2011年9月30日金曜日

HELLA 「There's No 666 In Outer Space」


ザック・ヒル(Ds)とスペンサー・セイム(G)によるカリフォルニアのイカレポンチ、2007年発表の大問題作。四枚目。

彼らと言えば〝東のLIGHTNING BOLT、西のHELLA〟と並び称されるハイパーマスロックデュオである。
それがヴォーカルとベースともう一人ギターを継ぎ足した五人編成となった時点で、『俺はデビュー当時から奴らを云々』抜かす1001的な輩が黙っていない、不穏な空気が漂う。
しかも出来上がった作品がTHE MARS VOLTAやSYSTEM OF A DOWNという、ツアー帯同の際に可愛がられた兄貴分から多大な影響を受けた作風になっていた。
お陰で〝聴きやすくなった〟そうな。

以上、本作を問題作たらしめている部分である。
で? 何が問題なの? レーベル、あのIpecacだよ? 変態音楽の酸いも甘いも知り尽くしたマイク・パットン将軍のレーベルだよ?

〝聴きやすくなった〟のは整合感が増したから。おそらくレーベルカラー。今までのラフでロウな〝投げっぱなしジャーマン〟ではなく、しゃきっと〝ジャーマンスープレックスホールド〟になった訳だ。よりマスロックらしく理路整然としている。
その点は好みの問題だし、賛否両論あって良い。ただ、はちゃめちゃ躁展開は今まで以上だし、キモであるヒルの自由闊達なドラミングとセイムの奔放なフレージングは健在とあれば、長所特化を好みがちな筆者はこちらを選ぶ、ってだけ。
つかさあ……空気が類似品っぽいから批判するのではなく、変わらない部分を見つけて満足しなさいよ。似てる似てないなんて一時の問題なのにさ。
で? えっと……デュオ編成崩した? ベース(兼キーボード)のカーソン・マクライター、終始ぶきぶき歪んだ印象的なフレーズ鳴らして頑張ってるじゃない。つか彼、本体二人の別プロジェクトの常連なんだけど。
表現の幅を広げるため、たかが人を増やしただけじゃない。他のメンバーにも言えるコトなんだけど、これだけ本作に貢献しているのに、サポート扱いは酷でしょ。

とまあ、筆者がこれだけ難癖に噛み付くのも、本作の出来栄えが好みだから。Ipecacらしい変態性と彼らの異常性が巧くマッチした快作だと思う。
悪かったら庇わないってば。アーティストは創った音で勝負すべきなんだから。

今後、何度でも書くよ。『素晴らしい音をくれる方々を、型にはめるのは良くない』。

M-01 World Series
M-02 Let Your Heavies Out
M-03 The Ungrateful Dead
M-04 Friends Don't Let Friends Win
M-05 The Things That People Do When They Think No Ones Looking
M-06 Hand That Rocks The Cradle
M-07 2012 And Countless
M-08 Anarchists Just Wanna Have Fun
M-09 Dull Fangs
M-10 Sound Track To Insecurity
M-11 There's No 666 In Outer Space

ジャケのデザインはヒルの手によるもの。
M-01、06、11で強烈なサックスを吹いているのはCRITTERS BUGGINのスケリック。人選がエグいんだか的を射てるんだか……。


2011年9月28日水曜日

ADEM 「Homesongs」


FRIDGEのベーシストがアコギに持ち替えて紡ぐ、ソロプロジェクトの初作。2004年発表。レーベルは英国・倫敦の大手インディーズ、Domino Records
ミックスは同僚のキエラン・ヘブデン(G)の手で、彼の家にて行われた。同じく同僚のサム・ジェファーズ(Ds)はインナーの写真コラージュで参加している。

ココで語った通り、ADEMの朴訥とした歌声を中心に据えたフォークアルバム。
焦点はしっかり絞られているので、音楽性は揺るぎない。その一方でアコギだけでなく、さまざまな楽器が織り込んであり、音に多様性がある。当然アコギの弦が滑る音まで拾ってあり、生々しさもある。
その上、哀愁を漂わせた曲調に引っ張られるかのように、ADEMの声色まで憂いを秘めて聴こえてくる日本人仕様。

素朴×哀愁=エモエモしい。
エモい+歌モノ=日本人の大好物!

