2014年5月24日土曜日

HIMURO YOSHITERU 「Where Dose Sound Come From?」


なにげに十五年以上のキャリアを持つ、大分県出身のヴェテランニカクリエイター:氷室良晃の六枚目。2010年発表。

彼のデビューは1998年FREEFORMトム排出輩出したロンドンのWorm Interfaceから。何と逆輸入クリエイターだったりする。
現在は日本のレーベルを転々としながらもコンスタントに活動を続けているが、音楽性は変わらず忙しない。とは言え、初期の作品を今聴くのは猛烈に恥ずかしいらしい。
デジデジしい上モノをがちゃがちゃ引っ掻き回し、アタックの強いビートをケンカ腰に叩き込んでくる、チップチューンばりの安さに、コーンウォール界隈が演るドリルンベースばりの粗雑さを加えた音楽性は未だ健在。M-05あたりがその頃を垣間見せてくれる。

ただ、これがワイや! と開き直り続けず、原型を残しつつも老練していった点に、彼の高い学習能力を感じ取ることが出来る。

本作におけるトラックはいずれも予期せぬ展開に満ちている。それを支えるのは、変幻自在の打ち方で独特のずれ感覚を演出する卓越したビートセンスだ。
速いBPMでがんがんぶっ飛ばしたかと思えば、後半ずるりとテンポを落として電池切れを待つかのような終わり方もする。シャツのボタンを掛け違えたような裏打ちビートが、やがてオーソドックスなブレイクビーツや四つ打ちへと整っていくのかと思いきや、結局はサボってみせたりもする。まるでDJプレイさながらにビートをシャッフルしまくって、崩壊一歩手前でぶった切ってみせたりもする。
またトラック構成も異質で、前半と後半がまるで様相の違う二層構造も多い。M-04などその代表格で、終盤に突如としてノークレジットの男声レゲエディージェイが割り込み、我が家の如く振る舞う暴挙も。
無論、破壊衝動よりもメランコリックな彩が強いトラックも存在する。また〝破壊〟美ではなく、シンセを効果的に使った純粋に美的なトラックもある。

この通りハチャメチャなのだが、そこかしこに計算が見え隠れする。これ以上音色を崩したら何が何だか分かんなくなっちゃうとか、ここらでトラックを終えとかないとだらだら聴こえちゃうとか、ここから何か変化付けないと流されて聴かれちゃうとか――ちゃんと聴き手を置いてけぼりにしない配慮が随所に込められているからだ。
ゆえにポップですらある。
だが本人はそんなことないよ、と嘯いてそう。こんにゃろう、シャイなあんちくしょうめ!

M-01 The Adventure On My Desktop
M-02 Is Resistance Futile?
M-03 We, Mess-Age
M-04 Start It
M-05 I Wanna Show You What I'm Seeing
M-06 Unwind And Rewind
M-07 Bold Lines
M-08 Laser Diode
M-09 BSK - Miss Kimono Dancers (Himuro Remix)
M-10 Sort Of DnB
M-11 Hi!
M-12 Why Done It
M-13 If I Could Play Guitar
M-14 Me Vs Me

M-09は福岡のチップチューンソロユニット:撲殺少女工房(BSK)とのコラボ。BSK側にオリジナルトラックがないようなので、氷室があちらからトラックを貰って自分なりに仕上げたものと思われる。


2014年5月22日木曜日

HOMELIFE 「Flying Wonders」


アシッドハウスの巨人:808 STATEグレアム・マッセイが名を連ねるアブストラクト系バンド、2002年作の三枚目。
Ninja Tuneと、過去二作を出していた自己レーベルMad Waltzの共同リリース。

