2011年11月30日水曜日

PLAID 「Rest Proof Clockwork」


日本でもお馴染みになるべきだった、アンディとエドのなかよしコンビ、1999年発表の三枚目。

前作では三名の歌い手をゲストに迎えたが、今回は〝例外〟除いて全てインスト。
M-01から彼ららしい楽しげなトラックが展開されるも、いつもとは質感がちと違う。
もったいぶらずとも答えは簡単。M-01、M-03、M-10でターンテーブリストがゲスト参加している通り、意図してヒップホップに接近したトラックもある。
もちろん〝もある〟というだけで、アルバム全体をヒップホップ色で塗り込めてしまうほど、彼らは新たな音の軸を欲していない。

あの広がりのある、メロディアスだけどどこか奇妙な音色使いの上モノさえあれば、PLAID以外の何者でもないトラックが出来上がるのだから。
聞こえは悪いが正直、毎回金太郎飴していただいても構わないくらいだ。

ただ、ちょっと……今回はPLAID節が僅かに弱いかな、と。
Warp二作目だし、いろいろ試してみようかな、とか。音色使いとか、テクスチャーとか。だからヒップホップのフォーマットを取り入れてみたのかな、と。
もちろんその試みが失敗とは思わない。成功ではなくて、ほんのちょっぴり他作品と毛色が違うってだけだが。

こんな作品もアリだと思う。男は度胸! 何でも試してみるもんさ。
こんな模索を初期に出来るのも、余裕のある証拠。下手打ってボロカスに罵られて消えた奴や、頭打ち状態で変化を求めて総スカン食らった奴などいくらでも居る。
機を見て敏なPLAIDって凄い! と褒め称えようぜ、みんな。

M-01 Shackbu
M-02 Ralome
M-03 Little People
M-04 3 Recurring
M-05 Buddy
M-06 Dead Sea
M-07 Gel Lab
M-08 Tearisci
M-09 Dang Spot
M-10 Pino Pomo
M-11 Last Remembered Thing
M-12 Lambs Eye
M-13 New Bass Hippo
M-14 Churn Maiden
M-15 Air Locked

冒頭で〝例外〟と書き記した通り、今回も豪華な歌い手、いらしていまス。
M-15終了後、無音を挿んでGOLDFRAPPのアリソン姫様がお忍びでお越しくださいました。お忍びですので、トラック名などございません。
〝姫〟とか言ってみたけど、当時既に三十路越えてるんだよな。若作りすんじゃねえよ、ババァ! もっと頑張れよ!


2011年11月28日月曜日

NADJA 「When I See The Sun Always Shines On TV」


カナダのスラッジ夫婦による、2009年発表のカヴァーアルバム。
インナーもジャケのようなイラストで構成されている。この巧く二人の特徴を捉えたイラストレーターは、Klawfulことマット・スミス

NADJAは基本、インストバンド。全編歌入り作品は珍しい。カヴァーアルバムならではの、肩の力を抜いた、本編とは別枠としての楽しみ方を薦める。
とは言え彼らは多産家ゆえ、既に自分たちの音世界をほぼ確定させてしまっているアーティスト。出て来る音もNADJAとしか答えようのない音像になる。

白昼夢とも悪夢とも取れるドリーミーでざらついたギターと、嫌々漸進するかのような牛歩テンポ。足首には重い鉄球付きの足枷。今にも泣き出しそうな曇天。

M-02やM-03やM-06のようにアコースティックな曲も、彼らに掛かれば立派な陰鬱泥濘曲に早変わり。
アレの入っているアルバムから採られたM-05や、カナダのお笑い番組からのM-07は一見、ベイカーなりのジョークなのかと思いきや、至って(生)真面目にNADJAサウンドへと変換しているし。M-04を含めて、ベイカーがキッズの頃の思ひ出曲なのかなー、と想像してにやにや出来るのもカヴァーアルバムならでは。
また、M-01のように影響土壌を剥き出しで持って来られ、苦笑させられる一面もそう。

せっかくの歌モノだし、普段通りに徹しているし、曲も当たり前だがどこか聴き覚えもあるしで、コレをNADJA入門盤にする手もアリかと。

M-01 Only Shallow
M-02 Pea
M-03 No Cure For The Lonely
M-04 Dead Skin Mask
M-05 The Sun Always Shines On TV
M-06 Needle In The Hay
M-07 Long Dark Twenties
M-08 Faith


