2012年11月30日金曜日

NADJA 「Dagdrom」


「Autopergamene」以来、二年ぶりの公式アルバム。2012年作。
Broken Spine Productionsは、エイダン・ベイカーとリア・バッカレフのNADJA夫妻が現在の居住地であるベルリンにて立ち上げた自己レーベル。おしなべて、ベイカーのソロや別プロジェクトを発表する場のようだ。

本作は本人たち曰く「新章」らしい。
ただ音像ががらりと変わったか、と問われれば「特に」と筆者は淡白に返すことだろう。
シューゲイザーとスラッジの中間、曇天泥濘路線。近作の傾向からして全編、声という音色としての歌の導入。各曲の長さはムダに引き伸ばさずとも、10分前後を使い切る。
いつも通りの安定感。(発言は常に変革志向強いニュアンスなのにねえ)

ならばどうして「新章」と謳ったか。偏に人力のドラマー参加に負う部分が大きい。

90年代前半のオルタナティヴロック潮流以前から存在感を見せつけるも、世紀末直前で事切れた(が、ついこの間再結成しやがった)伝説のイカレバンド・JESUS LIZARDのほぼオリジナルドラマー、マック・マクニーリーがその人。
普段の打ち込みビートではなく、生ドラムを導入した作品は他バンドとの競演作以外にも初めてではない。2008年の「Desire In Uneasiness」がそれ。ドラマーは、ベイカーの別プロジェクトでも叩いているジェイコブ・シーセン(Jacob Thiesen)。
その際のビートは何だか打ち込みっぽいと言うか、ベイカーに打ち込みビート使用のデモを聴かされ「この通りに叩いてくれ」との要望に応えただけのような物足らなさだったが、今回は違う。
マクニーリーによる、ドラムセットを叩き壊さんばかりのパワフルさと、人力ならではな六十四分休符程度のスネアのずれ――ベイカー本人が〝オーガニック〟と自負するくらいの生々しさを持って、破壊的かつ創造的なNADJAサウンドの野太いボトムを底上げしている。(このタイム感が気持ち良いから、あまり「モタってる」とか言ってくれるなよな。ほんとにモタってるトコもあるけど)

無機から有機へ。おや? なるほど、新章。確かに変革。

M-01 One Sense Alone
M-02 Falling Out Of Your Head
M-03 Dagdrom
M-04 Space Time & Absence

恒例、Daymare Recordingsからの日本盤は、おまけディスク付きの二枚組仕様――だが、コレが問題。
元々はAIDAN BAKER名義の2012年作「The Spectrum Of Distraction」購入特典のDL配信音源「Spectrum Sessions」からマクニーリーが叩いているトラックを選り抜いて、ベイカー自身が再編集したモノ。
本名名義はヘヴィディストーション控えめでジャズの空気が強い作風なのに、何で一緒くたにしてしまうかねえ。


2012年11月24日土曜日

JAMIE LIDELL 「Muddlin Gear」


悲しいかな、これ以後と比べると些か地味な扱いのジェイミー兄貴ソロデビュー盤は2000年作品。本名、ジェイミー・アレクサンダー・リダーデイルって言うんだね!
Warpと、スクプなトムくん排出輩出したことで知られるSpymaniaの連名リリース。

いや、本作が地味なのも致し方ない。
はっきり申し上げて、二枚目以降の音を期待して、もしくは初作品だからまず、とお手に取られるのなら、筆者は顎をしゃくりつつ、『1stだけは、やめておけよ』と提言させていただく。
コイツは洒落にならない。この前後でブイブイ言わせていた、クリスチャン・ヴォーゲルとのユニット・SUPER_COLLIDERの方がよっぽどキャッチーだ。
大げさに書くと、当ブログ紹介で扱ったアルバム中、一・二を争うほどの難物かも。

