2011年5月30日月曜日

NADJA 「Radiance Of Shadows」


カナダのマルチプレイヤー、エイダン・ベイカーとその妻、リア・バッカレフによるインストスラッジドローンデュオの2007年作品。たぶんフルアルバム八枚目。
NADJAというかベイカーは驚くほど多作家なので、この八枚目という数も怪しいもんだ。

まず各曲のタイトルから察しの付く通り、本作は核爆弾の脅威について音で語られたアルバムである。
彼ら特有の荒涼と渇き切り、幾層にも重ねられたギター音が普段はドローン、曲のテンションが高まるに従いハーシュノイズとなって聴き手へと降り注ぐ。まるで死の灰だ。
その下でビートが、足元の悪い地面を転ばないよう踏みしめて、ゆっくりと歩を進める。やがて、ビートがノイズにどんどん埋もれて、消える。
こうなると上モノのノイズは核の脅威、下のビートはそれに喘ぎ苦しむ人々、という図式が鼓膜を通して脳内で映像化される――もちろんモノクロで。

NADJAの雄大かつ繊細、破壊的であり創造的でもある音世界は、コンセプトアルバム仕立てにすることで強き説得力を持った。
決してドラマティックな作品ではないが、まるでドキュメントフィルムのようなリアリティでこちらに迫る本作が、筆者は(まだそのキャリアの半分すら追えていないけど)一番好き。たった三曲で七十九分という長尺ぶりなのに、憑かれたように聴き通せてしまう。
暗黒ハードコア好きよりも、ポストロックやエレクトロニカを好むリスナーの方が本作――いや、彼らが創り出す音への親和性は高いかも知れない。

最後にNADJAの頭脳、エイダン・ベイカー自ら語った影響土壌を記して締め。
GODFLESH, MY BLOODY VALENTINE, SUNN O))), SONIC YOUTH, SWANS.etc
ほらっ、コレでNADJAがどんな音を出しているか丸分かり! 清々しいまでのまんまっぷりに、思わず筆者は「今回の本文要らねーし!」と悪態を吐いてしまいましたとさ。

M-01 Now I Am Become Death The Destroyer Of Worlds
M-02 I Have Tasted The Fire Inside Your Mouth
M-03 Radiance Of Shadows


2011年5月28日土曜日

65daysofstatic 「One Time For All Time」


イギリスはシェフィールドで結成された、四人組インストマスロックバンドによる2005年発表の二枚目。APHEX TWIN meets MOGWAIとか評されてるけど、どうだかねえ……。

で、このバンド、日本ではオサレな音楽ファンとやらに持ち上げられている(ような気がする)が、演ってるコトは結構ダサい。
ピアノのループとか、何世代前のフレーズだよ! とツッコミ入れたくなるくらいアレなモンを使ってらっしゃる。ドラムのビート感覚もどこか古臭い。加えて曲調は泣き一辺倒。エモを通り越して泣いてらっしゃる。クサいくらいに。
ただ彼ら、全力でダサい。それが彼らの一番の長所だと思う。
何事も中途半端にダサいのはカッコ悪い。それはただ単にセンスがない。「ダサいがどうした?」と全力で居直る力にこそ活力が生まれる。
だが彼らはそのダサさに気付かず、脇目も振らず全力前進でこのアルバム創った――そう勝手に決め付けてしまったが、だからか筆者は彼らのこのアルバムだけは大好きだ。
曲の泣きの頂点でバキバキとビートが荒れ狂うトコが好きだ。この荒っぽさはニューメタル勢を凌ぐかも知れない。加えて、ダサくとも適切に当てはめたループが好きだ。インストだからと全身全霊をフレーズに籠める弦楽器隊の心意気が好きだ。

正直、この次のアルバムは「馬脚を現し始めたなー」という印象を抱いたので、前のアルバムはあと一歩何かが足らないので、このアルバムだけが大好きだ。(次の次は知らん)

で、同じようにダサかろうが何だろうが全力で演り切るスタンスのバンドを、筆者はふと思い浮かべていた。
かのUKトップバンド・MUSEデスヨ、皆さん。

MUSEも演ってるコトは結構ダサい。メンバーがいけめん揃いなのに騙されてはいけない。リズム隊のもっさりとした演奏や、ヴォーカルのファルセットを多用したナルっぽい歌い方は相当大概である。(でも筆者はそんなMUSEだいすきー!)
また、MUSEも(メインストリームのバンドとは思えないほど)音が荒っぽい。そこら辺も共通している。

だからと言って、既存の音を無理繰り当てはめてカテゴライズしてしまおうなんて考えは当方、なるべくならしたくない。聴き手も演り手も、それに囚われてしまうケースが多いからだ。
つまりそうなる方向へ進んでるっぽいんだよォ! 65dosサンよォ!

