2014年2月28日金曜日
TYONDAI BRAXTON 「Central Market」
まずはこのタイヨンダイ・ブラクストンという人のバックボーンを知る必要がある。
1978年、NYC生まれ。父はシカゴを根城に大活躍したジャズサックス奏者:アンソニー・ブラクストン。
幼少期はクラシックばかり聴かされていたようだが、物心ついた頃には(音楽的)反抗期からか、普通にロックやクラブミュージックへと傾倒していく。
その一方で、ハートフォード大学にてきちんと作曲法を学んでいたりもする。
そんな彼がBATTLES在籍時の2009年にリリースした、単独ソロ名義二枚目。
無論、Warpより。
いきなりだが、本作にBATTLESの曲調を期待しない方が良い。バンドとソロは別物なのに、『思てたんと違ーーう!!』なんてちゃぶ台をひっくり返すのは行儀が悪い。
返す返す申し上げるが、彼はきちんとクラシックの教育を受けた音楽家なのだ。きちんと創り手の人となりを理解せず、少しでも己の抱くイメージにそぐわないと断罪するのは、いつも語っているが絶対に良くない。
その通り、前半四曲はロックですらない。楽団をまるごと呼び、同じようなバックボーンを持つもあえてクラシック側で根を下ろしたケイレブ・バーンズにタクトを振らせた、ブラクストン流のクラシックに仕上げてしまっている。
〝流〟だからして、まんまクラシックをしている訳ではない。そこに彼らしい工夫が随所に込められているのがミソ。
「Mirrored」の初っ端を飾ったあの口笛の音など、BATTLESでも散見された人懐っこい音色使いや、声を加工してオーケストラルヒット(略してオケヒット)を生成したりや、クラシックっぽくないビート感と装飾音をセオリー無視で忍ばせたりや、既成の規制を取り払った自由な音楽を期成しようと心血注いでいるのが十二分にも伝わる。
ほら、そろそろ、(思てたんと違うけど)許せてきたでしょう?
そこで後半、ぐいっと聴き手を引き寄せる。
ドローンアンビエントのM-05を経たM-06では、軽快なビートの背景にヴァイオリンを垂れ込め、歯切れの良いギターや朗々とした歌声を立てていく、逆にクラシックフレイヴァーを持ったBATTLESでも演れそうなヘンテコロックを平然と。M-07も生オーケストラなど絡ませつつ、聴き手に落としどころを悟らせない変態曲。
これで巧く大団円。こーゆーの求めてたんでしょ? と言わんばかりに。
(日本盤のみボートラは、声ネタを重ねていくブラクストンが得意な手法でのノンビート曲。コレでも良い締め)
『あー、やっぱこの人は別次元だなー』と思わせる何かを、彼は持っている。
だが、『一所に収まりそうもない奴だなー』という感じも、大いにする。
M-01 Opening Bell
M-02 Uffe's Woodshop
M-03 The Duck And The Butcher
M-04 Platinum Rows
M-05 Unfurling
M-06 J. City
M-07 Dead Strings
M-08 Ex Cathedra (Bonus Track For Japan)
2014年2月26日水曜日
BATTLES 「Mirrored」
スーパーマスロックバンド、満を持してのデビューフルアルバム。2007年作。
パワー、タイム感、グルーヴ感の三拍子揃った、クラッシュシンバルの異様な高さも魅力なシーン屈指の凄腕ドラマー:ジョン・スタニアー。
経歴からすると四番目のメンバー扱いになってしまうが、ここぞという場面でごりっとしたベース音を聴かせ、存在感を誇示するデイヴ・コノプカ。
遊びさながらに様々なへんてこ音色を
最年少ながらクラシックの素養を持つマルチプレイヤーかつ、ヴォイスパーカッションも得意とする全方位音楽野郎:タイヨンダイ・ブラクストン。
――この通り、センスと技量と名声が伴った近年稀に見る存在の彼ら。まだまだ小難しいとか、スカしているとか、偏見を持たれている方も居るような気もする。
それらとはほぼ真逆の存在なのに、と筆者は思う。
確かに展開がごろごろ変わって掴みどころのないM-06は難解なのかも知れない。
だがそういう曲はこれくらいなもの。しかもその曲順は〝In〟で始まり〝Out〟で閉まるアルバムのど真ん中。おまけに曲タイトルが七色の色彩を持つ〝Rainbow〟。
あと他の曲は四人の感性に基づいて、それぞれの音を重ね合わせるモノばかり。
――え? それが難解なんだって? 聴き手のこっちもあまり深いコト考えず、心地良い音色の絶妙な絡みを漠然と楽しんでいれば良いだけなのに?