まず、あまりに音像がブロークン過ぎる。
ぶつ切り気味の各種音色はメロディ度外視でひたすら拡散され、聴き手の脳内攪拌を常に狙っている。PVにもなったM-09がAVのパケ写詐欺的に浮いているのだから、相当。
ビートは意図的にふらつかせる。それどころかまともに拍を刻んでいないトラックもある。アルバム後半に至ってはドローンアンビエントまで溶解している。
現在の彼の代名詞、暑苦しいくらいソウルフルな歌声はこのエグい音像の犠牲者と化し、注目されづらくなっている。それどころかアルバムの半数以上はインストで、せっかくのストロングポイントをかなぐり捨てる暴挙に。

もしかして駄作? いや、怪作。当ブログは筆者が面白くないと感じた音源は扱いませぬゆえ。

このかっ飛ばした音像に慣れてくると、痛快! とまでは言わないが、どこから、どんな音が、どのように鳴って来るか予想出来ない、シュールな気持ち良さに駆られる。
また、リアルタイムで自らの声をサンプリングし、重ねる、彼お得意のライヴパフォーマンスを卓で再現したかのようなトラックもあり。むしろコレ、ダブステップの先取りじゃないのか? と思わせるトラックもあり。なぜか、Spymania繋がりでスクプなトムくんを髣髴とさせる音世界のトラックもあり。
それよりも何よりも、M-12が終わって数分のトラックギャップ後、素敵な独りアカペラで締めるやり口が気に入った。あくまでおまけっぽくすることで、あまりにえげつない本編との対比を鮮明にさせる解釈も出来るし、後にコレが以後の路線の複線なんだろうなと邪推することも出来る。

聴き所はいくらでもあるけど、それが即評価に繋がる訳ではない。この地味さは、暗黙の了解が働いているのかも知れない。
物事には順序ってモノがある。

M-01 The Entroscooper
M-02 Said Dram Scam
M-03 (Untitled)
M-04 Ill Shambata
M-05 La Scappin Rood
M-06 In Inphidelik
M-07 Silent Why
M-08 Da Doo Doo
M-09 Daddy's Car
M-10 Oo..o
M-11 The Cop It Suite
M-12 Droon_99
M-13 Daddy No Lie


2012年11月22日木曜日

FILA BRAZILLIA 「The Life And Times Of Phoebus Brumal」


2004年六月発表の九作目。当然、自家醸造

ちょっぴりダサめの音色使いで繰り広げられる、ジャズファンク風味ブレイクビーツ。相変わらずの構成かと思いきや、前半でおおっ!? と目を見開かす。
M-05まで軽快なアッパー路線。それを曲間なしでぽんぽん切って行くので非常に小気味が良い。しかもM-03から04に跨って歌うPapa Vなるシンガーの揚げっぷりも巧みで、ついつい乗せられてしまう。
掴みはばっちり。
その後はいつもの路線。ここら辺は安定株の彼ららしく、手堅くカッコ良くて如何にもFILAちっくなトラックが脈々と連なっている。
かと思えばたまにクラブ栄えするノリの良いチューンを忍ばせて飽きさせない。

以前までは明るくなりきれない作風のFILAだったが、さりとて暗くもないんだぜ! とお澄まし顔でトラックを呈してくれるようになったのは大きい。
元からあえて捻らない、シンプルなビートを標榜していたユニット。このような路線に行き着くのは当然。それでもアメちゃんのような、あほあほパーティ狂路線まではっちゃけないところはやはり、英国人としての矜持であろう。
その一方で後半、M-13では本格的ジャズっぽさ剥き出しのトランペットとFILAサウンドの融合を試みたり。M-14ではアメちゃんラッパーのジンジー・ブラウン(ジャズサックス奏者、マリオン・ブラウンの息子らしい)を迎えての、締めに相応しいウェットなヒップホップ風トラックに挑戦したり。「まだまだ伸び代あるよ」と攻めの姿勢を崩さない。

それなのに次、同年九月の記念すべき十枚目が、結果的に最後のオリジナルリリースとなってしまった。
つくづく惜しい。もったいない。

M-01 Platinum Spider
M-02 Underpuppy
M-03 Bullshit
M-04 Existentialist Singalong
M-05 Blowhole
M-06 Thatched Neon
M-07 You Won't Let Me Rock
M-08 Boulangerie Digitale
M-09 Boca Raton
M-10 Bantamweight Werewolf
M-11 Madame Le Fevre
M-12 Romantic Adventure
M-13 Uberboff
M-14 In The Kingdom Of Sound


