2014年8月22日金曜日

NEUROSIS 「A Sun That Never Sets」


この道、もうすぐ三十年! カリフォルニアはオークランドの悪夢、2001年発表の七枚目。ペンシルヴァニアの地下音楽専門レーベル:Relapse Recordsより。
ジャケはシンメトリーの鬼:セルドン・ハント

基本線は重く暗い、バンド名が体を表す音世界。特級の鬱音楽である。
前作同様のアルビニ録音(スタジオも例の場所)らしさ溢れる、バカデカい音でボトムを支えしジェイソン・ローダーのドラム。ヘヴィ系にありがちなサウンドに埋没する縁の下の力持ち的存在とは一線を画す、くっきりとしたフレーズワークのベース:デイヴ・エドワードソン。この種のバンドにしては珍しい専任キーボード奏者として、サンプラーを駆使しつつバンドの裏で鳴りし効果的な音を一手に引き受けるノア・ランディス。それらを盾に、ソロ同様アコギを能くする底抜けに暗い歌声のスティーヴ・ヴォン・ティルと、喉を酷使した濁声を張り上げるスコット・ケリーの両ヴォーカル兼任ギターを立てた創りとなっている。
そこへ三枚目から非常勤ヴァイオリン/ヴィオラ弾きとして、バンドの退廃美を演出する色白ぽちゃメガネっクリス・フォースが必要に応じて音を重ねる、と。
暗く重く激しいだけではなく、音の鳴りを注視し、ジャンルの垣根を取り払う実験性も重視した理知的な作風だ。

そんな三枚目で確立した音楽性を毎盤アップデートしながら保守し続けている彼ら、今回は徹底して駆けない。元ハードコアパンク上がりならではの外連味ないファストナンバーは封印したものの、テンポが速めの曲はアルバム毎に演ってきた。
だが今回は徹底して低速。どろっと、ずるりと重々しく、遅い。まるで呪詛である。
ゆえにM-02を始めとする、静かに始まって、タメにタメて後半でバンド一丸となり音塊を爆発させる曲展開が彼ら史上最大の(負の)高揚感を発揮することとなる。
それにより、既に暗黒音楽の重鎮として君臨する彼らが、箔というか更なる名状し難き凄みとやらを付与出来た。
これはもう、彼らにとって一大到達点かと。
そのくらい実の伴った緊張感と、押し殺した迫力に戦慄する。
作風からして長尺になりがちなのだが、組曲としても聴ける13分にも亘る漢哭きの大曲:M-05の堂々たる創りからして王者の風格を醸し出している。しかもコレでアルバムを締めて『ねっ!? 俺たちって凄いでしょ?』といちびるのではなく、あえてアルバムの真ん中に配し、続くM-06では常に得意にしてきたトライバルな反復ビートの曲をインタールードのように用いて後続の喚起力を高める、大正義な進行も素晴らしい。

ファンによって傑作が変わる奥深きバンドだが、筆者としては揺るぎなきNEUROSISらしさが具現されたコレが頂点。
ずるずるどろどろ音楽は冗長で単調、なんて批判は浅はかだと本作で知るべきだ。

M-01 Erode
M-02 The Tide
M-03 From The Hill
M-04 A Sun That Never Sets
M-05 Falling Unknown
M-06 From Where Its Roots Run
M-07 Crawl Back In
M-08 Watchfire
M-09 Resound
M-10 Stones From The Sky
M-11 Dissonance (Bonus Track For Japan)

日本盤のみボートラ1曲追加。M-01のロングヴァージョンっぽいので、アルバムをリピートして聴くとループ感が味わえて吉。
それよりも、本作の全曲を映像化した(のと、別働隊がある部屋にて本作を大音量で鳴らしたモノを録音して、その録ったモノをまた同じように鳴らして、それを録音して……を最終的に三十回繰り返した)ブツがあるんだとよ。おお怖っ。


2014年8月20日水曜日

CHRIST. 「Cathexis Motion Picture Soundtrack」


元BOARDS OF CANADA:クリストファー・ホームの、2012年作・六枚目。
Benbecula Records閉鎖により、Parallax Soundsへ軒を移しての初アルバムで、シュテファン・ラーション監督が手掛けたアニメのサントラとなる。