どうやらこのバンドを仕切っているのはアンソニー・バーンサイドなる人で、マッセイは一参加メンバーに過ぎないようだ。(後にマッセイはココの参加メンバーを軒並み引っこ抜いて、TOOLSHEDを結成する)
さてその音世界はラウンジ風(当然ジャジー)な人力ブレイクビーツ。〝あぶすとらくと〟でタグを括ったが、特有の暗さはない。日光の射し込む室内音楽といった趣き。
また、アジアンテイストの強い曲調だが、それ系の楽器はシタールくらい。むしろコンガやボンゴやマリンバやティンバレスやウクレレのようなラテン系楽器を用いたトロピカル風味も能くする。もちろん曲によっては打ち込みも絡める。

要はラウンジミュージックを軸に、勝手気ままに創ってみました! という印象。無論、土台はしっかりしているので散漫さはかけらもない。完成度も非常に高い。
惜しむらくは、オトナでハイセンスな雰囲気漂う耳触りの良い音楽性のお蔭で、聴き込むには物足りなさが残る点か。
実は、鼓膜を弾く打ち込み臭いキックを含むエディット感満載なラウンジ曲のM-07や、続く間曲代わりのM-08では、ターンテーブルを用いた生音素材の打ち込みトラックなど、面白いコトもちょぼちょぼ演っていたりする。
なお、気に留められることはあまりない模様。

ただこのさらっとした楽曲群が必要最低限の自己主張しかしないせいで、アルバムリピート率は恐らく高くなるものと思われる。BGMにもってこい。
聴き疲れしないからこそ、聴きたくなる。〝オサレ〟も悪くないモンだぜ。

M-01 Flying Wonders
M-02 Buffalos
M-03 Try Again
M-04 Seedpod
M-05 Fairweather View
M-06 Steps-Tone
M-07 Fruit Machine
M-08 D.Ex. 1
M-09 Mai Beshe Peeinal Dosta
M-10 Too Fast
M-11 Wonderley


2014年5月20日火曜日

31 KNOTS 「The Days And Nights Of Everything Anywhere」


オレゴン州はポートランドのヘンテコスリーピース、2007年作の六枚目。
引き続きレーベルはイリノイ州のPolyvinyl Records

今回は前作よりも多くのゲストを迎えている――と言っても仲間内だが。
バンドの支柱:ジョー・ヘージの別バンド:TU FAWNINGのトゥーサン・ペロー(M-01、03で金管楽器系)と、前作に引き続き参加のコリーナ・レップ(M-03、06、11でコーラス)。本作でもドラム兼任録音技師として兄弟のイアンと共に卓へ向かうジェイ・ペリッチが手掛けたDEERHOOFのドラム:グレッグ・ソーニア(M-06でギターと、本作の共同ミキサー)など。
それによる変化は……特になし。
まあ金管楽器導入は新機軸っぽいが既に演っているし、ヘージが忙しなく操るサンプリングを生演奏にしただけという見方もあるので、本当に特になし。平常運転。
ゲストを呼んだ程度で音楽性が移ろってもらっても困るが、少しは新風を吹き込んで伸びしろを見せていただかないと、なんて意見もありうる。
ここで考えてみて欲しい。存在自体が特異な音楽性をしているのに、毎回毎回あっと驚く新機軸を考える必要があるのだろうか。
いや、全く、一切、これっぽっちもない。

相変わらず曲展開やアルバム構成はごろごろ変わる。奇妙なサンプリングセンスを山車に不条理な夢を具現化したような、地に足が付けないM-02。フィンガーピッキングのベーシスト:ジェイ・ワインブレナーの妙技が存分に味わえる、ラウドなM-04。タメの使い方がクセになるM-05。一つの曲として聴いて欲しい、ギターの掻き鳴らしから明け、三者三様の火花散るバトルに発展するM-08~09。アルバムの終わりに向けて、ピアノを用いてしんみりさせにくるM-10。大聖堂で録音したかのようなラストのM-11――
この通り、剥離しそうな多岐に亘る音楽性を存在感だけで癒着しているバンドへ、他に何を試せと仰るのか。
逆に彼らにとって作品の統一感や方向性など、件の〝存在感〟とやらを全作曲の舵を取ることで背負っているヘージが有する奇天烈なセンス任せだと分かる。
ココでも書いたが、感性の勝った出来人と我々凡人では同じ景色でも映り方が違うのだ。

