2013年2月28日木曜日

2-Hyac Forever!!! But ボログ Goes On...

ちなみにコレは一度聴いて諦めまシタ。一方のコレは、の方が好きでシタ。

ッツーコトDay! 二百枚っす。コレを以って、かんそうぶん二百アルバム分、ドドピュったってこってす! やったぜ。
初せーつーの頃、三日ボンボン(え? 廃刊してたのっ!?)でF.O.エターするかと思われた当ボログですガー! こうしてー、兀突骨ゥー、続けてー、来れたのもー、偏にー、当ボログのー、閲覧者皆様のー、お陰ですごすりんさまァ(はぁと)
もちろソ! 当ボログで扱わせて頂いているー、素ン晴らしい音楽をクリエイトしてくだすってるー、アーティスト様々なのは言うまでもありまてん。
『言うまでもない』から、感謝の弁など述べてあげないんだからネっ!! (Tundelle
タダこちとら素人の分際でいつも超急角度の上から目線でかんそうぶんを認めてる点は、ほんとに……すまんな。

でも世の中、金を払ってるヤシが偉いらしいぜ? 全国のクッソ威張り腐ったクレーマーどもが日々、か弱き店員相手に息巻いてるからな! ひゃっはーっ!!!

ッツーコトDie? もうすぐにすーねんだけども、こない駄文コイちゃったv
もうちっと早く#200イクつもりだったのにねい。まーたたった二ヵ月後にー、こない拙文書かなあかんねん。お、被りまくりゥー!。
それもこれも……あつはなついから(昨年の6・7・8月の更新数、順に4・2・4)! 嫌いだゼ、夏。あたままわんないのたすけてえあこんですずしくなってもきかないの。
……は? ね、ネタ切れじゃないしィ! い、いっぱいあるしネタァ! (震え声
だって銀盤って記録じゃない。残るものじゃない。掘ったらいくらでも湧いてくるものじゃない。これからも湧き続けるものじゃない。キリなんてある訳ないじゃない。
人が生きている限りィ。
それをさー? 『音楽なんてオワコン。アイドルとアニソンしか売れてねーし』とか言っちゃうー? あれー、どんだけ了見狭いのかなー、ボクー?

そない物事の上っ面しか見ずに断言しちゃうボクちゃんたちへ唾し隊! そないな方々に是非ゼヒ読まれたいこのボログ、コンゴトモヨロシク……。
Lords Of The Wasteland〟は皆様の旺盛な好奇心を、応援します! いえOwenさせてくださいませごすりんさまァ(はぁと)



2013年2月22日金曜日

SLEEP 「Dopesmoker」


カリフォルニア発・伝説の超弩級ストーナー/スラッジトリオ、すったもんだの末の解散後に発表された三枚目(1999年)を改題して完全補完した2003年作。
2012年にジャケ+ボートラを差し替えて、リマスターを施し、グレッグあんちゃんが経営する例のSouthern Lordで再発された。
双方共にアートワークはアリク・ローパー。どっちもカッコイイぞ!

一曲、63分34秒+ボートラライヴの11分35秒。原本の「Jerusalem」でさえ不粋にもトラックを六分割しているが52分08秒。正に超弩級の内容だ。
案の定、MELVINSのアレに強く影響を受けているという。(向こうはインディーだからこそ出来たのに、コレをメジャーで堂々とやろうとするその神経がオカシイ)
ならば、ジャムセッションでたらーんと時間稼ぎをして何とか一時間を乗り切るセコい長尺曲なはずがない。もしそうなら、筆者のこの銀盤が即座にフリスビーと化している。
ではお手本のように、焦らしテクの如き引き伸ばしと、カヴァーメドレーを挿むくらいの謎展開と、シュールな踏み台外しで凌いでいる訳でもない。
ではどうやって?