2012年11月20日火曜日

BETH GIBBONS & RUSTIN MAN 「Out Of Season」


ご存知、PORTISHEADのシンガーと、元TALK TALKのポール・ウェブによるプロジェクトはポーティス絶賛休業中の2002年作。ぶっちゃけ、ベスねーさんのリハビリ盤。

ポーティスとは違い、ボトムにブレイクビーツは敷かれていない。アコギやピアノなど、アンプラグ楽器を基調とした素朴かつウェットな創り。
その一方で、M-02やM-04のようにオーケストラをフィーチャーした曲もあるし、ゲストも総じて多い。ポーティス仲間のアトリーと常連サポメンら、ウェブの元同僚などが堅実に脇を固める中で――

やっぱり主役はベスねーさん!

ねーさんの歌唱は二枚目ほどではないが、意外と表情豊か。寂しげだったり、やさぐれていたり、妖しかったり、甘かったり、優しかったり。リラックスした空気が全体を支配しているので目立たないが、やはりねーさんは良いシンガーだな、と再認識出来る。
ただし、たまに音程がふらつくので抜群に巧いシンガーでもないのは確か。でもこの素朴な音像から、生々しさをより演出してくれる。ずるいっ。
まさか、あまり認めたくないのだが……常に張り詰めた空気を強いられるポーティスより、ねーさんはこういう肩肘を張らない方が実力を発揮するのでは。

いやいや、ポーティスあってのねーさん。でなければ今でも場末のライヴパブでM-07のようにアコギの弾き語りをしているだけだったかも知れない。
完璧主義のバーロウが求めるハードルは常に高過ぎるけど、ねーさんもあんまり根詰めずに……ねっ? 今後とも頑張って欲しい。それで、たまに息抜きとしてこんな作品をそっとドロップして欲しい。

M-01 Mysteries
M-02 Tom The Model
M-03 Show
M-04 Romance
M-05 Sand River
M-06 Spider Monkey
M-07 Resolve
M-08 Drake
M-09 Funny Time Of Year
M-10 Rustin Man


2012年11月16日金曜日

TRANS AM 「Futureworld」


あほやで!
たまに牙を剥くメリーランドの張り子狼、1999年作の四枚目はやはりThrill Jockey産。

まあ、へなちょこと熱血の狭間と言うか……いつも通りの分裂症路線。真顔で脱力系のジョークをのたまい、汗だくでも飄々と。
具体的に書けば、如何にも彼ららしい人力テクノのM-07もあれば、M-04のようなごりごりハードロッキンな曲も。M-06の何もかもが胡散臭いエレクトロモンド風も、M-09のような人力ミニマル路線もあり。締めのM-10ではじわじわと盛り上げていく、ダイナミックかつドラマチックな創りも。
そんな中、M-02、03、05、07で本作から正式にヴォーカルも披露。ただしヴォコーダーを噛ませているのはシャイと言うか、KRAFTWERKの遺伝子と言うか……。しかもM-02ではヴォコーダー越しのシャウトなる、世にも珍しい試みが。

さすが曲者、一筋縄ではいかぬわ。
ただ、生真面目に音楽に接するタイプの方とは、この音は相性が悪いかと思われる。何せ音楽性の焦点など、まるで定める気がないのだから。
そこを「みんなを戸惑わせるような言動(音楽性)は慎みなさい!」と口やかましく説教するよりも、「おまえ、あほやなー」と弄ってやった方が楽しい、と筆者は言いたい。
奇を衒い過ぎるくらい衒ってはいるが、音の解釈は至ってストレートなのは事実。ベタですらある人懐っこいフレーズを恥ずかしげもなく用いる、正に裏の裏を突いた音楽性が彼らのキモであり、聴いていて微笑ましくもなる要因なのだから。