2011年11月26日土曜日

CRIPPLED BLACK PHOENIX 「The Resurrectionists & Night Raider」


暗黒音楽系太鼓叩きのジャスティン・グリーヴスが、MOGWAIのドミニク・アイチソンやソロシンガーのジョー・ヴォルクなどを統べた五人組+αの二枚目。
レーベルは前作に引き続き、ジェフ・バーロウ(PORTISHEAD)のInvada Records

いろいろややこしいリリース形態なので、きちんと整理してから。
まず2009年、先行して本作の選り抜き盤である「200 Tons Of Bad Luck」を発表。
同年、「The Resurrectionists」(以下、Res盤)と「Night Raider」(以下、NR盤)の二枚組で後日、豪華ボックス仕様として送り出されたのが本作。
それだけでは終わらない。
2011年にはRes盤四曲、NR盤三曲の未発表曲が追加されたアナログ限定ヴァージョンを別々に再々リリース。(しかも初回プレス200枚はRes盤がオレンジ、NR盤がレッドのカラーヴァイナル)
マニヤ泣かせな……。

前作のアコースティック風味な哀路線はやや後退。代わりに前進して来たのが、70年代に隆盛を極めたプログレのかほり。(技巧至上主義で変拍子多用するだけの音楽が〝プログレ〟だと思っている者、そこへ直れ!)
つまり古臭くて、ゆったりとした曲調で、時にドラマチックに、時に勇壮に、長尺の曲を厭わず、歌モノとしての効力を度外視し、曲単位ではなくアルバム全体で語る手法だ。
それにより、ヴォルクのヘタウマヴォーカルも主ではなく、曲の一部として輝くのみに留められた。それでも聴けば「めそめそしてんじゃねえよ!」とケツを蹴り上げたくなる悲哀の歌声は健在だ。

いや、それ以上に熱い声を、コンポーザーのグリーヴが導入してきた点に注目したい。
総勢二十名から成る、The CBP Brutes Choirの存在だ。

寡黙なベーシスト、アイチソン以外のバンドメンバーと関係者、その友人たちがこぞって参加した男臭いコーラス隊は曲の情感を高めるばかりか、聴き手の意気を高揚させる。
パブで酒をかっ食らいながら、ブラウン管のTVに映るおらが街のフットボールチームの試合中継を大盛り上がりで観戦している時のような。
いやいや、実際にスタジアムでタオルマフラーを広げて、一列でピッチへと入場する我が選手たちをチャントで勇気付け、試合開始を待ちわびる時のような。
そんな熱い音を、哀の旋律に被せるこの心意気はどうだ。しかもRes盤M-01、M-08、NR盤M-03と、ここぞの場面しか使わない出し惜しみっぷりはどうだ。
それだけではないぞ! と言わんばかりの多彩な楽器と、こぞって集まったゲストプレイヤーたちが奏でる音力を感じ取れるか。

咽び泣いているようで慟哭している、じっと堪えているようで拳を天高く突き立てている、静と動をざっくり切り取ったようで丁寧に描写している、凄く深みのあるアルバム。
じっくり、何度でも聴いて欲しい。きっと心の奥底から静かに湧き上がる、熱き血潮を感じ取れるはずだ。
うーん、厨二。

The Resurrectionists
M-01 Burnt Reynolds
M-02 Rise Up And Fight
M-03 Whissendine
M-04 Crossing The Bar
M-05 200 Tons Of Bad Luck
M-06 Please Do Not Stay Here
M-07 Song For The Loved
M-08 A Hymn For A Lost Soul
M-09 444
M-10 Littlestep
M-11 Human Nature Dictates The Downfall Of Humans
Night Raider
M-01 Time Of Ye Life
         /Born For Nothing
         /Paranoid Arm Of Narcoleptic Empire
M-02 Wendigo
M-03 Bat Stack
M-04 Along Where The Wind Blows
M-05 Onward Ever Downwards
M-06 A Lack Of Common Sense
M-07 Trust No One
M-08 I Am Free, Today I Perished

曲末尾の〝〟は「200 Tons Of Bad Luck」収録曲。なぜかタイトル曲にあたるRes盤M-05が含まれていない点は気にしない。
またRes盤の内袋の手書きタイトルが〝The Ressurectionists〟とスペルミスを犯している点も気にしない。



2011年11月24日木曜日

BROTHOMSTATES 「Claro」


フィンランド人、ラッシー・ニッコーの初作品。2001年作はいきなりWarpから!

