2011年4月21日木曜日

SEEFEEL 「Seefeel」


クレジットは2010年と記されているが、発表は2011年の通算四枚目。何と十五年ぶりのオリジナルアルバムリリース。

彼らは「Succour」(1995年作の二枚目)という、UK音楽シーンに少なからず影響を与えた傑作を持っている。その他のアルバムも評価が高い。音楽に対して妥協を許さない、聴き手からすれば非常に信頼の置けるクリエイターである。
だがこの十五年というブランク期間は何なのか。
SEEFEELが時代に併せて正当評価を受けず、順調に活動出来なかった証だとしたら、それは悲しいことだ。

人の多くは、闇を遠ざけ、陽の光を好む。

今回の活動再開に際して、SEEFEELは三つの大きな変貌を遂げた。
一つは首魁のマーク・クリフォード(G)とサラ・ピーコック(Vo)はそのままに、リズム隊を入れ替えたこと。
ドラムのカズヒサ・イイダは、かのBOREDOMSにて叩いていたことでお馴染み。ベースのシゲル・イシハラは、DJ SCOTCH EGGの名の方が知られているチップチューンアーティストだ。
この二人の日本人が持ち込んだ要素は非常に大きい。
ビートが生々しく、太くなった。低音が低くうねり、曲を操縦するようになった。

これにより、大きく変貌した点、二つ目――以前はピーコックのローレライヴォイスを含めたウワモノが陰鬱かつたゆたうように流れ、鼓膜に染み込んできた。曲の流れを邪魔することなくループさせ、すっと曲を終焉まで導いてきた。
本作は違う。ウワモノを削り、彫り、すり減らし、切り、聴き手の鼓膜にこびり付けてきたのだ。あざといくらいに、執拗に、手間暇を掛けて。
そんな小細工がうるさくならないのも、イイダがビートパターンを遊びつつもきっちり守っているから。イシハラが実直にボトムラインを支え、曲の羅針盤と化しているから。
おそらくリーダーのクリフォードは今回、自らが思い描くトラックメイキングが存分に出来たのではなかろうか。

最後に三つ目の変貌。
SEEFEELは陰鬱さを持ち味とするバンドだ。本作も確かに陰鬱だ。その軸はぶれていない。
だが「Succour」や96年作の三枚目「(Ch-Vox)」のような冥界からの空気は感じない。ジャケット通り、人の気配がする。時折、陽の光も感じる。
この変化が空白の十五年間で培われたのなら、蓄積された経験に基づく正当変化であろう。もしイイダとイシハラの加入により齎されたものならば、劇的な化学変化であろう。
それは本人たちに訊いてみないと分からないし、訊く必要もないのかも知れない。

SEEFEELは聴き手のノスタルジーに甘えていない。今、活動を再開して然るべきバンドである。本作が雄弁にそれを語っている。

M-01 O-On One
M-02 Dead Guitars
M-03 Step Up
M-04 Faults
M-05 Gzaug
M-06 Rip-Run
M-07 Making
M-08 Step Down
M-09 Airless
M-10 Aug30
M-11 Sway
M-12 Twojam (Bonus Track For Japan)


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