1st「Dummy」からたった三年(嫌味)でリリースされた1997年作。ただし、制作期間は約一年もの長期間に渡っている。
また、「Dummy」に引き続き参加しているエイドリアン・アトリーだが、本作でも曲創りに関わる貢献をしているにもかかわらず、現時点でまだ正式メンバーではない。依然、ベス・ギボンズとジェフ・バーロウのデュオ形態である。
制作が長期化したのも、アトリーがメンバーに加われないのも、ついでに来日公演が中止になったのも、次を出すのに十年以上掛かったのも偏に……おっと、誰か来たようだ。
さて本作は、“ドンシャリ”と呼ばれる高低音域のみが増幅された極端な音像から、聴き手に重いため息を吐かせる特級の鬱音楽である。時折織り交ぜられるバーロウのスクラッチが倦怠感を醸し出し、曲はどんどん沈降して行く。アナログキーボードの使い方も負の意味で効果的だ。
そこへ幸薄いギボンズの歌声が絡めば更なる哀歌が繰り広げられる――かと思いきや、本作はその斜め上を行く発展を遂げていた。
何と1stでは儚さのみが際立ったギボンズの歌が、負の域で拡散しだしたのだ。
具体的に言えば、単なる幸の薄い女性だったベスさん(当時三十二歳)が幼女にも妖婦にも、聖女にも毒婦にも貌を変える表現力を身につけたのだ。
これにより、PORTISHEADの退廃の美学が完成した。
だが悲しいかな、前作どころか十一年後の次作にもない、ココ一点のみの妖しい輝きである。どれだけメンバーが身を削って本作を創り上げたか伺える。特に紙メンタルの方が。
この産みの苦しみこそが“表現”だ。なのに生半可な気持ちで“生産”する輩よりも痛い目に遭うのは納得いかない。なぜだろう。
M-01 Cowboys
M-02 All Mine
M-03 Undenied
M-04 Half Day Closing
M-05 Over
M-06 Humming
M-07 Mourning Air
M-08 Seven Months
M-09 Only You
M-10 Elysium
M-11 Western Eyes
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