やばい。これ以上本気で書くことがない。
このアルバムはココまでの文だけで十分足るド直球のアルバム。
でも“書くことない”から大したことない訳では決してない。むしろほぼ同時期に出たFOUR TETのコレとタメ張れる完成度の高さを誇る。
「およそ隙のない優等生アルバム」と書いたら褒めているように聞こえない? 筆者は本作の素晴らしさを純粋に賞賛したいのにィ……!

ほんとちょうど、今の時期の涼しい夜にぴったり。
サビ残に追われて夜遅く帰宅する、お疲れ様な会社員の貴方へ。
つい彼氏とケンカしちゃって引っ込みがつかなくなってしまった貴女へ。
夏に上手いこと彼女が出来なくて、独り寂しい夜長を過ごす貴男へ。
聴けば余計にエモくなる本作をどうぞ。どう効果が表れるかは貴方次第。

M-01 Statued
M-02 Ringing In My Ear
M-03 Gone Away
M-04 Cut
M-05 These Are Your Friends
M-06 Everything You Need
M-07 Long Drive Home
M-08 Pillow
M-09 One In A Million
M-10 There Will Always Be


2011年9月26日月曜日

CLARK 「Turning Dragon」


前回が〝CLARK、覚醒の巻〟なら、今回は〝CLARK、飛翔の巻〟。
2008年作四枚目。

CLARKのエレクトロニカ路線は「Body Riddle」で完成を見たと言って良い。
それを以後、ずーっと高純度で焼きなませばCLARKブランドは確立し、やがて数多のフォロワーを生むだろう。もちろん銀行の跡地を買い取り、装甲車を乗り回すことも出来るような多額の印税を得るだろう。
だが彼はその先人同様、型にはめられるつもりなど毛頭なかった。

演りたい音を演りたい時に創ってこそアーティスト。
誰のため? まずは自分のため。
聴き手に対して『気に入ってもらえたらいいな』程度。そんなの当たり前だろう?

本作はのっけから打ち込み全開。前作で取り入れた生音と打ち込みの融合などハナから無視! 徹頭徹尾、電子音のオンパレード。
しかも四つ打ち! BPM速め! フロアユース! クラブで踊れよおめーら!
CLARKのやんちゃな音色使いが攻撃的に研ぎ澄まされ、特に前半はドアッパー祭り。前作で惚れて付いて来たファンの度肝をまた抜いた。
掴みは上々。
ただし、それが上っ面だけのなんちゃってクラブ仕様なら『何だ、付け焼刃のイッチョカミ野郎じゃねえか』と白眼視され、一瞬でシーンから淘汰される。

だが、やはり凄いこの男。
クラブで踊るも良し、部屋でじっくり聴くも良し、といった緻密さを併せ持つ奥深い作品に仕上げてきやがったモンだから、各所から絶賛の嵐が巻き起こった。それこそ前作までの印象が消し飛ぶほどに。(筆者の中ではちっとも消し飛んでないぞ!)
しかも前作までの随所に見られた彼らしさを、本作でも〝CLARK節〟と呼ばせない程度に散りばめる余裕のある創りなのだから、この男の才は底が見えない。
とは言え、本作の前哨盤「Throttle Promoter」どころか、「Throttle Clarance」なる最初期音源で既にこのアッパークラブ路線は切ってきたカードだし、本人にとって何を今更驚くのやら……? って感じなんだろうけど。

本当にこの界隈は一所で落ち着きたがらない奴らばかり。
リチャは名義をとっかえひっかえし、ルークはあらゆるクラブ系レーベルに顔を突っ込み、トムは作風を変えるたびに言い訳を並べ(ああ、マイクってのも居たねえ……)、人々が植えつけてくる固定観念とやらからするりと身を交わし続けた。
『自分の作品に満足しきってしまうのは、いいことだとは思えないんだ。だって自分をプッシュすることを止めてしまうだろう? (ライナーより)
そう考えるとつくづく、CLARKは彼らのDNAを授かった〝WARPの申し子〟だなあと思う。

M-01 New Year Storm
M-02 Volcan Veins
M-03 Truncation Horn
M-04 For Wolves Crew
M-05 Violenl
M-06 Gaskarth / Cyrk Dedication
M-07 Ache Of The North
M-08 Mercy Sines
M-09 Hot May Slides
M-10 Beg
M-11 Penultimate Persian
M-12 Beige Afterthought (Bonus Track For Japan)
M-13 Pending Dusk Wrench (Bonus Track For Japan)

M-04では盟友・BIBIO〝I'm Rewinding It…〟からサンプリングを拝借している。あーもう、ほんとお前ら仲良いな!