本作を薦める以上、避けては通れない言葉がある。
「AUTECHREのフォロワー」
M-04のようなバッキバキでビシャンビシャンした音色を使ってしまうと、どうしてもあの辛辣な二人組の顔を想像してしまう。しかもアルバム後半になれば、今度はテクスチャー面でその色が濃くなってしまうのは致し方ないと言うか、何と言うか……。
もちろんフォロワーがどうしたと。

だが「静謐なビートと主音が寒々しさを演出する、荒涼とした電子音楽」と書けばそれほどAUTECHREの匂いがしない。不思議!

音色の織り込み方――つまりテクスチャーの方法論を変えれば、AUTECHREフォロワーから一歩踏み出せるはずなのだ。
世界一のテクノレーベル・Warpのディレクション力もあるだろうが、初アルバムでココまで堂々たる作品を創れる才があるのだから、そこら辺は克服可能と踏んだ。
M-08はクリックのようなひっそりとした味わいもあるし。M-03はCDが傷飛びを起こしたのかと思ったし。ぽつぽつキックとぴきぴき主音がスパイラル状に追い駆っこして、やがて疲れるM-10は地味ながらもかなり聴かせるし。
M-01みたいな奇妙な主音使いでアンビエントとは小癪な真似を。
全般的に、曲がある程度進んでから音色を増やしていく手段も凄くこなれている。

これだけ出来る子なのに、何で本作以降沈黙する!

やはり白日の下に晒してこそ表現。ハードディスクに溜め込むモンではない。
エレクトロニカは独りでやれるからこそ、がしがし量産すべき。誰かに似てるとか考えない。その似てる相手が思いつかないトラックを俺が組んでいる、と自負すれば自ずとストックが増えるはず。さすればいづれ自分の色とやらが見えてくる。
彼ならさしずめ……北欧の寒々しさを電子で表したような色になるかも。違っても、良質な音楽なら期待を裏切ってくれて嬉しい。

だからさあ、それを我々に聴かせてくださいよ、と! 金なら払うっ。

M-01 In
M-02 Brothomstates Ipxen
M-03 Kava
M-04 25101999
M-05 -
M-06 Mdrmx
M-07 Te Noch RP
M-08 Kivesq
M-09 Natin
M-10 Mr. Kitschock
M-11 Detektiv Plok
M-12 Viimo
M-13 Loose Fit (Bonus Track For Japan)


2011年11月22日火曜日

FREEFORM 「Human」


Warp Recordsでおなじみのデザイナー集団、The Desiners Republicに所属していたマット・パイクを兄に持つ、サイモン・パイクの六枚目。2002年作。
本作は言わずもがなのSkam Records産だが、自分の音源を出すためだけのプライヴェートレーベルも所有している。
その名も〝Freefarm〟……(脱力)。

はっきり言って訳の分からない、食えない人、というのが率直な感想。
ただし、実力は相当高い。
水滴の音や犬の鳴き声や口笛をサンプリングとして組み込んだり。毒々しくて可愛らしくて安っぽくて奇妙な音色を面白がって使ったり。東南アジア系の民族音楽ちっくな雰囲気を持つトラックを組む一方で、その民族楽器の音色を装飾音として、東南アジア色のないトラックに忍ばせたり。最強の音色である〝人の声〟をさまざまな部分で有効活用したり。M-14のように、こんな形でアルバムを締めくくったり。
こんな滅茶苦茶な要素を、平易な表現で平然と統合出来る時点で、それはもう。

どんな音色でも貪欲に取り込む姿勢はAMON TOBINを髣髴とさせるし、聴いてて楽しい気分にさせてくれる点はPLAIDを想起させるし、無頓着で飄々としたキャラはルーク・ヴァイバートと印象が重複する。
それなのに、これらアクの強い三者と似ても似つかぬ音楽性を持っているFREEFORMって何なの!? と、この先の文を放棄したくなっている筆者が居る。
それくらい掴めない人だ。もしかして超個性っ!?
でも自己顕示欲を全く感じないSkamレーベル。いつも通りひっそり売り出されてま。

理詰めではなく、己の感性に基づいてトラックを組み、好き勝手に音源を発表する。
――まるで自分のおもちゃ箱の中身を友人にお披露目しているかのような音楽を。
凄く羨ましい人だと思う。

M-01 Big Top
M-02 Crumble
M-03 Software Exaggeration
M-04 Human
M-05 Nylon
M-06 Stander
M-07 Mango
M-08 Rain
M-09 You Should Get Out More
M-10 Spoob
M-11 Ticataca
M-12 1 x Distant Babbling Brook
M-13 Rattle
M-14 Yum Yum


2011年11月20日日曜日

RED SNAPPER 「Making Bones」


Warp発、英国は倫敦の人力アブストラクトバンド、1998年作の二枚目。
〝トリップホップ〟は死語!