さて、〝キモ〟ということは是、音世界の統一感を意味し、それは彼らならではの特色ということになるまいか?
ほらもう! こーゆう奴らなんだ、と許容してあげようよ。
いじいじ重箱の隅を突付くより、豪快にもう一重おかわりしようじゃないのさ。

M-01 1999
M-02 Television Eyes
M-03 Futureworld
M-04 City In Flames
M-05 Am Rhein
M-06 Cocaine Computer
M-07 Runners Standing Still
M-08 Futureworld II
M-09 Positron
M-10 Sad And Young

日本盤は:
M-11 Alec Empire Is A Nazi/Hippie
M-12 Am Rhein (Party Mix)
M-13 Woffen Shenter
M-14 Thriddle Giggit Dream
M-15 Ardorth Marketplace
:と、五曲もボートラがあるお得仕様――も、現在廃盤。しかも翌年発表の編集盤に収められたM-11と12以外はココでしか聴けない。
ただし、M-11のしょうもない曲タイトルを含め、どれも真顔でおちゃらけるジョーク曲の彩が強い。つまり、別にあってもなくても良い。


2012年11月6日火曜日

KHANATE 「Clean Hands Go Foul」


いきなり絞首刑囚(絞首刑+死刑囚)の断末魔。自らのパートを〝Vokill〟と定めていたアラン・ドゥービン(元O.L.D.)によって。十三階段を登る過程をすっ飛ばす唐突さで。
それに負けず劣らず極悪な、あと三種の音。
負の意味で印象的な〝音色〟を、リフという名の単位に縛られることなく捻り出そうと躍起になっているステファン・オマリー(SUNN O)))など)のギター。
生命反応のあるブースト装置として、フレーズを作為的に揺らがせながら淡々とド低音を持続させるジェイムズ・プロトキン(元O.L.D.ほか。マスタリング技師としても著名)のベース。
地味にビートを堅持することに飽き、持ち前のパワーヒッティングで第四の音色としての存在感を誇示するティム・ワイスキーダ(元BLIND IDIOT GOD)のドラム。
この超個性な四色が、閉塞的かつ退廃的な空間から絞り出す暗黒音楽――という作風は前々作で既に確立済み。
本作では更に溶解が進み、ワイスキーダの拍を度外視した鳴り方重視の打楽器志向も相俟って、よりパワーアンビエントな作風となった。オマリーがメインプロジェクトとして動かしている、SUNN O)))の音像に近付いたとも言えるかも知れない。
その雰囲気に合わせてドゥービンの呪詛も、廃屋という閉塞空間に残存する地縛霊の如き幽玄さが浮き彫りとなった。実はこのバンドのリーダーである、プロトキンによる録音加工の賜物と言えるかも知れない。

コレらから導き出される本作の音世界は、憎悪の塊のようなインパクトを誇った彼らとは思えないほど地味で、しかもじわじわ蝕んでくるモノだった。

その象徴たるトラックは、32分52秒にも渡るM-04に。
ほぼ無音――いや、無調。
確かに微かに鳴っている。音符にならない音が、右から左へ。
そっと持続音を継ぎ足し続けるベース。弦を指の腹で撫でるように鳴らすギターを、プラグをガリったノイズと共に。リムショットですらない撥をリムに転がす音から、シンバルやタムを気付かれないよう挿むドラム。吐息の延長で出す、声にならない音のヴォーカル。
それらがだんだんと、暗がりのあちこちからじーっと聴き手を見つめ続け、存在を露わにしていく様はもう、何とも言えない気分にさせられる。電気を消した室内にてヘッドフォン着用で聴きたくないくらい。

そんな2008年発表の本作の原型は、2005年に録られていた。三枚目と同時期らしい。
その翌年、自然消滅に近い解散宣言。
後、2008年。プロトキンが遺されたマテリアルを拾い上げ、ドゥービンの声を追録し、前作同様Hydrahead Recordsよりリリース。その活動にけじめを付けた訳だ。
That's All Folks!

M-01 Wings From Spine
M-02 In That Corner
M-03 Clean My Heart
M-04 Every God Damn Thing