2011年9月24日土曜日

RADIAN 「Juxtaposition」


以前書いたTRAPISTでもドラムを担当しているマーティン・ブランドルマイヤーのメインバンドがこちら。他のメンバーもレーベルオーナー(シンセサイザー)、ライヴハウス付のエンジニア(ベース)と、一筋縄ではいかない音響野郎で脇を固めている。
本作は2004年作品の三枚目。
エンジニアはThrill Jockey Recordsと言えばこの人、Soma Studiosの引き籠り職人:ジョン・マッケンタイア。

えと、あの、非っ常ーゥに言いづらいコトなんですがァ……別にRADIANで演っているコトをTRAPISTへ持ち込んでも、音の素人である我々聴き手にはさほど違和感もないという。その逆もしたり。
現に日本盤のみのボートラ(M-10、11)のマスタリングは、TRAPISTのギタリストが手掛けていたりする。
え? ほんとにもしかして、鍵盤と六弦楽器の違いだけ?
まあまあまあ。それだけ両バンドの首魁・ブランドルマイヤーには、誰にも譲れない、確固たる音楽的ヴィジョンがあると思いねえ。
だからと言って『メンバーが違うから別バンド』なんて落ちでもなさそうな。

そこで両作品を聴き比べること数時間。
どちらも2004年作品なので、比較対象としてはこれ以上ない素材だ。

メロディをほぼ排除したシンセによる長音の鳴り。抜けの良いブランドルマイヤーのビート。それらに付かず離れずのベースラインと、その他に使用される楽器。加えて、副次的に発生する雑音(グリッチ)――
これらがやけに組織立って鳴っている上に、加工品としか思えない質感の音パーツも鼓膜に響いてくる。
漠然とだが、まずはざっくり鳴らしてから細部をちょこちょこ色付けしていくのがTRAPISTだとすれば、細部を(グリッチですら!)卓に持ち込んで徹頭徹尾弄り倒すのがRADIANなのかも知れない、と筆者は結論付けることにした。
もはやRADIAN側の三人が弾いている音など、パーツに過ぎないのだ!
分家の方がバンドっぽいのも変な話だが、本家は明らかに手間隙が掛かっているという点で、メインを張る意味がある。

けど、そんなコトをわざわざ踏まえてまで聴いても、気持ち良くなれないよ!
やはりぽーっと鳴らし、ほけーっと聴くべき音楽だと改めて気付かされる。

てんかい? ぎこう? りろん? なあにそれェ。きもちいのォ?

M-01 Shift
M-02 Vertigo
M-03 Rapid Eye Movement
M-04 Transistor
M-05 Helix
M-06 Ontario
M-07 Tester
M-08 Tiefenscharfe
M-09 Nord
M-10 Axon (Bonus Track For Japan)
M-11 HLx2 HLx2 (Bonus Track For Japan)


2011年9月22日木曜日

MELVINS 「(Lysol)」


すごいひとびとの、1992年作品。
本来は「Lysol」というタイトルだったが、某防虫剤を発売する会社からクレームが来たので、(右側の文字を消し)セルフタイトルになりましたとさ。
いつものバズ(G、Vo)とデイル(Ds)に、今回は美味しそうなバンドには必ず顔を突っ込むハイエナ野郎、ジョー・プレストン(B)が参加。

ご覧の通り、ランタイム31:21のワントラックアルバムである。六つのパートに分かれた組曲のような創りになっているが、プログレ色は皆無。
“Sacrifice”はUSハードコアパンクバンドFLIPPERの、“Second Coming~The Ballad Of Dwight Fry”はALICE COOPERのカヴァーをメドレー化している。原曲よりもどろっと遅く、ずっしりとしたアレンジになっているのが彼ららしい。