重さよりも抜けの良さや切れ味を重視したリチャード・サイアーのドラム。やはり重さよりも曲の操縦性を重視したアリ・フレンドのダブルベース。この二人のリズム隊を軸に、乾いたカッティングで地味に支えるデイヴィッド・エイヤーズのギターが絡む三頭体制。
そこへ必要に応じて、管楽器ならではの派手な音を響かせるバイロン・ウォーレンのトランペットや、ジャングル系ラッパーのMCデット(M-01、M-06、M-09)、中音域の伸びを能くする女性シンガーのアリソン・デイヴィッド(M-03、M-08)を徴集し、本作は成り立っている。

ジャズっぽいようでその実、雰囲気を持ち込んだのみに留まる点。当時全盛を誇っていたドラムンベースちっくなボトムラインで構成されている曲もある点。時期的にMASSIVE ATTACKなどのブリストル界隈がぶいぶい言わせていた点――ゆえに、流行りの音を人力で演っているコトだけに着目されがちだった。
なのに、十年以上経った今でも古さを感じさせず、十分どころか十二分に身体を揺らせる出来になっているこの耐久性!
もちろん個々のセンスの高さもある。演奏技術もある。基礎はばっちり。
そこへ一つのジャンルに固執しない柔軟性と〝人力でブレイクビーツを演る〟という強固なコンセプトが相反せず同居出来たからこそ、年月を経て風化せず聴ける仕掛けになっているのだろうか。
おそらく〝人力ドラムンベース〟のコンセプトで演り続けたら、ジャンルの衰退と共に消滅する運命にあったかも知れない。

ただ彼ら、三枚目を切った後、編集盤を置き土産に2003年を以って解散していたりする。ほら、何だかんだで消滅してるじゃない!
いやいや、ユニットの存続とアルバムの耐久性は別。今も演っているけど、昔の音は古臭くて歯が浮くアーティストだって居るじゃない?

あえて音楽的焦点をぼかすことで生まれる効用もある。
〝ブレイクビーツを人力で演る〟という共通のコンセプトを持ち、あえてヒップホップに固執することで現在もシーンに君臨している、フィラデルフィアのTHE ROOTSと比較しても面白いバンドだと思う。

M-01 The Sleepless
M-02 Crease
M-03 Image Of You
M-04 Bogeyman
M-05 The Tunnel
M-06 Like A Moving Truck
M-07 Spitalfields
M-08 Seeing Red
M-09 Suckerpunch
M-10 4 Dead Monks

その更に後、2008年にひっそり復活。2011年には久々の四枚目をドロップするなど、今でも十分現役で演れるコトを証明してくれた。
まだだ、まだ終わらんよ!


2011年11月18日金曜日

RIOW ARAI 「Rough Machine」


2004年作、六枚目。今回はいつもとはちょいと違うぞ! 

彼は二枚目から三枚目へ移行する際に一度、音創りのメソッドにモデルチェンジを施している。なのに別人の如く変貌しないところが、常にぶれないこの人らしくもあるのだが。
さて今回は筆者が思うに二度目のメソッド変更盤である。
ならさぞかし……と思いきや、表面上はいつも通りだったりするのも、常にぶれないこの人らしくもあるのだが。
上モノはワンショットメイン。装飾音の鳴る位置を散らしまくる。ブロークンでアタックの強いビート。のっけがイントロで、締めがアンビエントなアウトロ。

ほんとに変わったの?
上記の列挙部分はあくまでトラックの枝葉。問題は根幹であり、本質。

具体的に言えば、以前は『どこのジャンルに押し込めて良いか分からないから、とりあえずクラブミュージックにしとけ』みたいな曖昧な位置取りに居た。それを生かして、比較的自由にトラックを組んでいたように思える。
そこへ、本作からヒップホップに自ら近付いた。
ただヒップホップと言っても、MCやトラックメーカーの観点ではなく、ターンテーブリストの視点でトラックを構築していると気付いた時点で、筆者のにやにやが止まらない。
本作を聴いて、筆者の脳内にはサンプラーのキーパッドを叩いている彼が浮かんでいない。それはもう、2ターンテーブル&DJミキサーだ。
まるで皿をこすっているかのような、つんのめる装飾音のぶち込み方からしてそう。装飾音を左右にパンした際、まるでミキサーの横フェーダーを振って出したような両耳の感触からしてそう。ビートや上モノと装飾音のグルーヴィーな絡みからしてそう。