それを今回、上手に伝えやすく提供している妙薬が、全楽器界最強の音色である人声。主にブラクストンが担当する声ネタや歌である。
前もヴォイパなどをさり気なく使ってきた訳だが、彼らはインストバンド、まさか大々的に歌など使う訳がない邪魔なだけだろ、と思わせておいて先行シングルM-02をズドン。人を食ったようなロボ声ヴォーカルをフィーチャーした激ポップなキラーチューン。
その後も、
無論本人たちからすれば、難しく考えず、ただ面白いから、カッコイイから、気持ちイイから演ってみよう! の快楽原則に則っているだけのはずだ。
何せこの手のバンドにとって、声も歌も音色パーツに過ぎないのだから。
だが我々大衆は歌合戦やらのど自慢やらカラオケやら、歌を至高の音楽表現として身近に接している。誰もが音楽の授業では口を大きく開いて合唱する。
それを逆手に取ったのか、茶化しているのか、大衆受けを狙ったのかは分からないが、より一般的な表現を大々的に用いて音色の魅力を伝えた結果ポップとなった、他とは一味違う奇妙な図式のアルバム。
まるで数学(Math)の証明問題のようだ。
M-01 Race: In
M-02 Atlas
M-03 Ddiamondd
M-04 Tonto
M-05 Leyendecker
M-06 Rainbow
M-07 Bad Trails
M-08 Prismism
M-09 Snare Hangar
M-10 Tij
M-11 Race: Out
M-12 Katoman (Bonus Track For Japan)
日本盤のみボートラのM-12は二分弱のおまけ感ありありなドローンアンビエント曲なので、特に聴く必要性もないかと。
2014年2月24日月曜日
NUMB 「Helix Of Light」
四年間の沈黙の後、2010年に軒を変えて運営を再開したRevirth。その共同経営者であるNUMBが満を持して切ってきた、2012年作の三枚目。
アートワークはsonoe。
NUMBと言えば、羽虫にも似た微細なグリッチを聴き手の両耳一杯に広げ、その真ん中をビートと呼ばれる鉄棒で小突く音世界が思い当たる。
でもそれだけじゃないよ、と胸を張ったのが二枚目だった。
そこで本作。『それだけじゃない』どころか、二つも三つも縁石を飛び越える大きな変化を遂げていた。
まず挙げられるのがビート。
以前は徹頭徹尾、メタリックと言うかセラミックと言うか……硬質だが弾性に富んだビート音色を用いてその奇々怪々な音世界を演出していたが、本作はリムショットやらパワードラムやら、多彩な切り口で目先を変え始めた。
次に音色使い。
本作はM-03のシンバル連打や、M-04を装飾するパーカッションのような音など、生っぽい音色が散見される。坪口昌恭や菊地成孔とのTOKYO ZAWINUL BACHや、吉見征樹と井上憲司とSAIDRUMのDRACOなど、数々の他流試合経験を自身の作品にフィードバックさせつつあるのだろうか。
で、締めに上記二点が消し飛ぶほど大きな改革――
シンセを駆使することで、上モノが記譜出来そうなくらい有機的になった!
今までは、グリッチにグリッチを重ねた無機質なニヒリズム漂う上モノで聴き手の鼓膜を圧迫していた。
そこへきて本作。メロディアスとまではいかないが、上モノの音符化はどうだ。今までが今までだけに、『優しくなった』なんてにわかに信じ難い意見も出ている。
本人は『オッサンになったからじゃないか』と嘯いていたが、やはりコレも他流試合による効果かと思われるし、本人も自覚している節もある。
ただし、これらが今までの彼をすっかり塗り替えて、真っ新な再出発を本作から歩み始めたのかと言えば然に非ず。
やっぱり背景音として、あの羽虫が群れているかのようなグリッチを垂れ込めたり。今まで通り、装飾音が左(右)から反対側に通ったり、左(右)・中央・反対側と点在させたり、左右から中央へ寄せたり離したりと忙しない卓加工が施されていたり。結局、記譜出来る上モノとやらも、音色使いが彼独特のメタリックのようなセラミックのような質感だったり。
そこら辺は譲れない部分だろうし、日和ったと揶揄されぬよう音楽的な棘を残すべく腐心したのが見て取れる。
何よりも、これだけの変化と自我を両立した本作が、まだ彼の成長の過程である点。
この音楽性をさまざまな角度から弄れる可能性を含ませた上に、今後もうちょっと違う動きが出来るかもよ? などと示唆出来たのは大きい。
ブランクの六年間でとうとう四十代に突入したオッサンにまだまだ高い伸びしろが期待出来るなんて、日本の音楽界も捨てたモンじゃないよ。
M-01 Darkmatter
M-02 Helix Of Light
M-03 Vesica Piscis
M-04 Torus
M-05 Annulus
M-06 Cluster
M-07 Covalent Bond
M-08 Monad
M-09 Paradox
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