で、まあ……本作初聴の方から貴重な感想を戴くと、まず決まってこう。
「いつ(曲が)始まるの?」
……いやね、始まってるじゃないのさ、微かな唸り声と引きずるようなスラッジギターが。その後、ドラムがシンバルを鳴らして、ベースがワンショットで参入するから待たれよ。Youは二分半も我慢出来ないのかね。
それが始まったはいいけど、コレがひたすら続く訳だ。ドラムがばたばた叩かれだし、ベースが曲のボトムを這い回るまで五分半も掛けて。そこから更に二分くらいコレを引き伸ばして、歌が入るまでトータルの三分の一を使う豪奢ぶり。
コレを長い(だるい、退屈、意味分かんない)と思うなら訓練が足りないし、適当/むしろ短いと思うならもう、どうしようもない。

本作はその〝どうしようもない〟人々に向けられた、こんな〝どうしようもない〟アルバムを創った人々からの〝ご褒美〟だ。
と言うか、ハナから五分も! ひたすらこのヘドロ(Sludge)のようなギター音が延々と続いた時点で! 気・付・け・よ! と音楽ドMの筆者は怒鳴りたい。

この執拗な引き伸ばしは〝焦らし〟なんだよ! と。

反復音をひたすら演ってて脳内麻薬がどばどば出て、気持ちイイから三十分続けちゃいましたァ! なんてダメ廃人などでは彼らは決してない。
むしろ彼らは本作を通して聴き手を煽っている。弄んでいる。からかっている。
最後はココからまた曲が新たに展開して、ぐいぐい来やがるんだろうなあ、と思わせといて……いきなり引く。梯子を外す。
つまり、アルバム終了。
あまりの唐突な幕切れに、聴き手はおそらく三十秒くらいぽかーんとしているだろう。そのマヌケ面を指差してげらげら笑うために、彼らは三十分もの熱いフリを形振り構わず本気で! 演奏し続けたのだ。
いわゆる〝すかし〟という奴さね。

こういう害はまるでないが悪意はある、音を使った後ろ暗いジョークを得意とする彼ら。
ドS、っつかムダな労力だよなあ。最高(にアホ)だわ、MELVINS。

M-01 Lysol
Hung Bunny
Roman Bird Dog
Sacrifice
Second Coming
The Ballad Of Dwight Fry
With Teeth


2011年9月20日火曜日

BROADCAST 「Tender Buttons」


まず、何と書き始めて良いか分からない。

英国はバーミンガム出身、トリッシュ・キーナン(Vo)とジェイムズ・カーギル(B)からなる夫婦デュオの2005年作品、三枚目。
Warp Records初のバンド』のタタキ通り、デビュー当時はVo、G、B、Key、Dsの五人編成で活動していた。

各パートの鳴らす音の配置が固定された、いわゆるモノラル録音でレトロ感を醸し出す〝古くて新しい音楽〟が持ち味の彼ら。デュオ編成になったことで、カーギルのベース音も(心なしか)増えた。加工された装飾音の割合も(大幅に)増えた。M-09を始めとするチップチューンのような新機軸も出た。
だがそれらはあくまで、キーナンの淡々としたモノトーンヴォイスを引き立たせる脇役。その軸はデビュー当時からぶれていない。

そのキーナンの歌唱スタイルはアンニュイだったりストイックだったりクールだったり……それらの彩を曲毎に使い分けるのではなく、そのまま軽く攪拌してアルバム全編で押し通すタイプである。我の強さはないので〝押し通す〟なんて言葉が的を射ていない気もするが、少なくとも器用なタイプではない。
それでも彼らはシーンに替えがそうそう居ない地位を得、アルバムは飽きることなく聴き通せてしまう。なぜか?