装飾音の可能性を示唆した「Beat Bracelet」。効果向上を図った「Device People」。ヒップホップという様式を用いて具体化した本作――
これは焦点を絞った末ではなく、なるべくしてなった正当進化だと思う。

でもこの『RIOW ARAIの組んだトラックをDJ RIOW ARAIが回した』ようなメソッドは以前からちょぼちょぼ出しているのよね。本作のように完全に開花していないだけで。

M-01 Intro
M-02 Break Infection
M-03 Rough City
M-04 Forward Direct
M-05 Election
M-06 Magnet
M-07 Ground Heat
M-08 Glare Glance
M-09 Funky Jockey
M-10 Overtime


2011年11月16日水曜日

SEEFEEL 「Succour」


マーク・クリフォード率いる四人組、1995年発表の二枚目。

音世界を一言で表すと〝陰鬱〟なのだろうか。
けど重くはない。重くては浮かべない。アンビエント的な背景トラックと、サラ・ピーコックの断片的でエコーがかった声が浮揚感を演出している。
まるで打ち込みのようなジャスティン・フレッチャーのドラムと、曲のど真ん中で現れたり消えたりするダレン・シーモアのベースをボトムに敷き、あちこちで装飾音を囁かせる。
物凄く聴き手を不安にさせる音だ。
のっけのM-01からイントロでもなくノンビート、という時点で本作の妖しさ極まれり。

もはや〝冥界音楽〟と称してはばからない世界。
漆黒ではなく、モノトーン。M-08のような四つ打ち曲でも荒涼とした渇きを覚える。
アルバムを聴き進めていくと、何だか幽体離脱でもしているような気にさせる。
物凄く聴き手を選ぶ音だ。
ただ、聴き手を(カッコだけでも)冥界へ導きたいから出しているようなメッセージ性は皆無で、全ての音色を〝トリートメント〟するクリフォードの望んだ音像がコレなだけ。好みさえ合えば音楽自体にそれほどアクはない。

「世界あっての音」ではなく、「音あっての世界」なのが〝ポストロックの元祖〟と謳われたバンドたる所以だろう。

もちろん終いのM-10もノンビートだ。徹底している。
主張はないが、主義はある。上辺で着飾らず、内面で戦えるよう常に己を磨いている。とてもストイックで気骨のある音だと思うのだが、イチゲンさんには『人間味を感じない音』とか評されるんだろうな。

M-01 Meol
M-02 Extract
M-03 When Face Was Face
M-04 Fracture
M-05 Gatha
M-06 Ruby-Ha
M-07 Rupt
M-08 Vex
M-09 Cut
M-10 Utreat


2011年11月14日月曜日

JEGA 「Variance」


ジェーガー!
ということで、ロゴもまんまなSkam生まれPlanet Mu育ち、ディラン・ネイザンによる2009年発表の三枚目は、なんと九年ぶりの復活作。すったもんだがあったんデス。
ジャケはネイザン自身の手によるもので、Vol.1のM-04にもある『The Girl Who Fell To Earth』なるタイトルが付けられている。厨二素敵デスネ。

自業自得なのか災難なのかは分からないが、彼は2003年に発表する予定だった3rdアルバムのマテリアルをネットに流出させてしまっている。
その〝すったもんだ〟の鬱憤晴らしで二枚組の大容量になったのかといえば、然に非ず。
本作収録曲は流出した音源に相当手を加えて送り出している。
『The Girl Who Fell To Earth』は#1と#2があり、それぞれ陽/陰になっている。
Vol.1、Vol.2共に、ランタイムが四十分未満(=合わせてもCD一枚で収まる容量)。
以上により、プランが先延ばしになっただけで二枚組は予定事項だったと思われる。

さて本作。せっかくの二枚組を利用して、Light SideのVol.1と、Dark SideのVol.2の二極分裂を音で語っている。
Vol.1はハッピーなアッパートラックかと思えばゆったりとした曲調のメロディアスなトラック群。Vol.2は陰鬱な暗黒無調音楽ではなく刻みが忙しない、金属質バキバキなトラック群。枠組みは客観的に聴いても非常に分かりやすく出来ている。
相違する二つの方向性がきっちり差別化を図って打ち出され、なおかつ違和感を抱かせずに聴き通せる音が創れる才に、まずは拍手。