本作はほぼワンリフ進行だ。
暗黒系コワモテ音響技師:ビリー・アンダーソンの仕立てる一枚膜が張られたような音像の中、マット・パイク(現HIGH ON FIRE)のレスポールがド分厚いリフを延々と引きずり出し、先導する。それをクリス・ハキアス(元OMなど)のドラムが支え、アル・シスネロス(現OMなど)のリッケンバッカーが付かず離れず侍りつつ、例の無調な歌声を咆哮して被せる。
見るからに単調で、明らかに一時間持たなそうだが、そこにさまざまな工夫が。
まずはハキアスの歪なのに統制の取れた、奇妙なビート構成。スネアが例えば十六小節、ほとんど同じパターンを刻まないオフロードぶり。その一方でシンバルパターンがほぼ一定の四つ打ち。金物系が拍としてのミニマル感を醸し出し、スネアやタムが蠢くことでボトムとしての役割だけでなく、ギター、ベースに続く第三の音色としての参陣を強くアピールしている。
次にシスネロスのベース。コレもフレーズワークがかなりオフロード。本来、主音のギターを盛り立てる低音堅持のパートなのだが、隙あらばフレット上で手心を加えてフレーズを燻らせたがる。果てには、曲中に三度あるギターソロの二回目でギターの低音をカットし、その低音を自らが幅を利かせることで反旗を翻すような真似も。
この二つの、役割はきちんと果たしているが如何にも御し難いパートに翻弄され、パイクのギターが不甲斐ない音を出しているのかと言えば、そうではない。音の隊長として、悠然と猛々しいフレーズを反復させる。単調になりがちなリフワークを、ループの魔力だけに逃げず、力技と引技を巧く使い分けて連ねる様は司令塔に相応しい。『俺に付いて来い』と言わんばかりの男気さえ感じる。

こうしてたった三つの音が作用と反作用を繰り返すことで曲にフックを与え、引いては曲展開の起伏を生むのだ。

この通り、本作は録音中、絶対にドンギマっていただろうがどこまでもストイックで、雄々しく、熱い。小手先の衒いや、斜に構えた気取りなど一切ない。
正に全身全霊、真っ向勝負。
そんなテンションも、40分あたりで見せる静かな引き際を経てほどなく、再び立ち上がる力を以って頂点を迎える。それを終いまで弛ませることなく、それどころか増幅させ、血走った目つきで大団円へと――

いやはや、筆者の拙文程度でこのアルバムの素晴らしさが伝わったかどうか疑問だ。
ヘヴィミュージックに耐性があるのなら、是非この熱さを鼓膜から全身に伝え、自ら感じ取って欲しい。

M-01 Dopesmoker
M-02 Holy Mountain (Live)

オリジナル盤はM-02が〝Sonic Titan (Live)〟だった。スタジオ録音版がない、コレが初出の未発表曲だ。(再発盤の方のM-02は二枚目収録曲)
日本盤はそれを加えた二曲のライヴ音源を本編と切り離した、二枚組仕様+特別装丁となっている。ま、二倍の金を取ってる訳ですから、このくらいは。


2013年2月20日水曜日

ALPHA 「Stargazing」


MASSIVE ATTACKのエンジニアを務めていた(らしい。向こうの音源には一切クレジットされていない)コリン・ディングリーとアンディ・ジェンクスのプロデューサーデュオ、2003年作・三枚目。
元々はMASSIVE運営のMelankolic所属だったが、本作から向こうがあんまり続ける気ないので不承不承自ら立ち上げたDon't Touchでのリリース。

一枚目二枚目に引き続き起用のウェンディ・スタッブス、マーティン・バーナード、ヘレン・ホワイトの準メンバー三名に、後にTHE HEAVYを結成するケルヴィン・スウェイビーを加えた四シンガー体制で臨む歌モノアブストラクト。
その内訳は、ウィスパーヴォイス気味のスタッブスがM-02、09、12。物憂げで甘い男声のバーナードがM-03、07、14。線が細くて情感豊かなホワイトがM-04、08、13。黒っぽくて艶のある声色のスウェイビーがM-05、10。
ご覧の通りイントロのM-01を経て、お披露目のように登場シンガーを順に並べた後、一旦M-06のインストを挿むことで一段落置く几帳面な曲配置からして、コンポーザー二人の丁寧な仕事ぶりが分かろうものだ。