やはり自らの焦点を誤りなく射抜いているコト。コレに尽きる。
キーナンを引き立たせるべく曲を書き、キーナンはそれに甘えることなく歌う――デュオ形態になったことで仲睦まじい夫婦愛が結晶となって、より本作に強く表れたのだろう。
こうなると、揺るぎなき軸を持つアーティストは強い。ある一定の決まりゴトさえ守れば、何を演ってもBROADCASTの音楽になる。
単調かと思いきや、飽きのこない作風の秘密はこんなトコにあるのやも知れない。

だがそれももうおしまい。筆者はとても悲しい。(理由は各自、調べて欲しい)
カーギルの今後の音楽活動に期待したい。

M-01 I Found The F
M-02 Black Cat
M-03 Tender Buttons
M-04 America's Boy
M-05 Tears In The Typing Pool
M-06 Corporeal
M-07 Bit 35
M-08 Arc Of A Journey
M-09 Micheal A Grammer
M-10 Subject To The Ladder
M-11 Minus 3
M-12 Goodbye Girls
M-13 You And Me In Time
M-14 I Found The End


2011年9月18日日曜日

RIOW ARAI 「Beat Bracelet」


2001年発表の四作目。

まず一聴、あれっ? となる。
アルバムの前半、ビートがリムショットだったり、ぽこぽこ鳴る音色を使っていたり。割れても良いからアタックの強い音ばかりを好んで使っているいつもとはどこか違う。
聴き進めていけばいつもの音色に落ち着くのだが、それよりもビート構成がいつもの彼に比べていやにシンプル(あくまで彼基準の“シンプル”なので、他のトラックメイカー基準だとやっぱりへんちくりん)。また違和感を覚える。

筆者は「RIOW ARAIに真っ当な音は期待してないんだけどなあ……」と首を傾げつつヘッドフォンで聴き直してみれば驚いた。
ビートがシンプルになった分、音響工作がこれでもか! と言わんばかりに密だった。

曲構成は以前と一緒。ボトムライン重視で、上モノはワンショットがメイン。メロディ度外視。音は加工せず、素のまま鳴らす。
で、トラックの軸となるメインの上モノと、スネアやキックといったビートの根幹をど真ん中で鳴らすのは当然として、背景トラックに当たるハイハットを含む装飾音を、とにかくまともに鳴らさない。隙を見ては左右に揺すりたがる。一音ごとに左右へ振り分けるなど当然。同じ音を両耳で同時に鳴らすのもアリ。全く同じ音を全く違う位置で鳴らしもする。
極め付けは、ある些細なワンショットを片方の耳だけ、イレギュラーなタイム感で、極端な位置で、トラックにわざと埋もれさせて鳴らすような細っかい仕掛けまで施した点。
ココまでするかと。

要は「聴き取りやすい部分は分かりやすく組んだけど、聴き取りづらい部分こそ凝って練り上げたよ」というコトなのかも知れない。
とりあえず一度、ヘッドフォンを装着して聴いて欲しい。
なるべく頭空っぽにして聴くと、どこから音が鳴るか読めなくてメチャメチャ楽しいよ! 頭を使って聴いちゃだめだよ! すっごく疲れるよ!

で、最後のM-11は例の如くメロディ主導のアンビエントトラック。あー、お疲れさまー、って声を掛けられたような感じかなー。

M-01 Intro
M-02 Side Swipe
M-03 Kerl
M-04 Kusakari
M-05 Provoke
M-06 Revelation
M-07 New Thread
M-08 Fleeting
M-09 Brick Bat
M-10 Compress
M-11 Bitter Sweet


2011年9月16日金曜日

DALEK 「Obsence」


1トラックメイカー、1MC、1DJからなる異形のヒップホップクルー〝ダイアレック〟の三枚目。2004年作品。
レーベルはマイク・パットン将軍(とそのマネージャー)が所有するIpecac Recordings

だいたい100BPMくらいのゆったりとしつつもアタックの強いブレイクビーツに、説教臭いラップが乗るハーコースタイルが持ち味。
それをハーコーならぬハードコアたらしめているのが、フランジャーでぐしょぐしょに崩しまくったようなインダストリアルっぽいギターノイズを上モノに使うセンス。DJのコスりネタまでそのノイズを使う曲もある。
コレだけでBボーイのみを相手に音楽してないな、と気付く。(本人たち曰く、客層にはちゃんとBも居るそうな)
だからこそIpecacのような何でもアリなレーベルに所属している訳だし、ガッチガチ保守層に守られたヒップホップの裾野を広げるべく奮闘しているのは伝わる。

