二枚目が発売されたのは1997年。ライヴ盤が発売されたのは翌年の1998年。
三枚目の本作は2008年発表。何やってんの!
その間、メンバーはそれぞれ、別活動をしたり、レーベルを立ち上げたり、誰ぞのプロデュースや客演をしたり、誰ぞのトリビュートアルバムに参加したりしていた。貢献度の高いサポートメンバーを正式加入させたりもしていた。
お陰で十年も経てば音楽性も変わるわな、と思わせるに十分なアルバムとなった。
一言で語れば〝より器楽的になった〟。
元からリズム楽器以外は一通りこなす、晴れて正式メンバーとなったエイドリアン・アトリー(メイン楽器はギター)が居る。司令塔のジェフ・バーロウも生演奏に熱心だ。シンガーのベス・ギボンズはデビュー前、パブでアコギを抱えてブライアン・アダムスの弾き語りをしていた過去を持つ。あと他に、ライヴではおなじみのジョン・バゴット(Key)やジム・バー(Ba)やクライヴ・ディーマー(Ds)だって居る。
アルバム全体像が、おそらくバーロウがドラムセットに向かって叩いたビート
(その一方でわざとらしいほどに打ち込み臭いM-08をリーダートラックに据える、一所に収まりたがらない食えなさも健在)
ならどのような形で、PORTISの持ち味を損なうことなく器楽的になったのか。
まずは、ブレイクビーツという反復音楽とは意外にも好マッチングを見せる、ドイツが生んだ音楽魔境・クラウトロックへの接近だ。メロディに頓着しない音色や、単音旋律の多用、機と見るに意地でも反復を維持する(オスティナート)やり口はココから拝借したようである。
その一方で、聴き手が仰天するほど意外なカードも含ませてきた。バーロウがライヴを観て『PUBLIC ENEMY以来の衝撃だった』と語るSUNN O)))、EARTH、OMなどの重低音サウンドを能くするバンド群からの影響である。
M-02、05、09、11のようなダウンチューニングのギターを、曲の立ち上がりでどろーんとぶち込んでくる恐れ知らずな手法は、陰鬱さをモットーとするPORTISと絶妙な相性を醸し出す。線の細い声質ゆえにバックに力負けするかと思われたベス姉さんの歌唱も、儚さを以って対抗することで、インスパイア元に依存しない新たな魅力も獲得出来た。
バーロウ、慧眼! と言わざるを得ない。(蛇足ながらベス姉さんは彼よりも年上である)
ただし、非常に地味でとっつきの悪いアルバムなのは否めない。ただでさえ暗い音楽性なのに、クラウトロックやスラッジコア色を入れてみましたでは人を選ばない訳がない。一聴で聴き手をがつんと持って来れない。
恥ずかしながら筆者も発売当初、『コレ、練り過ぎでパッション失われてね? つかコレで一番良い曲ってウクレレ一本で歌われる小曲のM-07じゃね』とか公言していた輩であった。
だが生み出した二枚のオリジナルと一枚のライヴ盤全てが傑作と謳われるような才の持ち主が、何の工夫もない如何にもし難い凡作を長い長い長い長い期間掛けて創るはずがないだろうと。
つまり旨味のじっくり染み込んだ、かったいかったいスルメなので、強靭な顎を以って何度も何度も噛んでくださいと。
筆者の顎と掌はもうがくがくデス。
(2011/5/11執筆文を大幅改筆)
M-01 Silence
M-02 Hunter
M-03 Nylon Smile
M-04 The Rip
M-05 Plastic
M-06 We Carry On
M-07 Deep Water
M-08 Machine Gun
M-09 Small
M-10 Magic Doors
M-11 Threads
0 件のコメント:
コメントを投稿