M-01 Drove Through Ghosts To Get Here
M-02 Await Rescue
M-03 23Kid
M-04 Welcome To The Times
M-05 Mean Low Water
M-06 Climbing On Roofs (Desperate Edit)
M-07 The Big Afraid
M-08 65 Doesn't Understand You
M-09 Radio Protector
M-10 AOD (ボーナストラック)
M-11 The Major Cities Of The World Are Being Destroyed One By One By The Monsters (ボーナストラック)


2011年5月26日木曜日

AMON TOBIN 「Out From Out Where」


ブラジル生まれのイギリス育ち、Ninja Tuneの番長、AMON TOBINによる2002年作品。本名名義では四枚目だが、変名を加えると五枚目のオリジナルアルバム。

この人はおかしい。
毎回毎回、楽曲を偏執狂の如く“創り”込む。だが、音自体はそれほど“作り”込まない。
矛盾してそうな発言なので分かりやすく書くと、各音のパーツを籠もらせたり、ぶつ切ったり、刻んだり、すり減らしたり、引きずったりしない。それらをスピーカーのどこから出るか配置決めする程度で、全くと言っていいほど加工しないのだ。
それで、とにかく音を重ねる、重ねる、重ねる……。一曲につき六音以上は優に使う。
音数が多いため、わざわざ加工して使わなくとも聴き手の耳に変化を与えられるのだ。加工するタイプのアーティストは自ずと音数を切り詰めた、シンプルなトラックを標榜するタイプだ。
どっちが一曲における生産性が高いか、すぐに分かる。

それでもトビンは音を盛り込みまくる。本当におかしい。

AMON TOBIN名義の二枚目まではジャジーで時折、彼のルーツであるブラジリアンビートを咬ませたドラムンベース的な音作りをしていた。言ってみれば非常にNinja Tuneらしい作風だ。
そこで三枚目「Supermodified」では方向性をじわりと変えた。本作の雛形となるサイバーブレイクビーツ路線に。
そうと決まれば早速、トビンはBPMを落としてドラムンベース色を減らしてみせた。
そうなるとAMON TOBINの色って何だ? と聴き手に取られても仕方ない。
だが彼も然る者。四作目に当たる本作で違和感なくサイバーブレイクビーツ路線が開花するよう、三枚目まではジャジーな色を濃い目に残していたのだ。で、本作ではジャズ色を薄め、サイバー色を前面に押し出す、と。
見事な軸のすり替えである。この用意周到さ、そうとしか思えない。
そもそもUKブレイクビーツ界において、ここまで音数を使うアーティストも珍しいので、その時点でほぼAMON TOBINの独自性なのだが。

トビンのサイバー路線は本作で決定付いた。だがやはり彼は然る者。以降、再び路線を変更する。
案の定、挿げ変えたサイバー色を弱め、新機軸に移る布石を打つ。
やはりこの人はおかしい。只者ではないという意味でおかしい。

M-01 Back From Space
M-02 Verbal
M-03 Chronic Tronic
M-04 Searchers
M-05 Hey Blondie
M-06 Rosies
M-07 Cosmo Retro Intro Outro
M-08 Triple Science
M-09 El Wraith
M-10 Proper Hoodidge
M-11 Mighty Micro People


2011年5月24日火曜日

OM 「God Is Good」


ギターレススラッジコアデュオの四枚目。2009年作。

SLEEPで共に伝説をおっ立てたアル・シスネロス(b/vo)とクリス・ハキアス(ds)が袂を別ち、新ドラムにエミール・エイモスが迎えられた。
暗黒音楽専門大手インディーズ・Southern Lord Recordsから離れ、本作からシカゴのポストロック系大手・Drag Cityに移籍した。
頑なにベースとドラムのみという最小表現を貫いていた彼らが、本作でフルートやタンブーラを導入した。
ベースに掛けていたディストーションが弱まった。