ただし、ノイズという実体を持たない音をフィーチャーしている以上、キラーチューンという金看板を建てづらい修羅の道が待っている。それは覚悟の上だろうし、前衛的になり過ぎて聴き手を置いてけぼりにしないようバランス感覚を保つ配慮も見え隠れする。
貫いていない、という意味ではない。どうやったら自分たちのスタイルを崩さずに、より多くの聴き手を得られるか。きちんと己の出す音世界に向き合っている真面目な人々、という印象を強く受ける。
ただ残念ながら、それにより裏目に出た決定的な短所がアルバム全体をどす黒く覆っている点を指摘せねばならない。

キャラ立ちすべくDALEKしかない音の軸にノイズを選んだ結果、アレもコレもノイズノイズと、アルバム全体を通して変化がない。
空気が張り詰めているために緊張感は高いが、どのトラックも抱く印象は一緒なのだ。ラッパーのMC DALEKが頑張れば頑張るほどその単調さが顕著になる。
ヒップホップがなぜ〝Featuring~〟みたいにオトモダチを誘って仲良くマイクリレーをするのか、クルー内にMCを複数人抱えるのか、ソロMCはトラックメイカーを使い分けるのか。単なるマイメン自慢ではないはずだ。
彼ら自体それは把握しているようで、ジャーマンロックの雄:FAUSTや、バキバキエレクトロニカ野郎:KID 606、ヘヴィ音楽界の才人:ジャスティン・ブロードリックというまったく違う畑から共演者を選ぶ異端児っぷりを発揮しているが、それを別枠扱いでEPやアルバムにするのではなく――

てめーントコのオリジナルアルバムにちりばめろよ、と。

とまあ、まるで褒めているようには思えない感想をキモに据えてしまったが、筆者はこのアルバムが好きだ。
初聴で『何コレかっけえ!』とハートを鷲掴みに出来るインパクトは十二分にあるし、聴けばがつんと前のめりに力が入る。
その点が、何だかヒップホップじゃないよなあ、と思う。いや、だからこそヒップホップなのか? PUBLIC ENEMYとかRUN DMCあたりのヒップホップ過渡期のような?

M-01 Distorted Prose
M-02 Asylum (Permanent Underclass)
M-03 Culture For Dollars
M-04 Absence
M-05 A Beast Caged
M-06 Koner
M-07 In Midst Of Struggle
M-08 Eyes To Form Shadows
M-09 Ever Somber
M-10 Opiate The Masses


2011年9月14日水曜日

CAELUM 「Weather Report」


塚原幸太郎(WORM EATEN CONSEQUENCES)のソロ名義、初アルバム。2008年作。

安易に押し込めてしまえば“BOARDS OF CANADAフォロワー”なのかもしれないが、どうも筆者には腑に落ちない。
かと言って唯一無二の個性でもない。もわーっとした背景トラックの上にピアノなどのメロディアスな主音を立てて、ややビートを刻み気味に這わす――最近増えてきたような気がする、叙情派エレクトロニカ(略して“ジョジョニカ”……なんちて)の雛形だ。
だからといって、何の考えもなしに“フォロワー”で片付けるなんて横暴過ぎる。

CAELUMのビートは打ち込み然としている。生音っぽいパーツ(スネアとキックとハイハット)を用いてあざとくビートパターンをブレイクビーツで構成せず、テクノテクノしいボトムの音色で統一している。加えて先ほど記したように、ビートの刻みは多め。割とBPMが速めのトラックもある。
それにより、音像は現代的な空気が漂う。追憶に浸らせて聴き手のエモい部分を擽る訳ではない。ジャケのようなありのままの美しい光景を、写実的に届けてくれる。
その一方で、セオリーとしては理に適わぬ音色を擦り込む挑戦的な部分も散見する。それが巧くアクセントとして機能しているのだから、彼にとって“理に適った”音色なのだろう。このような下手すると雰囲気を乱しかねない音色をBOCは選ばない。

とりあえずコレでBOCフォロワーの線は薄められた……かな?
あえて既存のアーティストと比較するならばFENNESZが一番近いと思うのだが、コレってまた新たに○○フォロワーのレッテルを張り替えただけじゃね? と自ら気付いたので取り消し線を引いておく。

一枚目できちんと基礎工事は済ませた。
本作における筆者の率直な感想は「凄く真っ当なエレクトロニカ」なのだが、基礎がしっかりしている分、以後はいくら崩しても土台は揺るがないはず。
同じような印象で以後、大化けしたあのアーティストのようになってくれたらなあ、と筆者は切に願う。