このある意味堂々たる風格は、もっと評価されるべきかと思う。
彼らは彼らなりに王道、金太郎飴なのだ。

M-01 Beauty
M-02 Sanctify
M-03 Savage Boutique
M-04 Man Become Me
M-05 The Salted Tongue
M-06 Hit List Shakes (The Inconvenience Of You)
M-07 Everything In Letters
M-08 The Days And Nights Of Lust And Presumption
M-09 Imitation Flesh
M-10 Pulse Of Decimal
M-11 Walk With Caution
M-12 Innocent Armour (Bonus Track For Japan)
M-13 Wrong And Why It's Not Right (Bonus Track For Japan)
M-14 The Beast (Bonus Track For Japan)

日本盤は本作でしか聴けないボートラを三曲追加し、アートワークも差し替え。
アウトテイクっぽい地味な曲だけど、捨て曲ではないのでお得。


2014年5月18日日曜日

RIOW ARAI 「Graphic Graffiti」


2011年作、大台の十枚目。
本作から、自ら立ち上げたRARでのリリース。

今回も異色作の内に入るかと思われる。何せ切れ味鋭いワンショットのブッコミが特徴の上モノ使いを、ループを立てたミニマル路線にシフトしたのだから。
M-03のように、如何にも彼っぽいベースラインをあえて寸断して短尺ループを生成し、回しっぱなしにするメソッドで、いつもとは違う匂いを感じ取っていただきたい。
そこで固定観念とやらが邪魔になるので、同時に取り払っていただきたい。
加えて、ヘッドフォンもご用意いただきたい。

さて今回、短尺ループを主音に立て、副音もループで固め、そのループの抜き差しの妙で勝負を挑んでいるかのように思える。
あらら? 日本ビート学の権威の金看板は?
いやいや、ここでヘッドフォンを。聴いていた印象ががらりと変わるので。

とりあえずいつもの左右チャンネルで音色をちらつかせる手管は、以前より控えめだがちゃんと残してある。それよりもM-05やM-07のようなスネア音色に過度のエコーを掛けたり、カットしたり、カットした残響音で拍を取ったりするダビーな創りの方が特徴的だ。
だがそれを以て新しいビート解釈! と語るのは表層的かと思う。
本作は、やけにビートが刺すのだ。
今まではアタックの強いビート音色を用いていても、刺されるような触感はワンショットの上モノが担っていた。だが今回、鈍器で殴打一辺倒ではなく、時には大剣、らしさを求めて突剣、いやらしく待ち針、と要所用途に合わせたビート音色で鼓膜を貫いてくる多角的かつ逆転の発想を用いているのだ。
おそらくスネアよりもキックの入れ方に力を入れた結果かと思われる。それよりも、ループという刺せない上モノを立てた以上、彼の持ち味である歯切れの良さを保つための結論かと筆者は考えている。
鼓膜を突き刺す鋭利なビート――ビート特化の彼らしい新たな方向性かと。

最後に、今回は恒例のイントロはないものの、終いのM-10はアンビエントで優しく締める。いろいろ音楽性は冒険するのだが、アルバム内ではこのような法則性を堅持するのも、几帳面な人柄が伺えて面白い。

M-01 Adam
M-02 Centerposition
M-03 Middleage
M-04 Beatleaks
M-05 Desolation
M-06 Regret
M-07 Stopcoolconfine
M-08 Exposure
M-09 Newstream
M-10 Graphication

なおRARで、ただでさえダビーな本作のダブヴァージョンがオンライン配信販売されている。


2014年5月16日金曜日

KTL 「IV」


シアトルの漆黒斧使い:オマやんSOMAことステファン・オマリーと、Editions Megoを主宰するPITAことピーター・レーバーグの異色デュオ、2008年作(こんなタイトルだが)三枚目。
レーベルは無論、Editions Mego。デザインは、オマリー。