でも録音技師は前作「Pilgrimage」同様、スティーヴ・アルビニ。
明らかにアルビニの下、本作で新展開に移行しようとする強固な意思が見て取れる。

前作まではハードコア上がりという矜持があったのかも知れない。だからベースはブリブリうねっていたし、淡々とした曲調からふとテンションを高めてくる展開もあった。
今回はそれらを放棄し、淡々とした曲調のまま、さまざまな角度から曲の彩を変える音楽的深化を図ったのだろう。
それだとたった二人では足りない、賄えないと悟った。だが――
や、これ以上は筆者の妄想になるので省く。

これだけの複線と理由立てがあるのに、まだへヴィさに固執させるのは酷だ。
明らかにジャンル分けやレッテルが創造の足枷になっている。
とは言え、プロデューサーと呼ばれることを極度に嫌い、音をありのままに録るコトだけに固執するアルビニ的放任主義が彼らに合っているとは思えない。
逆にプロデュースという名の下、がんがん指示を与えるのは、更に彼らへ音楽的制約を加えているようで忍びない。

OMは思春期の少年少女のように気難しいバンドだ。
筆者はそんな彼らが紡いだ本作を「音楽的に芳醇になったねっ。先が楽しみだー」と温かい目で褒めようと思う。
そうすればきっとハードコアの、更に狭きスラッジコアなどという枠で語る必要のない、甘辛い陶酔音楽を創ってくれるはずだ、いずれ。

あ、そうだ。せっかくDrag Cityに移籍したんだから、アルビニじゃなくてジム・オルークに任せてみたらどうだろう?
筆者がアルビニの投げっぱなしジャーマンが好きではないだけなんだけどね。

M-01 Thebes
M-02 Meditation Is The Practice Of Death
M-03 Cremation Chat I
M-04 Cremation Chat II


2011年5月22日日曜日

ULRICH SCHNAUSS 「A Strangely Isolated Place」


独国人による2003年作、二枚目。

いやーまあ、使っている音色のダサいことダサいこと。もう一歩踏み込んで言えば、音色使いのセンスの古いこと古いこと。
けど、もっと洗練されなよ、なんて口が裂けても言わない。そんな愚直な貴方が好き。
演っていることがずばり、シューゲイザーを打ち込みにした感じなのだから、下手に新世代を意識した音使いをする必要がない。現在のシューゲイザー自体が80年代中盤に築いた自らの遺産を切り売りして延命しているだけだし。

最近、そのシューゲイザーにリバイバルの兆しがある。この音を頑固貫いてきたシュナウスにとって、これは追い風だ。

ビートパターンはシンプルで、もっさりしている。フィードバックノイズの代わりにメランコリックなシンセ音をド真ん中に据え、声という楽器をロマンティックに被せる。その一方でシューゲイザーのダルな部分を小出しにし、耽美的な部分を強調して曲を構成――
非常に理に適った、通称〝エレクトロニックシューゲイザー〟作品だと思う。
何だか意味の分からない造語を使ってしまった(エフェクター類が卓に付いてるのに、何で〝靴を眺める〟のさ?)けど、そういうのを抜きにして筆者は、BLACK DOGやらLFOやら――つまりシュナウスよりも一・二世代前のテクノアーティストに触れるような気分で、本作を愛聴している。彼の作品の中では一番出来が良いし。
別にばかにしている訳じゃないよ!