強烈にアート臭い形而上的なアニメの導入曲ということもあってか、想像を掻き立てやすいアンビエントトラックが多め。M-04でようやくビートを敷いた曲になる。
後は歯切れの良いブレイクビーツで軽快に進んだり、キックで拍を取るだけの上モノ任せな感じでまったりしたり、ノンビートで御想像通りのぼわーっとした背景音を立ち籠めたりと、何だかんだでソレっぽく料理している。
元々、地味なパーツをテクスチャで活かす才に長けた人。上モノの出来は言わずもがな。アンビエントなど得意中の得意であろう。最後のM-11、スタッフロール映えしそうなアルバム総決算っぽいブレイクビーツトラックで締めるのも良い。
また、元からメロディを軽んじない人。アニメはあんなんだが、劇伴まで難解そうだなと身構える必要は一切ない。
彼は彼。普段通り。相変わらず。

――と、ニカクリエイターらしからぬ作風の継続性が売りの人。特にこれ以上書くことはないと言えばないのだが……強いて挙げれば生成された音色がやや平べったい鳴りになったような気がする、Benbecula期よりも。
ま、機材を変更したなどの記述を確認出来ない以上、あくまで筆者の感覚なのであしからず。無論、元々ゴージャスな作風ではないので安っぽくなろうがCHRIST.らしさに何の陰りもないのは論を俟たない。

派手な主音を立てて、一発豪打で大量得点! ではなく、軽打と進塁打を地味に重ね、守り抜いて勝つニカを推進するクリス・ホーム。コレ以降、活動拠点を失って沈黙状態だったが、そのままフェイドアウトせずに戻って来てくれて、本当に良かった……!

M-01 Eternity In Our Lips And Eyes
M-02 I Have No Mouth
M-03 Indrid Cold
M-04 Zeroth Law
M-05 Epoch Six
M-06 Twynned
M-07 Need Between The Station
M-08 Singular
M-09 Ehaye
M-10 We Two Are One
M-11 Kardashev Type One


2014年8月18日月曜日

RIOW ARAI 「Survival Seven」


タイトル通り七枚目、2006年作品。

三作目あたりから見えだした己の方向性の許容範囲内で試行錯誤しつつ、その一方でじわりじわりとその音楽的テリトリーを広げて来た彼だが、今回は本質的な進化があまり感じられないように思える。
巨人丸太で拍を刻むかのような、いびつでバカデカいビート。作為的な音色でぶっとく鳴らす細切れのベースライン。ワンショットを軸に(ループがないとは言っていない)構成した、メロディを欲しがらない上モノ。忙しなく左右にちらつかせる音響工作。イントロ(M-01)で開けて、メロウな曲調でアウトロ(M-11)のように閉めるアルバム構成。
M-06のようなインターリュードを初めて組み込んだからとて、新機軸と触れ回るほどではないでしょうに。

ただ本作はこれまでの〝アルバムをリリースするという研究〟の成果を総括した作品であると考えれば合点がいく。
三作目のような音割れ上等のビートで攻め、四枚目のように聴き込むとより楽しい工夫が仕込まれ、五枚目のようにその効果を分かりやすく向上させ、六枚目のようにヒップホップフォーマットに近付いてノリを良くしたアルバムがコレ。
正しくコレ、良いトコ取り。
うわコレ、もしかして最高傑作じゃね!?

――と、皆に思われていないらしく、地味な扱いを受けている(よう見受けられる)本作。各トラックの出来もいつもながらおしなべて良いのに。
おかしい、こんなことは許されない。
とは言いつつも、いろいろ産みの苦しみを味わいながら確実に何かを掴んでいく、彼の他の作品の方に魅力を覚えていたり。逆に比較的安定感のある彼は、本作のようにあるべきだと思ってみたり。

M-01 Intro
M-02 Slide Slender
M-03 Electro Smash
M-04 Plus Alpha
M-05 Death Breaks
M-06 Mid-Day
M-07 Fundamental
M-08 Criminal Groove
M-09 BeatCast Yourself
M-10 Survival seven
M-11 Over Circle
M-12 Dead Or Alive (Inst.Version)

M-12は前年に発表したNONGENETIC(SHADOW HUNTAZ)とのコラボ作品収録曲のインスト。一応、ボートラという枠組みだが、日本盤しかフォーマットがない


2014年8月10日日曜日

DEATH GRIPS 「Money Store」


HELLAのクレイジービーター:ザック・ヒルと、ココでもツルんでるアンディ・モリンの2トラックメイカー、怪人:ステファン・バーネットの1MCからなるイカレヒップホップトリオのデビュー盤、2012年作はメジャーのEpicから。
ジャケはご覧の通り、HENTAI文化などのキワモノ系題材を嬉々として弄り倒す露悪趣味な作風のスア・ヨー。(セクシャルマイノリティ擁護のメッセージ? 知らんよ)