まずは資料的なことから。
ユニット名は〝Kindertotenlieder〟の略。演出家のジゼル・ヴィエンヌとアウトサイダー作家のデニス・クーパーによる同名の舞台の劇伴を創るにあたって、依頼を受けたレーバーグがオマリーを誘うところからこのプロジェクトが始まっている。
やがてLP二枚、EP一枚でその活動が一段落するも、解散せず独自のユニットに発展。あのジム・オルークをプロデューサーに迎え、何と日本の吉祥寺でレコーディングを敢行。ドイツのケルンでミックスを施し、出来たモノがコレ。
なお、BORISの敦夫がドラムで参加している。

さて内容だが、オマリーのギターを軸にレーバーグがノイズ/電子音を散らす、掛け声一つ入らぬ純然たるインスト。ドラムは居るが拍は欲さぬ、衆目の予想通りな音世界だ。
ただ、そこで『ですよねー』と知ったふりして深く攫うのを止めては、このアルバムの持つ〝業〟が浮かび上がってこない。
そこに、彼らの求める罪深い音世界があるのだから。

まずレーバーグの捻り出す各種音色が非常に多彩であること。
オーソドックスにインダストリアルちっくな軋む音から、バネが無軌道に跳ね回るような音。垂れ込める幽々しき背景音。電子ホタルが火を灯すようなワンショット。目覚まし時計から生成したようなけたたましい連続音。水晶製の縦柵を棒で左から右へ辿ったような音。電子部品がスパークするような音。鼓膜を棒の先であちこち弾く音――
ある意味大ネタ使いであるムジークコンクレートとは一線を画した、我々素人の耳には『これどうやって作ってんだ?』としか思えないさまざまな雑音が、オマリーのギターへこっそり茶々を入れつつ、さり気なく幅を利かせている。
それを更に深化させたのが、オルークの推進する〝偶発的な音〟の有効活用である。
つまりグリッチ――録音の際に発生した予期せぬ音だ。
オマリーのアンプから絞り出たフィードバックやプラグをガリる音、レーバーグの機材から漏れた通常ならカットすべき雑音はもちろん、敦夫のドラムをわざと低周波数で録り、その際に生まれた正しく再現出来ていない音もろともトラックに組み込むような大胆な発想も彼ならでは。
上記の要素が全て詰まった、21分にも亘るM-02がこのアルバムのハイライト。力技のギターとドラムが、手練手管のノイズを相手取って獅子奮迅する。

偶発的な+αを欲している割には、全てが計算ずく。一見、オマリーがレーバーグとオルークの掌で踊っているかのように映る。
だがオマリーは、彼の弾くギターは、操り人形に非ず。SUNN O)))で培った、これまた多角的なギターの鳴らし方で勇ましく対抗する。
音像はドローン系なのでさしづめ、静かなる水面下での諍いか。もちろんお互いの才にリスペクトを払った、美しい闘いであることは論を俟たない。

音の気持ち良さだけでなく、音の凄さの一端を垣間見られる一枚。
聴けば聴くほどその真価が牙を剥く。

Disc-1 「IV」
M-01 Paraug
M-02 Paratrooper
M-03 Wicked Way
M-04 Benbbet
M-05 Eternal Winter
M-06 Natural Trouble
Disc-2 「KTL IV Paris Demos」
M-01 Paraug 1 Part 2
M-02 Paraug 1 Part 3
M-03 Benbbet
M-04 Parathird

毎度毎度のDaymare Recordingsによる日本盤だが、ゲートフォールド紙ジャケ仕様はもちろん、ボーナスディスクに2008年八月八日にパリで録った限定150枚のデモ音源(本作のプリプロダクション!?)が付いてくる。そのランタイムは47分くらい。
高いけどとてもお得。


2014年5月14日水曜日

SKERIK 「Left For Dead In Seattle」


泣く子もにやつくシアトルのサックス吹き、2006年発表のソロ作。

よく映画で〝構想十年!〟やら〝制作期間十年!〟やら大仰なタタキ文を目にするが、要はその企画が配給会社に売れなかっただけ。つまり、年数掛けた意味などない。
一方、音楽アルバムの本作は、1993年から2003年までに録り溜めていた音源を蔵出しした作品でしかない。日本盤以外は自主制作盤なのもやむを得ない。