ただし……ねえ。Vol.1ではさもルーク・ヴァイバートやらBOARDS OF CANADAやらを思わせる音色を、胸張って使っているし。Vol.2ではスクプやらAUTECHREやらを感じさせるテクスチャのトラックも散見される。(ああ、マイクってのも居たねえ……)
Skam→Planet Muと来て、なあああんで俺はWarpにフックアップされないんだあああ!! こんなに頑張ってるのにいいいい!!
――と、こんな風にネイザンの心の叫びが聞こえたような気がするなら、頭を左右に揺すってそんな邪念を振り払っていただきたい。
そうでもないトラックだってあるのだから――ただ『コレはアイツの×××!』とはっきり特定して指差せないだけで。

つまりJEGA、未だ己の音を確立していないのだ。

もうすぐデビュー十五周年を迎えるアーティストに何て言い草だ! と怒られても、そうとしか言いようのないアルバムを切っているのだからねえ。
ならテメー、さっきからJEGAさんディスりっぱなしじゃねえか。そォゆうコト書かねえんじゃねえのかよ、このブログは! と凄まれても困る。
似てる似てないなんて一時的なモノなのに。それを短所として論うつもりなどないのは、過去ログを読めば一貫しているはずなのに。
様々な影響を未だ咀嚼し切れていないからそこかしこに表れるだけで、本格化すればそこら辺もきちんと消化したJEGAの音が提供されるはずだ。過去の賢人もそうやってオリジナリティを獲得してきたのだし。

となると(何もせずにいた訳でもなかったとはいえ)この九年間のブランクは痛い。一人ユニットなのだから、がんがん音源を発表して、己の音を聴き手に刷り込むべきだったのに。
もしかして両極端の音を二枚分提示したってコトは、今後の方向性に迷いが出てるのかなあ。どっちも演って良いのに。
そんなとっ散らかった何でもあり精神が、ニカアーティスト最大の長所なのに。

Vol.1
M-01 SoulFlute
M-02 Antiphon
M-03 Moment
M-04 The Girl Who Fell To Earth
M-05 Sakura
M-06 Eva
M-07 Dreams
M-08 Aqueminae
M-09 Zenith
Vol.2
M-01 Tensor
M-02 Shibuya
M-03 Chromadynamic
M-04 Cascade Decoherence
M-05 Aerodynamic
M-06 Latinhypercube
M-07 Kyoto
M-08 Hydrodynamic
M-09 Reprise


2011年11月8日火曜日

KIRIHITO 「Suicidal Noise Cafe」


それぞれ、あちこちで課外活動も盛んな竹久圏(G、Key)と早川俊介(Ds)のヘンテコデュオ、2000年発表の三枚目。
そろそろ結成二十周年にもなろうベテランだ。

ジャケをご覧の通り、早川は高足設置のドラムセットを立って叩き、竹久はギターを弾きながらキーボードを踏み鳴らし、音を踏み均していく。
曲毎に貫き通すぺなぺなした奇妙なギターフレーズと、やたら裏を取りたがる上に前のめりな独特のタイム感で刻まれるビートと、爬虫類的声質の歌をほぼ並列に配した最小編成らしい音世界だ。各音色のジョイントに当たる低音パートをわざと配置しないことで、それぞれの音色を剥離させ、際立たせている。
歌詞はあるが、特に内容は感じ取れない。英詞なのも、声という音が乗せやすいだけだろうし、巧く乗れば日本語でも構わないと思っているはず。M-05が中国語と英語のちゃんぽんなのも歌詞の内容同様、大した意味などないはず。
時折噛ませてくるサンプリングのソースがへんちくりんなのも、変な音楽にしたいというあざとさからではなく、ごくごく感覚的なモノだろう。

つまり、感性に基づく音至上主義。
あれ? コレって今で言う“ポストロック”的な考えでしょう? しかも音像から察するに、そこから枝分かれした“マスロック”のような?

と、そんなジャンル分け云々など、聴き手側が分かりやすく解釈出来るよう便宜上付けたラベル。創り手の方はまるで気にしていない。
それよりも、今から十年以上も前にこの音を、何の迷いもなく演っている時点で『時代が彼らに追い付いた』?
いやいや、創り手の方が世間を気にしてどうするのさ。製品じゃあるまいし。
何が言いたいのさ?

短くも密度の濃いポピュラー音楽史上でたまーに出る、オーパーツのような作品に触れて『すげー! 今でも全然色褪せてねー!』と後出しじゃんけんのような追体験をする楽しみ方だってあるのさ。
それが本作のように音的に気持ち良くて、しかも混沌の坩堝に落とされて頭ぐらぐら出来るとあっては、お得感が二乗三乗されたようなモンじゃない?

