりげなさで、すっと聴き手の心に寄り添う淑やかな音像が持ち味のバンドである。
で、M-04。いきなり静粛を劈くヴィオラの音、掻き鳴らされるアコギで、このバンドが新機軸を打ち出そうとしているのに気付くであろう。

各楽器がポリリズミックに鳴らされようとも、曲中で同士討ちせずに共存するこの質感。それを即興ではなく全て理詰めで演奏するこのメソッドこそ、彼らが目指した洋風雅楽なのではなかろうか。

本作発表後、教会にて演った来日公演で手応えを掴んだ彼らはこれ以降、雅楽色を更に強めてしまう。それもそれで良いのだが、この分岐点にあたる本作はひっそり人力ミニマルと洋風雅楽、正に双方の良いトコ取り。
気持ち良い音たちが、気持ち良く織り重ねられ、気持ち良い湯加減で、気持ち良く耳に馴染んでくれる。
至福だなあ。

M-01 Sleeping In The Midday Sun
M-02 Aubergine
M-03 Nonstop Dancer
M-04 Lifestyled
M-05 Old Fashioned
M-06 Shirtless
M-07 I'm Appealing (Bonus Track For Japan)
M-08 Lost And Found (Bonus Track For Japan)


2011年5月2日月曜日

COLLEEN 「The Golden Morning Breaks」


フレンチおねえさん、セシル・スコットによる2005年作の二枚目。
レーベルはSUSUMU YOKOTARIOW ARAIなどのアルバムを配給し我が国と縁の深い、英国はヨークシャーのThe Leaf Label

まずジャケットが良いじゃないですか。
幻想の世界。そんなたゆたう世界を天使に誘(いざな)われて歩き回るような音世界。カメラのレンズに油を塗って、曰くありげにぼかして。
一角獣は本来獰猛だが、純潔の乙女の前では大人しくなるらしいね。

さて、一枚目「Everyone Alive Wants Answers」はほんの隠し味程度に電子音が散りばめてあったが、本作(以降)はまったくの生音。彼女自身が演奏するクラシックギター、オルガン、オルゴール、チェロ、鉄琴、琴(?)、ツリーチャイムなどを曲毎に使い分け、自ら編集し、創り上げている。CD印刷面がディスクオルゴールを模している通り、オルゴールちっくに組まれたトラックもある。
生音基調でエレクトロニカなのか? という疑問符もあろうが、指が弦をこする音、爪が楽器に触れる音、録音機器から発生するグリッチまで拾い、繊細に紡いでいく手法は明らかにエレクトロニカの影響下にある。
エレクトロニカは電子音を使うべきだとするのなら、彼女のような音を創る者たちへ〝ネオクラシック〟なんて言葉を用意しているらしい、誰かが。
ジャンルの細分化は鬱陶しい。

多彩な楽器を多才な女性が操り、全十曲をさまざまな色で彩っていく。
そこには驚きはないがその分、聴き手の邪魔をしない。幼き天使の姿をした彼女が導く世界へと、沁み込むように浸らせてくれる。
これは聴く絵本だ。

M-01 Summer Water
M-02 Floating In The Clearest Night
M-03 The Heart Harmonicon
M-04 Sweet Rolling
M-05 The Happy Sea
M-06 I'll Read You A Story
M-07 Bubbles Which On The Water Swim
M-08 Mining In The Rain
M-09 The Golden Morning Breaks
M-10 Everything Lay Still

日本盤はこの翌年、何とほぼ同時期に発表されたミニアルバム「Colleen Et Les Boites A Musique」が付いた二枚組仕様になっている。
気になるDisk-2の内容は、これまた驚きのほぼ全編オルゴールトラック。痒いところに手の届く素敵カップリングだ。