その几帳面なまでの丁寧さを生かした、ブリストルミュージックならではのダウナー感を伴うしっとり静謐な音世界を貫き通すのが彼らの流儀。
ほのかにジャジーで、何となくフィルムスコアちっくな、大人の音楽だ。
ブリストル界隈から三名のインスト奏者を誘っているが、基本的に全ての楽器をディングリーとジェンクスで賄っている自家発電の生音仕様(無論、打ち込みビートを敷いた曲もあり)
また、予算の都合でストリングスやホーンは彼らで組んだ模擬音が使われているが、借り物の安さを微塵にも感じさせないその手腕、如何にもどいつもこいつも老練なMASSIVE人脈ならでは。デビュー前に録音技師として、全く畑違いのバンドを手掛けることで養った応用力もあるかも知れない。

ただもう、この形でのALPHAは演り切った感が強い。本人たちも何となく自覚しているようではある。
それでも袋小路化や出し殻化せず、常に一定以上の水準を保てる職人気質はもっと賞賛されるべきなんだが、些か地味なんだよね、存在感が……。

M-01 Sleepdust
M-02 Once Round Town
M-03 Lipstick From The Asylum
M-04 A Perfect End
M-05 Elvis
M-06 As Far As You Can
M-07 Saturn In Rain
M-08 Waiting
M-09 Silver Light
M-10 I Just Wanna Make You
M-11 Vers Toi
M-12 Double View
M-13 Blue Autumn
M-14 Portable Living Room
M-15 The Sun (Bonus Track For Japan)
M-16 Lost (Bonus Track For Japan)

日本盤のボートラは上記の通りだが、米盤はM-03に〝The Things You Might〟が割り込み、〝Lipstick From The Asylum〟がM-04へ。〝A Perfect End〟がラストのM-15へ移る、良く分からない仕様。
ノークレジットだが日本盤のM-15で歌っているの、MASSIVEのダディGでは?


2013年2月16日土曜日

FRIDGE 「The Sun」


前作から六年ぶりの2007年、FOUR TETADEMの中の人と、このブランク中に何と本腰を入れて大学研究員をやっていた人による五枚目。
欧州はDomino、米国はTemporary Residence Limitedからのリリース。

ジャムセッションから本作の音世界を固めていっただけあって、ややロウな創りが魅力。
のっけからサム・ジェファーズ研究員のドラムがどっかんどっかん鳴り響く。そこへ主にギターのキエラン・ヘブデンと、主にベースのアーデム・イルハンが好き勝手な楽器を用いて不可思議な音色を乗せていくのが基本線だ。
いや、オーソドックスなギター+ベース+ドラムへ、他の音色を重ねていくパターンだって多い――なんて書いてしまっては、結局は何が何だか分からなくなる。

要は彼らにとって、ギターもベースも単なる一音色でしかない。音色が多い方が音世界が豊かになる。ビートを毎回ボトムに敷く決め事だって要らない。
ならせめて、メンバー各々の担当楽器くらいクレジットして欲しかった――が、結局はそれらも一音色でしかないので、彼らにとって大よそどうでも良いのかも知れないと思うと、後は聴き手側で判断するしかない。

だからと言って、いちいち鳴ってる音を把握しながら聴くよりも、ぽけーっと音に身を委ねていた方が気持ち良い音楽なのだから、堅っ苦しいコトは抜き!

逆回転で雨粒が軒へと上っていくような背景音の中、二本分のアコギが爪弾かれるM-04や、フリーキーなクラリネット(?)以上にフリーキーなドラムを、ミニマルなアコギの調べが整えるM-08など、誰が何を鳴らしているかなどどうでも良い。
叙情的なギターフレーズへベースとドラムが随伴し、徐々に昂ぶらせていくオーソドックスな曲調の中、ついにハミング三重唱という形で自らの歌声を音色化したM-09で約一名、音痴が居ようとどうでも良い。
音楽は〝聴いて楽しむ〟より、〝聴いて感じる〟モノだ、少なくとも筆者は

M-01 The Sun
M-02 Clocks
M-03 Our Place In This
M-04 Drums Of Life
M-05 Eyelids
M-06 Oram
M-07 Comets
M-08 Insects
M-09 Lost Time
M-10 Years And Years And Years...