さて、あえて上記のデータを踏まえずに聴いていただきたい。

ゲストは多彩。
相方のマイク・ディロンはちょろっと(M-02でパーカッション)だけ参加。他に筆者の知っている名前では、SUNN O)))やEARTHを手掛けたシアトルの録音技師:ランドール・ダン。同じくシアトル系録音技師のメル・デトマー。本作のアートワークも手掛けるマウリース・コールドウェルJr。別プロジェクト:CRACK SABBATHの仲間(伝説のスラッシュコアバンド:THE ACCUSEDの再結成メンバー含む)。同じく別プロジェクトのSYNCOPATED TAINT SEPTETの仲間。平然と、CRITTERS BUGGINのマット・チェンバレン。シアトルの裏スーパーバンド:MAD SEASONのジョン・ベイカー・ソーンダースあたり。
共通項は〝シアトル周り〟なだけで非常に節操のない面子だが、内容もかなりアレ。
M-02など真っ当なくらいスケリックっぽい多重録音のサックスが大活躍するジャズファンクなのだが、後はもう滅茶苦茶。
ヴォコーダーが大活躍する似非ソウルのM-03。ナメくさったヴォーカルが妙にイラつくヘンテコファンクのM-04。10分にも亘るポエトリーディング風ヒップホップ曲M-05。ヴァイオリンとスケリック自身が叩くヴィブラフォンを立てたポストロック風のM-06。声楽を茶化したM-07。前半でヒップホップの、後半でハードロックのだっさいところをわざと凝縮させたサンタクロース礼賛曲M-09と10――

……まあ、まとまりがなさ過ぎてしょーもない作品なのは確か。だがお茶目なスケリックのキャラも相俟って、その散漫さも許せてしまうはず。
そうなれば蔵出し編集盤っぽい臭いも感じられないはずだし、そもそもアウトテイクにしては趣深い曲ばかり揃えており、聴き手の覚えもよろしいはず。
なら如何にもスケさんのソロアルバムっぽいよな、と御納得いただけるはず。

あんまり深く考え込まない方が良い。それほど深いコト考えてなさそうだから。

M-01 Black Bong
M-02 BMF
M-03 Colon Pile
M-04 Touch Of Tenderness
M-05 Invisible Bowl
M-06 Et Tu Koko
M-07 Nightmare Before Circus
M-08 Psycho Circus
M-09~10 Must Be Santa
M-11 BMF Reprise
M-12 The Nappy Triangle


2014年5月10日土曜日

TIM EXILE 「Listening Tree」


ベルリン在住の英国人:ティム・ショウによる2009年作のEXILE名義(苦笑)を含めて三枚目。
Warp Recordsデビュー盤だが、正確には〝コーンウォールのガリ勉野郎〟マイク・パラディナス(μ-ZIQ)率いるPlanet Mu Recordsとの共同リリースになる。

Planet Mu単独リリースの前作(2006年発表)は、クラブミュージックの極北:ブレイクコアが強いレーベルからということで、音楽的破綻も辞さぬはちゃめちゃな出来だった。
それがもう……ココまで端正な作品を創れるものかと。
きらびやかなメロディの主/副音と重厚感のある背景音を耳一杯に広げ、朗々とした低音が魅力の彼自身による歌唱をフィーチャーし、絶妙なタイム感で組まれるいびつなボトムラインに心踊らされる。
ブレイクコアの名残りは、たまに音色を崩壊させたがったりする部分やら、前述したビート構成のいびつさくらい。

ここで〝ブレイクコアを忘れたカナリア〟と叩くのは非常に偏狭な意見かと思う。
なぜなら彼は幼少期に聖歌隊に所属し、バロック音楽などクラシックの教育を受けた後、ローティーンでクラブミュージックに開眼する異端児だからだ。