安くて鬱陶しい音色を撒菱の如く散りばめる、ライヴではシンセ担当のモリン。M-02ではいつもの詰め込み過多なビートを披露しているが、全体的にはタメを利かせたそれに終始している、ライヴでは生ドラム担当のヒル。この二人が耳障りでブリーピーな音色を、寄って集ってエフェクト掛けまくり、ディレイしまくり、フィルター掛けまくる――無論、バーネットのラップへも。おまけに無配慮なワンショットも、明らかにラップの邪魔をするタイミングでぶち込みまくる。
以上、聴き手の脳裏にこびり付けるためには手段を選ばない、並のラッパーなら存在が消し飛んでしまうくらいがちゃがちゃした上モノとボトムに対し、この見るからにヤバそうなタトゥー塗れの狂犬は、渡り合うどころか完全に手の内に入れているのではないかと思えるほど馴染んでいる。
何なんだこの存在感は。
そんなバーネットのラップスタイルは基本、オラオラ系。あまり韻にはこだわらず、リリックの内容も特に意味はない。だが抜群の声量と栄えるトーンから繰り出されるフロウは、ボクサーのような彼の肉体同様に強靭かつ、押し殺した声色で目先も変えられるしなやかさも有している。

はちゃめちゃなようで、本人はきちっと第三の目で自我を見つめている。本作が意外とバランス感が取れていて分かりやすいのも、彼が突き抜け過ぎていないお蔭かも知れない。(突き抜けていたらこのアルバム、どうなってたか……)
よくこんな逸材を拾って来れたな、と言わざるを得ない。(イメージが崩れるので伏せ文にするけど、彼はヴァージニア州のハンプトン大学で視覚芸術を学んだ知性派でもある)

三者三様のうっざいうっざい個性が三位一体となって共存共栄し、聴き手の耳へ波状攻撃を仕掛けてくる奇跡の一枚。
激烈なインパクトから勢い任せに聴こえるので、各々の背景より漂うアート臭さが相殺されているのも良い。

M-01 Get Got
M-02 The Fever (Aye Aye)
M-03 Lost Boys
M-04 Blackjack
M-05 Hustle Bones
M-06 I've Seen Footage
M-07 Double Helix
M-08 System Blower
M-09 The Cage
M-10 Punk Weight
M-11 Fuck That
M-12 Bitch Please
M-13 Hacker


2014年8月8日金曜日

BEAK> 「Beak>」


PORTISHEADのジェフ・バーロウが満を持して発動させた3ピースのデビュー盤。コレから一年(半)後の2009年発表。
レーベルはもちろんバーロウのトコ。また、米盤はパットン将軍のトコでお世話になっている。嫌な繋がりだなあ(ニヤニヤ)。

他のメンバーはGONGAやCRIPPLED BLACK PHOENIXなどに顔を出していたキーボード奏者:マット・ウィリアムス、FUZZ AGAINST JUNKのベーシスト:ビリー・フラー。どちらもInvadaで厄介になっていた面々だ。
なお、バーロウはドラムを担当しているらしい。いずれもクレジットはないが、ともかく各々のメイン楽器はこんな感じらしい。
そんな彼らが鳴らす音は、ブリストルらしいダビーで薄暗いトリップ音楽。しかも上記の通り、バンドサウンド。
一口にトリップ音楽と言ってもいろいろあるが、軸は反復反復アンド反復のクラウトロック。単音でねちっこくまとわり付くベースラインが如何にも酢漬けキャベツ。そこへたまにパターンを崩すが(モタっているという説がある)一切難しいことをしないシンプルなドラムが這い、カビが生えたような音色のハモンドオルガンが乗る。コレが基本路線。
おおむねインストだが、M-02、03、10、11のようにぼそぼそっと歌う曲もある。誰によるものかさだかではないが。
ただ、この路線を貫徹する訳ではなく、M-03、M-11のようなOMばりにベースにファズをかけたギターレスなゴリゴリスラッジ曲を演ってみたりもする。M-05のようなギターサイケデリア舞い散るシューゲイザーっぽいこともする。M-07みたいに即興風味の効いたサイケ曲も演る。M-09のようにガピーガピーうるさいハーシュノイズ曲もある。最後を飾るM-12など人力ミニマル曲だ。ちなみに、たぶんフラーがウッドベースを弾く曲もある。
節操がない、と言うのは簡単だが、どれも聴き手や演り手が音を媒介して陶酔するためにプレイする類の音楽に終始しているので、語弊はあるが統一感がある。

と言うかこんなダビーな音像で、それほど演奏技術を追い求めず、不気味でエッジの立ったバンド、あったなあ……。
そうそう、THE POP GROUP!! ブリストル出身の!