M-01 Plural Now
M-02 Apoptosis
M-03 Trpyretic Flower
M-04 Taiyo To Ame
M-05 Corona
M-06 Her Dimples
M-07 Luna Park
M-08 Magnet
M-09 An Old Man With A Stick
M-10 White Elephant
M-11 Garden


2011年9月12日月曜日

MASSIVE ATTACK 「Mezzanine」


1998年作、三枚目。

三枚目にして彼らは大きく動いた。
いきなりM-01で禍々しい低音と共にディストーションギターを導入し、前作までの湿った大人のブレイクビーツを期待する聴き手を絶句させた。
M-02では神経質に細かく刻まれるハイハットと、湯水のように使われる音色に唖然とさせられることだろう。
続いてM-03では、エリザベス・フレイザー(COCTEAU TWINS)の聖女の歌声に、思わず視界が曇ることだろう。

たった冒頭の三曲だけで、聴き手は彼らにねじ伏せられる。
以後、手を抜くことなく、アルバムはかつてのMASSIVEが得意としていたウェットで落ち着いた空気という固定観念を蹂躙し続ける。
音響工作の創り込みように悶絶するM-04。コレは以前の彩の名残かと思えば、後半でどかーんと来やがるM-06。いつも通り歌っているのにトラックのどす黒いうねりから、聖女の背中の羽が蝙蝠のそれに見えるM-10など、MASSIVEの殻をぶち破る秀曲が揃う。
もうココまで高品質な作品を創られては、彼らの新機軸を認めざるを得ないはず。

この変化を〝ロック化した〟と片付ける意見もある。
この文章を書いている時は、本作から共同プロデューサーとして起用されたニール・デイヴィッジのせいでは? などと思っていた。デイヴィッジを加算して本作を以って脱退する正式メンバーのマッシュルームを減算すると、浮かび上がるのがこの点だからだ。
だがその加減算のを求めてみたところ、この聴き手の脳裏に荒塩を擦り込むような過剰で執拗な音響工作は、デイヴィッジよりもパンクス上がりの3Dに依るところが大きいコトが判明。その一方で、マッシュルーム脱退の遠因かも知れない。
以上を踏まえて、本作から3Dが過密な音響工作を施すのに必要不可欠な、当時はまだそれほど普及していなかったPro Toolsが導入されている件に着目。
これはもう、ただ単にロックに接近したと言うよりも、生音色をも自由に取り込めるようになったから、と結論付けた方が理に適っている、と筆者なりの見解をば。

ただ、よくよく考えると3Dの台頭はMASSIVEにとって劇薬だったかも知れない、と結果論で書き残してみる。

(2014/3/26 意見の一本化を図るべく改筆)

M-01 Angel
M-02 Risingson
M-03 Teardrop
M-04 Inertia Creeps
M-05 Exchange
M-06 Dissolved Girl
M-07 Man Next Door
M-08 Black Milk
M-09 Mezzanine
M-10 Group Four
M-11 (Exchange)
M-12 Superpredators (The Mad Professor Remix) (Bonus Track For Japan)

さて、恒例の今回のゲストさん。
M-01、M-07、M-11でいつものホレスさん(M-05はM-11のインスト)。M-03、M-08、M-10で聖女・リズさん。主だった人はこれだけ。
でも今回はダディGも渋くて太い低音の声を存分に響かせているよ。それが本作の闇のグルーヴにぴたっとはまっているよ! え、TRICKY!? 誰だっけ?
あと日本盤のみボートラM-13は、タコ坊主とにやけオヤジW主演の映画『ジャッカル』サントラ収録曲だよ! 