それを踏まえて聴けば、この本作のムダなくらい大仰な曲調の根幹が見えてくる。
M-02やM-07の加速/減速を交えたドラマティックな構成。ニューロマ派生かと思われた自身のヴォーカルスタイルや、M-05での高音パートの絡ませ方。静かにアンビエントで締めるかと思いきや、後半でTIM EXILE AND HIS COMPUTER ORCHESTRA化する壮大なM-10など――
自分のバックボーンを今自分が一番楽しめる音楽で小出しに表せるなんて、何と芳醇な音楽環境であろうか。
なお、音響工作も込み入っており、各音色が有機的な粒子となって生き生きと鼓膜を通じ、脳内で自由に弾け回っている。
それは打ち込み派生の上モノに限らない。ワンフレーズごとに細切れにしたヴォーカルや、ビートパーツも例外ではない。取り込んだ生音を加工し倒して別物に精製するセンス(M-05の出だしのループ、明らかに音楽室の人気者:ギロだよね)も特筆すべき点だ。

音色過多を聴きやすく整えるテクスチャ面、良質な音色選択感覚、意外にも有す大衆性など、興味本位の者まで取り込めそうな秀作。

M-01 Don't Think We're One
M-02 Family Galaxy
M-03 Fortress
M-04 There's Nothing Left Of Me But Her And This
M-05 Pay Tomorrow
M-06 Bad Dust
M-07 Carouselle
M-08 When Every Day's A Number
M-09 Listening Tree
M-10 I Saw The Weak Hand Fall
M-11 Carbon Tusk (Bonus Track For Japan)


2014年5月8日木曜日

NADJA 「Queller」


カナダの夫婦スラッジ善哉、約一年半ぶりの単独フルレングスアルバム。2014年作。

2010年に本作と同じ、ブラジルのEssence Musicから切った「Autopergamene」(注:リンク先は通常盤)149セット限定ボックス仕様の装丁の素晴らしい出来栄えに甚く感動した夫妻。今回のもこだわってマス。
光沢を抑え、シックで肌触り滑らかなマットコート紙を用いたゲートフォールド紙ジャケ。しかも厚手のボール紙にシルクスクリーンで手刷りした帯(俗にいう〝Obi-Strip〟)付き。
まるで例のトコから出した日本盤みたいデス。

さて内容は、四曲とも九~十分。NADJAとしては長くもなく、短くもなく。
音世界はいつも通り、曇天泥濘牛歩鈍重音楽。全曲、例の溶けて消えゆきそうなヴォーカル入り。ただし、「Dagdrom」を機に移行するかと思われた生ドラム路線ではない。普段通りの打ち込みドラム。残念。
また、今までより若干、拡散性ギターノイズ――つまりシューゲイザーちっくなギター音色が強いような気がしなくもない。まあ司令塔のエイダン・ベイカーは『シューゲイザーがバックボーン』と吐露しているクチなので、何ら問題はない。
こうなれば安定のNADJA印。悪い訳がない。

けど、どうせ奴らは金太郎飴。差異などこのくらいか? なんてヒネクレ心で高を括っていればM-04で眉根が寄るはず。
何と、泥濘牛歩を貫徹する彼らなりに軽快な変拍子ビートをボトムに敷いてきたのだ。
とは言え、上モノは相変わらず拡散性のあるへヴィディストーションギターなので、思ったより違和感はない。むしろマシーンビートを拍としか考えてなさそうだったベイカーがビート構成に目覚めたかも知れないと推測すれば、筆者的には朗報だ。
なお、この曲が作中、一番シューゲイザー臭い。

以上を踏まえて、本作はNADJAとしては〝外伝〟の扱いを受けると思われる。無論、彼らは外伝でも一切手を抜かないのは語るに及ばず。
最後に本作、CDはたった300枚限定だそうな。(LPは白盤・黒盤合わせて353枚)

M-01 Dark Circles
M-02 Mouths
M-03 Lidérc
M-04 Quell