最後に、彼は2009年、何とあのGUNS N' ROSESにパクリ疑惑を吹っ掛けている。ただし彼本人の意思ではなく、所属レーベルによる訴えであるが。
そのパクられた曲の片方は、本作のM-08に収められている。でもまあ、あんま気にするほどじゃないような。

M-01 Gone Forever
M-02 On My Own
M-03 A Letter From Home
M-04 Monday - Paracetamol
M-05 Clear Day
M-06 Blumenthal
M-07 In The Wrong Place
M-08 A Strangely Isolated Place


2011年5月18日水曜日

BONOBO 「Dial ‘M’ For Monkey」


英国人、サイモン・グリーンによる2003年作、二枚目。
タイトルの元ネタがヒッチコックのコレなのは言うまでもない。

最近はNinja Tuneも多様化を図っているものの、彼やFUNKI PORCINIやMR.SCRUFFあたりがNinjaを象徴したアーティストと言っても過言ではない。
スモーキーでウェットでちょっぴりジャジーなインストブレイクビーツ。
ことBONOBOに関しては、この微妙な枠線を決して踏み外さず、音像通りのもわっとした活動を重ねている。
『継続は力なり』という言葉が似合うアーティストは、何もロック畑だけではない。

えっと、それって……作品毎に差異がない、って意味じゃね?
いやいや、『同じようなコトを演ってる』のと『同じようなコトを演らされている』のでは大違い。そもそも、後者にアーティストとしての資質があるのか疑問視してしまうが……。
口の悪い人が『前作と瓜二つ』などと揶揄するが、それは『質が維持出来ている』という意味として捉えておこう。筆者はむしろ、音色使いがやや幅広くなったこっちの方が好きだ。
『同じようなコトを演ってる』人々に成長がないなんて、そんな理屈はない!

さて、あまりに『Ninjaな音世界』なのでこれ以上書くコトはないのだが、最後にひとくさり。
彼の音源デビューは何と、かのCLARK全く一緒
それから十年余――片やスモーキーなブレイクビーツを堅持し、片やアルバム毎にテクノ界を所狭しとうろつき回る――この両極端な成長振りが、非常に面白い。

M-01 Noctuary
M-02 Flutter
M-03 D Song
M-04 Change Down
M-05 Wayward Bob
M-06 Pick Up
M-07 Something for Wendy
M-08 Nothing Owed
M-09 Light Pattern


2011年5月16日月曜日

THE SEA AND CAKE 「One Bedroom」



シカゴの名門インディーズ・Thrill Jockey産の、ポップで素朴な歌モノポストロックバンド、2003年作の六作目。

鼻歌は楽しい。声量や技量を気にせず、好き勝手に歌えるから。
風呂場で鼻歌を歌うのは楽しい。声が反響して、エコー掛かって聴こえるから。
この気持ち良さを音源やライヴで聴かせられないものだろうか。
もう耳障りな高音とか、ビブラートをかすれさせて儚さを醸し出してるつもりとか、どっかで習ってきたような声の出し方している奴らばかりでうんざりだ。
せっかく“声”という、扱う者によって音色が千差万別する高スペックな楽器を用いているのに、工夫しないのはもったいないでしょうが。

THE SEA AND CAKEはスーパーバンドだ。
メンバー四人が一流のプレイヤーで、十分な実績を持ち、バンド以外の課外活動も一定以上の評価を受けている、出来杉くんの集まりだ。
それを束ねるのがおそらく実績最上位の、TORTOISEを先導し、プロデューサーとしてSOMAスタジオを切り盛りする(もちろん本作でも辣腕を振るっている)ジョン・マッケンタイア(Ds)――ではなく、Vo兼Gのサム・プレコップである。

彼の“声”なくして、THE SEA AND CAKEは語れない。

鼻腔から発声しているかのような気の抜けた柔らかい、それでいて甘ったるくなく、どこか芯を感じる独特の発声法で聴き手の鼓膜を擽っていく。
その一方でバックは主役を立てて大人しくポップソングをしているのかと思えば、然に非ず。ところどころビートを崩していたり、ベースがほどよくうねっていたり、シンセの使い方が風変わりだったり、アコギだったギターがいつのまにかエレキでファズっていたりと、さすがは手だれども。素直に己を殺しちゃいない。
それでも誰もプレコップを押し退けて主役を張ろうなんざ思っちゃいない。
そこら辺のバランスの取り方はさすがマッケンタイアプロデュース。彼は手掛けるアーティストのキモを熟知し、それを立てて音を構成するので、出来上がった作品は非常に焦点が絞れている。