M-01 Strawberry Massage (Instrumental)
M-02 Up Up!
M-03 Suicidal Noise Cafe′
M-04 Surf
M-05 Cut -我想修口下前面、前齋後面-
M-06 Fish & Tell
M-07 D.N.A+
M-08 Ohayo Death -Good By The Earth-

しかも2009年、リマスターを施し〝M-09 Made In Egypt〟を追加収録した再発盤が出たのさ。ファインドアウトレコーズってどこだよ! 広いネットの海からHPをFind Out出来ねーよ!
ちなみに原盤は(とうとう実の兄貴がCMに出るようになった)DMBQの増子真二が主宰した、ミュージックマイン傘下のNanophonica。


2011年11月6日日曜日

BOLA 「Kroungrine」


UKエレクトロニカシーンに君臨すれど統治せず。自由気ままなダレル・フィットン師匠の四枚目。2007年作品。

いつも通り、抜群のメロディセンスを盾にゆったりとしたビートを敷き、暗めの音像と緻密な装飾音で優しく聴き手を包み込むメソッドを堅持。
伝統を今に伝える、安心のBOLA印、老舗の味――
かと思いきや、本作ではようやく師匠、ちょっと動いた。

以前との差異が分かりやすい部分として、例えばM-02(やや奥まっているが、M-05などもそうかも)。前のめりのブレイクビーツに、アタックの強いスネアの音色の選択は今まで見なかった手法だ。中間部でアンビエント風味のキーボードとの噛み合わせは静と動を端的に表していると言える。
またM-04など、小気味の良いトラックに嘘臭いチャイニーズスキャット(!?)を絡ませるという摩訶不思議な創り。この曲は本作中で白眉の出来。
なお、一作目以来久々にアルバムの掉尾を飾る(「Shapes」は編集盤デスヨ)、10分越えの長尺トラックにもその微細な変化が。
今までは主音色を大事に大事に接ぎ、気が付いてみればCDが終わっていた。
だが本作は、継ぎ目を大事に大事に整え、気が付いてみれば主音が挿げ替わっていた。それどころか曲中で幾度か構成を変える、非常に凝った創りなのだ。

だけど大抵、それらに気付かぬままアルバムはしっとりと幕を閉じる。
本当にさり気ない。まるで遊び疲れていつの間にか寝てしまった子供にそっと毛布を掛けてやるお父さんのような創り手だ、フィットン師匠は。

多少マイナーチェンジを施したが、作品を聴けば分かる通り、まるで違和感ない。
彼は常に自分のトラックを客観的に捉え、バランスを崩すことなく無難に着地させることをよしとする人なので、安心して聴き手はそのたおやかな音世界に浸れる。
この安定感こそが師匠最大の武器なのだ――卓越したメロディ使い以上に。

M-01 Zoft Broiled Ed
M-02 Noop
M-03 Waknuts
M-04 Halyloola
M-05 Urenforpuren
M-06 Phulcra
M-07 Rainslaight
M-08 Diamortem


2011年11月4日金曜日

AUTECHRE 「Confield」


この際だから、AUTECHRE史上最凶にして最高のアルバム、と言い切ってしまおうか! 2001年発表の六枚目。

何が最凶なのかと言えば、その強烈な怨憎――いや、音像。
まともに拍を刻まないキック。たまに真面目に打ってるなと感心していたら、やがてリズムキープをサボり始める。いや、別にモタっている訳ではないのだが、いつの間にかずるりと崩す。油断も隙もない。
で、背景音に注目して聴けば……夜、独りでトイレに行けなくなる。霊界より、錆びてぼろぼろになった鐸を鳴らしながらこちらに近付いて来る得体の知れない何かの気配を感じる――そんな〝幽〟鬱とした音色使いに背筋が凍る。
M-06のビートの音色が血を啜っているように聴こえた貴方はアウト。
メロディアスな音色を使っている冒頭のM-01、M-02に騙されてはいけない。曲を追うごとにトラックに費やす音が、ひとォつ……ふたァつ……と減っていく。
やがて、トラックの主を担う不確定なキックと、接触不良を起こしているようなスネアと、寒々しい背景トラックだけが残される。
それもやがて――