2013年2月14日木曜日

BIBIO 「Mind Bokeh」


お茶目な好漢、ステファン・ジェイムズ・ウィルキンソンの2011年、五枚目。

Warp二作目のオリジナルアルバムは、前作よりも更にデジデジしく、間曲扱いのM-09と恒例の締めインストM-12(とボートラM-13)以外は全て歌モノだ。
だが〝デジデジしさ〟はあくまで〝音色〟という名のパーツ。十七種もの楽器を自ら演奏した〝音色〟も等価で卓編集していく手法は、何らMush時代と変わっていない。しかもアートワークまで自身が手掛けているのだから、俗に言う〝Everything By Stephen James Wilkinson〟状態。
一方で曲調は、米男性R&Bシンガーに提供したいくらいお洒落な(のに、ところどころクセのある加工を忍ばせた)M-03から、小気味良いエレクトリックギターをフィーチャーしたデジタル風味ロック曲のM-06まで、冒険したいのにさせてくれなかった(としか思えない)Mush期の鬱憤を晴らすかのような音楽性の拡散ぶり。

やはりこの男も〝一所に納まりたがらない〟ニカ気質だ。

ただし、好きに演らせれば必ず面白いモノを創ってきてくれる人だけど、誰かさんと違って自分の本分を分かっている人なので、毎度毎度作風をがらりと変貌させるような暴挙は起こさないはず
こちらは何の心配もせず、雛鳥のように口を大きく開けて彼のリリースを待つだけで毎回美味しい思いが出来る安定株だ。
ならば優等生なのかと思いきや、ビートを作為的に大モタりさせたり、なぜかスクラッチを模した音をトライアングルで出そうとしたり、子供のように牛乳瓶やワイングラスや酒瓶をちんちん鳴らしたり、オーソドックスな洋風楽器ばかり用いている中でビリンバウ(弓に瓢箪つけてびんびん弦を弾くブラジルの楽器)だけぽつんと導入してたりと、落ち着きがない。
彼の人柄が偲ばれる。

本作はイングランド中部・ウルヴァーハンプトンのテラスハウスにて宅録された。
インナーに『(うるさくして)近隣住民のみなさん、すまんな』とクレジットする彼は本当に憎めない奴だ。
(常に良い作品を提供してくれれば)ええんやで。

M-01 Excuses
M-02 Pretentious
M-03 Anything New
M-04 Wake Up!
M-05 Light Seep
M-06 Take Off Your Shirt
M-07 Artists' Valley
M-08 K Is For Kelson
M-09 Mind Bokeh
M-10 More Excuses
M-11 Feminine Eye
M-12 Saint Christopher
M-13 Vertical Helical Stan (Bonus Track For Japan)


2013年2月12日火曜日

SUNN O))) 「Black One」


シアトルの超弩級重低音破壊神:ステファン・オマリーとグレッグ・アンダーソンによる2005年作品、六枚目。

今回、実験音楽系からのオーレン・アンバーチとジョン・ウイーゼ、ストーナーロック系で活躍するマティアス・シュニーベルガー以外の招集面子からして、制作意図がはっきりしている。
M-03、07ではヴォーカル、M-05、06ではギターやキーボードのマレフィック(XASTHUR)、M-02のヴォーカルはレスト(LEVIATHAN)。
その他、M-05の歌詞引用はMAYHEMでかのアッティラ・チハーの前任ヴォーカルだったデッドから。M-03はIMMORTALのカヴァー。
M-01の曲タイトルの元ネタはSTRIBORGの中の人。M-07は同様に独りバンドで、この界隈の音楽性を築き上げたBATHORYに捧げられたもの。

我々門外漢にはまるで耳慣れない固有名詞が羅列されているが、そのままずばりブラックメタルの人々。白塗りの顔(コープスペインティングと言うらしい)と黒ずくめの服装で悪魔を稀に心底本気で賛美するデスメタルの派生ジャンルだ。
ライヴでは黒衣を纏ってプレイしたり、〝ドローン・スラット〟やら〝ミスティック・フォグ・インヴォケイター〟やら厨二臭いそれモンのステージネームでクレジットしたり、自分のレーべルで手厚く保護したりと、SUNN O)))は常にブラックメタル愛を公言してきた訳だが、ココまで明確に作品へと反映させるとは思わなかった、今更。
彼らにとってブラックメタルは、希釈・攪拌された数多の影響土壌の一つでしかないと思っていた、筆者は。