アルバム全編に漂う雰囲気がからりと爽やかなので、耳障りは非常に良い。
暑くない晴天のドライヴに最適。海岸線だと尚良い。

M-01 Four Corners
M-02 Left Side Clouded
M-03 Hotel Tell
M-04 Le Baron
M-05 Shoulder Length
M-06 One Bedroom
M-07 Interiors
M-08 Mr. F
M-09 Try Nothing
M-10 Sound & Vision


2011年5月14日土曜日

SQUAREPUSHER 「Hard Normal Daddy」


1997年作の二枚目。

このトム・ジェンキンソンという男はすぐくよくよして、自らに向けられた批判の上に言い訳を塗り込めるような面倒臭い人間である。
その証拠はミニアルバム扱いの「Do You Know Squarepusher?」のインナーで自ら記したライナーノーツとやらにとうとうと述べられているので、興味があればぜひ。
このように非常に打たれ弱いトムくん、この頃は外野の野次などなかった。『テクノ界に超新星、現る!』といった具合に誰もが彼を賞賛した。
だから調子に乗ったのか、もともと作曲の調子が良かったのかは分からないが、怒涛の如く作品を連発。そのどれもが高品質だったので、誰もが彼を〝天才〟と礼賛した。

それが良かったのか悪かったのかは分からない。ただ、当時二十歳そこそこのぽっと出の青年にしては過剰な期待度ではあった。
ま、その後は……明言避けますわー。

本作はスクプのキモである、フュージョンっぽいウワモノに〝ドリルンベース〟と呼ばれるドラムンベースの亜種(と言うかパロディに近い)を重ねた、(当時は)トムでしか思いつかなかったアイディアが完全開花した彼の代表作であろう。
何とも語尾が歯切れ悪いが、ドアタマの名曲〝Squarepusher's Theme〟の衝撃から、一枚目「Feed Me Weird Things」を推す方も居るだろう。本作の次、たった三ヶ月のインターヴァルでリリースされた、アレでお馴染みのミニアルバム「Big Loada」という線も捨て難い。何を隠そう筆者はコレらではなく、次のフルアルバムを猛プッシュしたいヒネクレ者だったりする。
だが、作品の楽曲の質・音質などの安定度と、『スクプと言ったら?』という質問を明確に答えているのは本作以外に考えづらいのではないか。
それ以降の作品? ははは、ご冗談を。

とりあえず、まずはコレ。もしくは前の
いや、わざと先に近作ってのも手か? などと底意地の悪いコトを意味深に書いてみる。

M-01 Coopers World
M-02 Beep Street
M-03 Rustic Raver
M-04 Anirog Da
M-05 Chin Hippy
M-06 Papalon
M-07 Ez Boogie
M-08 Fat Controller
M-09 Vic Acid
M-10 Male Pill, Pt. 13
M-11 Fat F's and V's
M-12 Rebus


2011年5月12日木曜日

CLIFFORD GILBERTO 「I Was Young And I Needed The Money!」


1998年作。
正確には〝THE CLIFFORD GIRBERTO RHYTHM COMBINATION〟がソロユニット名。

のっけから身も蓋もないことを書いてしまえば、SQUAREPUSHERのフォロワー。
自らベースを弾き、ジャジーなトラックに高速ブレイクビーツを噛ませるといった方法論は、タッチの差で1996年、トムの野郎が先に確立させている。
ただ、個人的にクリフォード(本名:フローリアン・シュミット)の方が楽曲の出来の平均値も、焦点の絞り方も、大衆性も(要らぬお世話だが人間性も)上のように思える。
トムは考え方が〝固定観念を持たれたくない〟ニカ人格そのままで、あれこれ迷走しては作品を乱発し、その気ムラっぷりを露わにしてきた。作品の統合性は本人のキャラが担っているのではないかと思えるほど、いろんな意味で散漫なクリエイターである。
果たしてクリフォードが音楽クリエイターとして本腰を入れていたら、どんな活動経歴を辿っていたのだろうか。

非常に残念なことに、彼の作品はこれ一枚きりである。
行き詰ったのか、飄々とした発言から察するに元からそれほど音楽活動に関心がない無頓着な気質なのかは分からない。
ただ、これほどの作品を、ガールフレンドの強い勧めで『試しに』Ninja Tuneレーベルへとデモを送ったものの、色よい返事は『まるで期待していなかった』人間が創ってしまうのだから、憎らしいやら羨ましいやら凄いやら。