このアルバムの真ん中辺の曲、主音なくね!? と気付いた貴方はアウト。

さて、何が最高なのかと言えば、主音すら設定せずにトラックを、引いてはアルバムを成立させているその恐るべき構成力にある。
それは、絶妙のアクセントになるキックの乱れであり、冥界からの呼び声を思わせる(本来の役割では)背景音色の旨味である。
普段流されがちなそれらが、きちっと耳を惹く音色として存在出来る訳は……もはや言うまでもなかろう。そもそも必要最低限の音数しか鳴らしていないのに、妥協の産物をぽーんと転がして放置プレイにする余裕などないはずだ。
また、ちゃんと主音を想定して組んでいるトラックもある。それがまた、ガラス細工のように繊細で儚いメロディを有しており、そこら辺はBOLA師匠の薫陶の賜物だな、と。

シンプルなようで、一音一音に恐ろしいほど手間を掛けており、表面は己の姿が映るほど滑らかに磨かれている。
これを「人間味を感じない」と断ずる方は、機械のない原始生活に還った方が良い。
あと日本のみのボートラであるM-10がクラブ仕様のアッパートラックでかっけー! としか言わない方。M-01からM-09までの、神経質なまでに刻まれた音のアーティファクトあっての、相反した輝きだと気付いて欲しい。

でも本作を聴く人全員がかっけー! と震える世界は怖い。おしっこもれちゃう。

M-01 VI Scose Poise
M-02 Cfem
M-03 Pen Expers
M-04 Sim Gishel
M-05 Parheric Triangle
M-06 Bine
M-07 Eidetic Casein
M-08 Uviol
M-09 Lentic Catachresis
M-10 Mcr Quarter (Bonus Track For Japan)


2011年11月2日水曜日

BIBIO 「Ambivalence Avenue」


英国人、ステファン・ウィルキンソンによる、Warp Records移籍初のアルバム。2009年作品で、通算は四枚目にあたる。

宣材としてL.L.BeanAdult SwinToyotaなどが彼の音を使い、フライフィッシングに用いる毛針の種類を名に冠した通りのサウンド。
色を付けるとすればセピア色の音像に、山にも閑静な住宅街にも似合うアウトドア志向の生音系エレクトロニカ――とまで書けばもう、音が思い浮かびそうな。

とは言え、彼の影響土壌の一つであるBOARDS OF CANADAの弟の方、マーカス・イオンより紹介を受けたMush Records所属の頃から随分と様変わりした印象。
テレコで録ったような、もこもこした音像が幾分かはっきり、くっきりした。
電子音の含有率が増え、しかも効果的に扱えるようになった。
ボトムにブレイクビーツを敷くことで、音にダイナミズムが生まれた。
もちろんあのもこもこした音が、BIBIOならではの郷愁を誘う古臭さを強烈に演出していた点は否めない。ビートなんか要らない、あのサイケフォークみたいな音世界が良かったんだ! という意見もあるだろう。
フィールドレコーディングをサンプリングソースとして使っている点は以前と変わらないが、その素材の選び方がBOC風になったんじゃないか、とか。電子音の使い方に、仲の良いCLARKからの影響が見て取れる、とか。まだまだ難癖つぷつぷ。

でもあのまま同じ音を周りが強いていたら、あまりの窮屈さに音を上げていたのでは?
現に二枚目「Hand Cranked」(2006年作)と三枚目「Vignetting The Compost」(2009年作)にはそれほど差異はなかった。
三枚目と本作である四枚目との間隔がわずか四ヵ月半。(憶測だが、三枚目は身辺整理盤なんじゃなかろうか。内容は良かったので、あまり響きの悪い言葉を使いたくないのだが)
人脈が一所に収まりたがらないニカ人種ばかり。
しかも出来栄えは、新章突入を高らかに告げる充実の内容。
もう好きに演らせてあげようよー。

と、改変部分が非常に目立つので大改革したと思われがちだが、M-03、M-07、M-08、M-10には以前の感覚が色濃く残っている。
これらをあの〝まるでテレコ録音〟で再生すれば、とたんに元通り! 逆にシーンを代表する大手インディーズの力をひしひしと感じるはず。
その管理体制が嫌だって? 元々が「A.I.」以後のWarp勢に憧れて音楽を始めた人。コレは必然なのだよ。

(2011/5/20執筆文を大幅改筆)

M-01 Ambivalence Avenue
M-02 Jealous Of Roses
M-03 All The Flowers
M-04 Fire Ant
M-05 Haikuesque (When She Laughs)
M-06 Sugarette
M-07 Lovers' Carvings
M-08 Abrasion
M-09 S'Vive
M-10 The Palm Of Your Wave
M-11 Cry! Baby!
M-12 Dwrcan