2011年9月10日土曜日

MASSIVE ATTACK 「Protection」


1994年発表の二枚目。

前作「Blue Lines」から大きな変更点はない。
落ち着いた刻みのブレイクビーツに、ウェットな雰囲気を壊さない上モノ。押し殺すような3Dのラップ(本作ではなぜか、ダディGがM-10しか声を入れていない)に、広い人脈を駆使して連れて来た優秀なシンガー。
一枚目で既にUK音楽シーンを変えた名作を創りし者どもである。早くも王者の風格か。
強いて挙げれば、M-04とM-09が初のインストナンバーという点くらい。

で、このM-04が何とも甘美だったりする。
数々の映画音楽を手掛けたクレイグ・アームストロングが弾く、感傷的なピアノの旋律が胸を打つ名曲なので浸るべし。
アームストロングはもう片方のインスト曲M-09(M-08では編曲としてのクレジットあり)でもピアノを弾いており、『彼はピアノを〝歌わせて〟いる』と解釈すればこの起用が良く理解出来るはず。(いや、何の不満も起きるはずがないんですけどね……)

さて毎盤恒例の素敵ゲスト。
まずWILD BUNCH時代の同僚、ネリー・フーパーが共同プロデューサーとして参加。
〝Voice Of Massive Attack〟ホレス・アンディはM-05と10。M-10はTHE DOORSのアレのカヴァー。
毎度毎度鋭い人選の女性シンガーは二名。
まずM-01と06で、EVERYTHING BUT THE GIRLの前田敦子トレイシー・ソーン。この起用で株を上げたばかりか以後、自身のユニットでクラブ寄りの作品を出していく。
M-03と08ではニコレット顔に似合わない可愛い歌唱を披露している。
……あ、そうだったわー。いつものトリッキーねー。M-02と07ねー。本作限りでケンカ別れしちゃったけどー。(ほんとに最近和解したのー?)

以上を踏まえてお察しの通り、本作はM-01からM-05のA面と、M-06からM-10のB面がシンメトリーの関係になっている。アナログ万歳。

M-01 Protection
M-02 Karmacoma
M-03 Three
M-04 Weather Storm
M-05 Spying Glass
M-06 Better Things
M-07 Euro Child
M-08 Sly
M-09 Heat Miser
M-10 Light My Fire (Live)


2011年9月8日木曜日

MASSIVE ATTACK 「Blue Lines」


ブリストル音楽シーンを発展させ、その名を世界中に知らしめた偉大な連中の、記念すべき初アルバムをまず。1991年作品。
WILD BUNCHなる名は、このMASSIVE ATTACKの前身ユニットにあたる。ココから多くの有能なアーティストが巣立っていった。

さて本作はデビュー作とは思えない、落ち着き払った創りだ。
ヒップホップを基調にして、黒人奴隷を扱った港というブリストルの歴史を背景に土着したレゲエ/ダブを取り込むことで、独特の湿ったブレイクビーツを形成した彼ら。驚くべきことにそのメソッドは既に完成されている。
まるで隙がない上に、堂々としており、やんちゃな部分がまるでない。全くもって空恐ろしい初作品を創ってくれたモンだ。
まあリーダーのダディGは当時三十二歳。相方の白人メンバー、3Dは二十五歳。後に脱退するDJ、マッシュルームは二十四歳と、初めてフルアルバムというモノを創り上げた歳としては経ている方なのだから、至極当然のコトなのかも知れない。

この前年、ヒップホップの本場・米国にて、ジャズを基調に若干二十歳の青年たちが驚くほど洗練された初作品を披露した、その名もA TRIBE CALLED QUESTと比較してアレコレ考えてみても面白い。

締めにゲストメンバーについてあれこれ。
MASSIVEと言えば女性シンガーの人選の絶妙さだが、本作はシャラ・ネルソンがM-01、06、07、08で張りのある歌声を披露している。M-06の堂々たる歌唱は彼女の真骨頂であろう。(あとM-09では、WILD BUNCH時代から付き合いのあるネナ・チェリーがちょろっと参加)
忘れてはいけないのが〝Voice Of Massive Attack〟と称されるレゲエシンガー、ホレス・アンディの琥珀色の声。M-02、05、09を聴いて酔って欲しい。
あと……補欠準メンバーのトリッキーが居たっけねえ。例の如くぼそぼそラップでM-03、05、07に口出して参加している。
蛇足ながら、PORTISHEADのジェフ・バーロウが丁稚奉公エンジニア見習いとして本作に参加しているようなのだが、そんなクレジットはない。

M-01 Safe From Harm
M-02 One Love
M-03 Blue Lines
M-04 Be Thankful For What You've Got
M-05 Five Man Army
M-06 Unfinished Sympathy
M-07 Daydreaming
M-08 Lately
M-09 Hymn Of The Big Wheel