M-01 Backwell
M-02 Pill
M-03 Ham Green
M-04 I Know
M-05 Battery Point
M-06 Iron Action
M-07 Ears Have Ears
M-08 Blagdon Lake
M-09 Barrow Gurney
M-10 The Cornubia
M-11 Dundry Hill
M-12 Flax Bourton


2014年8月6日水曜日

PORTISHEAD 「Third」


二枚目が発売されたのは1997年。ライヴ盤が発売されたのは翌年の1998年。
三枚目の本作は2008年発表。何やってんの!
その間、メンバーはそれぞれ、別活動をしたり、レーベルを立ち上げたり、誰ぞのプロデュース客演をしたり、誰ぞのトリビュートアルバムに参加したりしていた。貢献度の高いサポートメンバーを正式加入させたりもしていた。

お陰で十年も経てば音楽性も変わるわな、と思わせるに十分なアルバムとなった。

一言で語れば〝より器楽的になった〟。
元からリズム楽器以外は一通りこなす、晴れて正式メンバーとなったエイドリアン・アトリー(メイン楽器はギター)が居る。司令塔のジェフ・バーロウも生演奏に熱心だ。シンガーのベス・ギボンズはデビュー前、パブでアコギを抱えてブライアン・アダムスの弾き語りをしていた過去を持つ。あと他に、ライヴではおなじみのジョン・バゴット(Key)やジム・バー(Ba)やクライヴ・ディーマー(Ds)だって居る。
アルバム全体像が、おそらくバーロウがドラムセットに向かって叩いたビート(ちなみにあんまり巧くない)をループさせる手法を採っているのだから、彼らがブレイクビーツ音楽から一歩踏み出したと考えるべきだ。
(その一方でわざとらしいほどに打ち込み臭いM-08をリーダートラックに据える、一所に収まりたがらない食えなさも健在)

ならどのような形で、PORTISの持ち味を損なうことなく器楽的になったのか。
まずは、ブレイクビーツという反復音楽とは意外にも好マッチングを見せる、ドイツが生んだ音楽魔境・クラウトロックへの接近だ。メロディに頓着しない音色や、単音旋律の多用、機と見るに意地でも反復を維持する(オスティナート)やり口はココから拝借したようである。
その一方で、聴き手が仰天するほど意外なカードも含ませてきた。バーロウがライヴを観て『PUBLIC ENEMY以来の衝撃だった』と語るSUNN O)))、EARTH、OMなどの重低音サウンドを能くするバンド群からの影響である。
M-02、05、09、11のようなダウンチューニングのギターを、曲の立ち上がりでどろーんとぶち込んでくる恐れ知らずな手法は、陰鬱さをモットーとするPORTISと絶妙な相性を醸し出す。線の細い声質ゆえにバックに力負けするかと思われたベス姉さんの歌唱も、儚さを以って対抗することで、インスパイア元に依存しない新たな魅力も獲得出来た。
バーロウ、慧眼! と言わざるを得ない。(蛇足ながらベス姉さんは彼よりも年上である)

ただし、非常に地味でとっつきの悪いアルバムなのは否めない。ただでさえ暗い音楽性なのに、クラウトロックやスラッジコア色を入れてみましたでは人を選ばない訳がない。一聴で聴き手をがつんと持って来れない。
恥ずかしながら筆者も発売当初、『コレ、練り過ぎでパッション失われてね? つかコレで一番良い曲ってウクレレ一本で歌われる小曲のM-07じゃね』とか公言していた輩であった。
だが生み出した二枚のオリジナルと一枚のライヴ盤全てが傑作と謳われるような才の持ち主が、何の工夫もない如何にもし難い凡作を長い長い長い長い期間掛けて創るはずがないだろうと。
つまり旨味のじっくり染み込んだ、かったいかったいスルメなので、強靭な顎を以って何度も何度も噛んでくださいと。

筆者の顎と掌はもうがくがくデス。

(2011/5/11執筆文を大幅改筆)

M-01 Silence
M-02 Hunter
M-03 Nylon Smile
M-04 The Rip
M-05 Plastic
M-06 We Carry On
M-07 Deep Water
M-08 Machine Gun
M-09 Small
M-10 Magic Doors
M-11 Threads