セピア色に褪せたジャズを下敷きに、スウィングもフリーもフュージョンも何でもござれの、良い意味でイッチョカミな作風が最大の特徴。
ビートは軽快かつ抜けの良い音像で、時には渋く、時には荒っぽく構成する。本人は『ガバ・ジャズとでも呼んでくれ』と発言しているが、素直にコーンウォール一派が得意としていたドラムンベースの変種・ドリルンベースの枠に押し込め――てしまえば楽なのだが、ジャジーな空気が立っているため、あまりエレクトロニカの匂いがしない。
そこが同じクラブカルチャーの住人でも、テクノ系とブレイクビーツ系――WarpとNinjaの違いなのかも知れない。

最後に、ジルベルト――いやシュミット氏は現在、ロンドンでマルチメディア系統のデザイナーをしているそうだ。
音楽戻って来てよ。

M-01 Restless
M-02 Deliver The Weird
M-03 I Wish I Was A Motown Star
M-04 Ms. Looney's Last Embrace
M-05 A Different Forres
M-06 Soulbath
M-07 Kuia World
M-08 Skippy's First Samba Lesson
M-09 Earth Vs Me
M-10 Gaint Jumps
M-11 Concrete Cats
M-12 Brasilia Freestyle
M-13 I Was Young And I Needed The Money!
M-14 Ridiculo

日本盤は先行EP「Deliver The Weird!」より:
M-15 Old Dog New Tricks Pt2
M-16 Do It Now Worry About Later
M-17 Mad Filla
:を追加収録。
洩れた残り「Deliver~」収録2曲はランタイムの都合上オミット。


2011年5月8日日曜日

BOLA 「Shapes CD」


SKAMレーベル――と言うよりも英国ニカシーンの重鎮による、BOLA名義作品。
発売は2006年だが、2000年に発表された限定EP+その時期に創られた未発表曲+レーベルコンピ「Skampler」収録曲によって構成された編集盤だ。

BOLAは聴き手を置いてけぼりにしない。
悪戯に曲を崩壊させてアーティスティックぶったり、投げているのか収まりが付けられないのか分からないが適当に曲を締めたりしない。
きちっと音楽が本来あるべき位置取りで、長い曲でも息切れせずに嫌味なく、すすーりとカーテンを下ろす。

BOLAはメロディを軽んじない。
曲の軸音がメロディアスな音色でなくとも、どこかで耳にしっくりとくる柔らかいメロディを裏に添えて引き立たせてくれる。その一方でメロディ主軸の曲は、もうそれはそれは儚くも美しい音を提供してくれる。
元々がR&Bバンドのキーボードプレイヤーだけあって、メロディの扱いなどお手の物だ。

BOLAは暗くない!
音色使いや曲調がひっそりしているために暗い印象を受けるが、聴き手に鬱を強いるような絶望感は皆無と言って良い。
暗闇には蝋燭の光が一番映えるのと同じで、ダークな雰囲気の中にはためくメロディが、優しく聴き手を包み込んでくれる。創り手の人柄が偲ばれる。

BOLAことダレル・フィットンはブレない。

ブレないゆえに作品毎に大きな変化はないが、安心して名前買いの出来る、品質保証書付きの優れたアーティストだ。
ゆえにフィットン先生がブレないうちは、常に秀作が提供されると断言して良い。
すなわち、ブレないゆえにどのアルバムから入っても良い。今回は「ただ単に手に入れやすい」という点で本作を選んだが、作品毎に作風をがらりと変えるAUTECHREとは真逆の意味で、BOLA作品それぞれの評価は聴き手によって異なるはず。

あ、AUTECHREは「技術の多くはBOLAに学んだ」のを公言している人たちだっけ。

M-01 Fonk (Flower) 
M-02 Pula Kappas (Square)
M-03 Ballast (Triangle)
M-04 Zephyr (Pentagon)
M-05 Clockjerk (Trapezoid)
M-06 Forcasa2.2 (Oval)
M-07 Serge2 (Octagon)
M-08 Cobalt (Scope)
M-09 Squib (Nuclear)