とは言え、性急なビートに歪んだトレモロ奏法のギターが乗るブラックメタル特有の音世界が展開されている訳などない。
むしろ例の、聴き手の臓腑を握り潰す鈍重ヘヴィギターを主とした漆黒のパワーアンビエント。それをM-01からM-07まで、徹頭徹尾。カヴァー曲ですら情け容赦なく溶解。
その聴かせ方もただ垂れ流すのではなく、良くタメを利かせてその効果を最大限に増幅させるような工夫も当たり前の如く執り行っている。各ヴォーカリストの咆哮も、暗黒リフを引き立たせる背景音でしかない。
このへヴィディストーション貫徹路線、聴き手へのハードルを彼らの意図せぬ方向で高くしただけのような。加えて、音像が初期に戻っただけのような。
これは『ギターもエレクトロニクスも、まだ探求するべき余地がある』と語り、前作のようにドヘヴィリフだけに頼らない音世界を確立させつつある彼らが進むべきステップではない。

ただ、なぜこのような内容のアルバムを、あえてこの時期に創ったかは明白。
この前年の2004年。レーベルオーナーの父と共同して、ブラックメタルどころかデスメタルすら存在していない頃から孤軍奮闘していた、件のBATHORYの中の人:クォーソンことトマス・フォルスベリが急逝している。
本作はおそらく、ブラックメタルの始祖:BATHORYへ最大の敬意を込めて編んだ鎮魂盤であり、SUNN O)))が地下音楽界に叩きつけた独自の暗黒論でもある。

Disc-1
M-01 Sin Nanna
M-02 It Took The Night To Believe
M-03 Cursed Realms (Of The Winterdemons)
M-04 Orthodox Caveman
M-05 CandleGoat
M-07 Bathory Erzsebet
Disc-2 「La Mort Noir Dans Esch / Alzette」
M-01 Orthodox Caveman
M-02 Hallow-Cave
M-03 Reptile Lux
M-04 CandleGoat / Bathori

日本盤は2006年に1000枚限定生産されたヨーロッパでのライヴ音源を追加。
SUNN O)))二人の崇拝対象であるEARTHのディラン・カールソンが参加した、トリプルギター/ベースレス編成の代物だ。ちなみに本編でも参加のマレフィックの他、いつものランドール・ダン(ライヴPA)やスティーヴ・ムーア(トロンボーン)やトス・ニューウェンフイゼン(アナログシンセ)も名を連ねている。



2013年2月10日日曜日

THE CINEMATIC ORCHESTRA 「Ma Fleur」


J・スウィンスコー率いる仮想映画音楽ジャズ楽団、2007年作三枚目。

今回の〝スウィンスコー脳内劇場〟はパリを舞台に、『愛と喪失』をテーマに、ゆったり、しっとり、さめざめと進んでいく歌モノ路線だ。
そのゲストシンガーは、中性的な声色のカナダ人男性ソロシンガー:パトリック・ワトソン、〝ヴォイス・オブ・シネオケ〟のフォンテラ・バス婆様、当時LAMB活動休止中であったルイーズ・ローズ、の三名。
それぞれオープニング、クライマックス、エンドロールを担っている――と寂寥感に満ちたジャケットを眺め、もしくは目を閉じ、肩の力を抜いた状態で聴き手各々の脳内映写機を回しつつ感じ取って欲しい。

本作で筆者的に特筆すべき活躍をした三名を。
まずはフィル・フランス。シネオケ最初期から居るウッドベース弾きで、前作あたりから曲創りや制作に多大な貢献を齎し始めたスウィンスコーの片腕的存在である。さしづめ、スウィンスコーが指揮者だとすれば、フランスはオケマスか。
続いてM-02、03、09でコーラスを務めるジンバブエ系英国女性シンガーのエスカ・ムトゥンウェジ。〝Backing Vocals Arranged〟のクレジット通り、自らの感性に基づいて出すことを許されたそのストイックな声色は、参加曲に良きアクセントを与えていると思う。
最後に二児の母:ルイーズ・ローズ。LAMBでは肩肘を張らないと存在感が埋もれてしまうがゆえの気負いを歌声に感じたが、ソロ活動や数多の客演を経て力の抜きどころを知ったのか、非常にリラックスして一音色に徹している。その結論はやはり『色んな人に呼ばれるだけはあるシンガー』というコト。アルバムの締めに相応しい歌声だ。