2011年5月6日金曜日

SHADOW HUNTAZ 「Corrupt Data」


ダサい。ユニット名がびっくりするほどダサい。
Skam RecordsにはTEAM DOYOBIやFREEFORMやWEVIE STONDERなど、名前なんてどうでもええわ! と言いたげな(そこが匿名性を重視するニカ人種らしい)ネーミングセンスを持つ奴らが所属しているので、彼らもその類いかと思った。
だが、どうも違う。スペルの崩し方からして、明らかにヒップホップの人種だ。Skamはニカレーベルだし、音響系っぽいトラックに乗ってラップを刻んでいると仮定して……もしかしてこのセンス、至って大真面目か?
せめて斜に構えた理由で付けた名前だと思い、チップチューン系のチープなトラックに、楽しそうなフロウを紡ぐお茶目さんだろうと踏んだ。

いやー、ジャケからして大真面目なんだから、コレであほ路線な訳ないでしょうが!

本作は真摯な姿勢でヒップホップに取り組むアメリカ出身の3MCが、オランダ出身の兄弟からなるFUNCKARMAと組んだユニットの初アルバムである。2004年作。
ややバウンシーにラップを乗せるBREAFFとDREAMとNON GENETIC(うわあ……ガチで厨二なんすね……)に、FUNCKARMAの二人は比較的ヒップホップ流儀に則ったトラックを提供しつつも、ところどころ挑戦的な態度を取る。
明らかにヒップホップ保守層からの爪弾き上等! と言わんばかりの、まんまニカ系トラックを渡して『コレでフロウ刻んでみせろ』と薄ら笑い。3MC'sも『面白え、やってやろうじゃねえか』と、嬉々として(ヒップホップ流儀としては)ド異端の変態トラックに乗る――
ココであぶなっかしくではなく、平然と乗りこなしてしまうところに、三人のスキルの高さとアメリカのヒップホップ層の厚さが見て取れる。
いやいや、リーダーのNON GENETICは日本のブレイクビーツ侍・RIOW ARAIとコラボ経験があるくらいの変態アングラヒップホップ野郎である。むしろ狙ってFUNCKARMAに近付いたのだろう。
そもそも『ヒップホップ流儀に則った』とは書いたが、あくまでトラックがブレイクビーツを基調にしているためにそう聴こえるだけ。ヘッドフォンでじっくり聴けば、拡散した音色の使い方やディレイを多用する音の崩し方など、徹頭徹尾ヒップホップフォーマットからずらして創られている。
しかも声や言葉を武器とするラッパーの上前を撥ねるような、声の加工を大胆に執り行っている。リミックス音源でもなく、アクセントを越えてこれほど弄りまくっているヒップホップアルバムはそうそうない。
なるほど、こりゃSkam産になるわ。

果たしてコレをヒップホップカルチャーどっぷりのB-BOYサンが聴くかどうかは別として、ニカ側の人が聴かないのは本当にもったいない。
双方、クラブミュージック上がり。ヒップホップから生まれたブレイクビーツをニカ側が導入した時点で、いづれこのような形で完成を見るのは確定事項と言うか――
そのくらいこのアルバムは凄い出来なんだが、如何せん自己顕示欲のないSkamレーベル。地味ーにひっそり売り出されてま。

M-01 Cdc
M-02 Figure Of Speech
M-03 Power Divine
M-04 American Dreams
M-05 Nite
M-06 Medic
M-07 Fukwit 2
M-08 Roar
M-09 Sick Of This Shit
M-10 Trenches
M-11 That Ain't Where It's @
M-12 Shout
M-13 Sown Terror


2011年5月4日水曜日

KHANATE 「Things Viral」


暗黒音楽界の手だれが雁首揃えた、2003年作の二枚目。

全くもって酷い音である。
ギターはリフを奏でず、耳障りなフィードバックを搾り出すことに終始している。ベースは重く低い持続音をひたすら継ぎ足し続ける。ドラムはビートを刻む本来の役目から逸脱して、打楽器の叩き出す音のみを欲する。ヴォーカルは喉から絞り出すような慟哭にも断末魔にも似た叫びと、呪詛のような呟きを使い分ける。
この四つの音が拡散し、ドが付くほどの低速度であっという間に聴き手の嫌悪感を植え付けていく。こんな音楽性なのに即効性があるのには、ほとほと驚かされる。
『音楽ってのはー〝音を楽しむ〟モノだしー』と、暢気なコトを抜かす輩に現実を突き付ける、全くもって底意地の悪い音である。