シネオケ、三枚目にして円熟の味わい。是非、大人の女性に聴き浸っていただきたい。

M-01 To Build A Home (feat. Patrick Watson)
M-02 Familiar Ground (feat. Fontella Bass)
M-03 Child Song
M-04 Music Box (feat. Patrick Watson / Lou Rhodes)
M-05 Prelude
M-06 As The Stars Fall
M-07 Into You
M-08 Ma Fleur
M-09 Breathe (feat. Fontella Bass)
M-10 That Home (feat. Patrick Watson)
M-11 Time & Space (feat. Lou Rhodes)
M-12 Colours (Bonus Tracks For Japan)
M-13 Flowers (Bonus Tracks For Japan)

日本盤のみのボートラ二曲は、せっかく良い余韻で閉まるM-11を無視してまで続けるほどでもないような気がする上に、M-13の締め方ではあまりに唐突過ぎて彼らの特長であるストーリー性が損なわれてしまう気も。
ただ、彼ららしさのある曲なので、目くじらを立てるほどでもない気も。



2013年2月8日金曜日

LAMB 「Fear Of Fours」


マンチェスターより参上のトリップホップムーヴメント後発隊、1999年の二枚目。
例によって女性シンガー:ルイーズ・ローズと、男性トラックメイカー:アンドリュー・バーロウのデュオ編成。

すぐ〝男女トリップホップデュオ〟と一括りにされ、勝手に没個性のレッテルを貼られてしまいそうなのだが、やはり彼らも個性的。
バーロウ(Barlow)は、ビートは素直に刻まないわ、刺々しい加工を施した音色をがんがん盛り込むわで、聴き手の耳に引っ掛けるためなら手段を選ばないアクの強い手法を身上としている。おそらくヒップホップではなくテクノ畑の人かも知れない。
一方のローズ(Rhodes)は、やや線が細くて平たい独特の声質を楽器のように扱える、なかなかどうして実力派のシンガーである。
セオリーならバーロウ主導の、上から目線でそつないシンガーに歌を乗せさせてやるか。ローズ主導の、アクのないトラックで自由に〝最強の音色〟を誇示する歌モノ路線にするか。間を取ればちぐはぐになり、お互いの持ち味が相殺されてしまう。

だが彼らは、エゴの強い二人の間が取れてしまった稀有なユニットである。

忙しないボトムラインと横から強引に割り込んで来る装飾音に対し、気負うくらい過剰に意識はしつつも、あえて悠然と道のド真ん中を闊歩する姿勢を崩さない歌唱。
――コレは共闘ではなく、競争だ。
現に彼らはアルバム作業に入るたび、激しく言い争いを繰り広げていたそうだ。まあそんな光景はどんなグループにもある訳だが、音からそれが伝わる作品もそうそうない。
それだけ〝強敵〟と書いて〝とも〟と呼ばせる良い関係が築けているのだろう。

なお、本作からウッドベースやドラムやトランペットなどの生楽器どころか、オーケストラまで導入。作風が幅広くなった――と言うよりも、ローズへの手管を変えたバーロウからの圧力とも受け取れて、傍から聴く我々にとっては非常に楽しい。
中でも似非ジャジーなトラックを、サビのヘンテコスキャット風フレーズが丸呑みしてしまうM-03は白眉。あんなにギターやスネアが邪魔しているのに、タフな女だわ。

M-01 Soft Mistake
M-02 Little Things
M-03 B Line
M-04 (Untitled)
M-05 All In Your Hands
M-06 Less Than Two
M-07 Bonfire
M-08 Ear Parcel
M-09 Softly
M-10 Here
M-11 Fly
M-12 Alien
M-13 Five
M-14 Lullaby

日本盤は:
M-15 B-Line (Lamb Lounge Mix)
M-16 Gorecki (Global Communication Remix)
が追加されている。
M-16は前作収録曲のリミックスで、もちろんグロコミの手によるもの。それよりもM-15は更にジャジーに、更にヴォーカルもトラックもエグくなっているので驚喜しよう!