ただ〝音を楽しむ〟方々が、こんな悪夢のような音源を手に取ろうなんざ思いもしないだろう。まかり間違って聴いてしまった際、ほとんどのケースでこう口にされるだろう。
『何コレ。音楽じゃない!』
残念ながら、創り手が明確なヴィジョンを有して音を弾き出している以上、コレはれっきとした〝音楽〟である。世界は広いね(ニッコリ

理解出来ないモノに出遭ってしまった場合、いちいち対峙せず、なかったコトにした方が精神衛生上良い。

それなのに、彼らの〝明確なヴィジョン〟とやらが『全ての聴き手の心を音で陵辱する』だったりしたらどうする?
軽快さや起伏などこれっぽっちもなくて、暗く閉じ籠ったような空気で、不快感や不安感を引き出すような音色で、記憶に焼印を押すかのようなインパクトで、陰惨な六十分を繰り広げる。
日本盤は更に約三十分・三曲のボーナスディスクを追加して、嫌がらせ度を増す。
この悪夢が頭から離れないのは、彼奴らの暴力に屈してしまった証だとしたらどうする?

『母なる大地よ、父なる神よ、聖なる霊よ、そこに希望はあるのですか?』〝Commuted〟

Disk-1
M-01 Commuted
M-02 Fields
M-03 Dead
M-04 Too Close Enough To Touch
Disk-2 (Bonus Disk For Japan)
M-01 Reh / Improv 1103
M-02 No Joy (Remix)
M-03 Commuted (Coda)


2011年5月2日月曜日

COLLEEN 「The Golden Morning Breaks」


フレンチおねえさん、セシル・スコットによる2005年作の二枚目。
レーベルはSUSUMU YOKOTARIOW ARAIなどのアルバムを配給し我が国と縁の深い、英国はヨークシャーのThe Leaf Label

まずジャケットが良いじゃないですか。
幻想の世界。そんなたゆたう世界を天使に誘(いざな)われて歩き回るような音世界。カメラのレンズに油を塗って、曰くありげにぼかして。
一角獣は本来獰猛だが、純潔の乙女の前では大人しくなるらしいね。

さて、一枚目「Everyone Alive Wants Answers」はほんの隠し味程度に電子音が散りばめてあったが、本作(以降)はまったくの生音。彼女自身が演奏するクラシックギター、オルガン、オルゴール、チェロ、鉄琴、琴(?)、ツリーチャイムなどを曲毎に使い分け、自ら編集し、創り上げている。CD印刷面がディスクオルゴールを模している通り、オルゴールちっくに組まれたトラックもある。
生音基調でエレクトロニカなのか? という疑問符もあろうが、指が弦をこする音、爪が楽器に触れる音、録音機器から発生するグリッチまで拾い、繊細に紡いでいく手法は明らかにエレクトロニカの影響下にある。
エレクトロニカは電子音を使うべきだとするのなら、彼女のような音を創る者たちへ〝ネオクラシック〟なんて言葉を用意しているらしい、誰かが。
ジャンルの細分化は鬱陶しい。

多彩な楽器を多才な女性が操り、全十曲をさまざまな色で彩っていく。
そこには驚きはないがその分、聴き手の邪魔をしない。幼き天使の姿をした彼女が導く世界へと、沁み込むように浸らせてくれる。
これは聴く絵本だ。

M-01 Summer Water
M-02 Floating In The Clearest Night
M-03 The Heart Harmonicon
M-04 Sweet Rolling
M-05 The Happy Sea
M-06 I'll Read You A Story
M-07 Bubbles Which On The Water Swim
M-08 Mining In The Rain
M-09 The Golden Morning Breaks
M-10 Everything Lay Still

日本盤はこの翌年、何とほぼ同時期に発表されたミニアルバム「Colleen Et Les Boites A Musique」が付いた二枚組仕様になっている。
気になるDisk-2の内容は、これまた驚きのほぼ全編オルゴールトラック。痒いところに手の届く素敵カップリングだ。