2012年2月10日金曜日

CRITTERS BUGGIN 「Stampede」


BLACK FRAMESを経て久々再開の2004年作・六枚目。
前作「Amoeba」が1999年だから、約五年ぶり。比較的リリーススパンの短い彼らとは思えない、この間の開きよう。ソレもコレも、マット・チェンバレン(Ds)がセッションワークで忙しいから……。

さて、月日は音楽性も変えるもので、似非ジャズ(1st)からトライバルなイカレジャム(2nd以降)へと移行した彼らの新章は……ポストロック風味だった!
つまりBLACK FRAMESからの流れを引き継いだ作風になっている、と。
中途採用のマイク・ディロンが例の鉄琴(ヴィブラフォン)専任奏者となり、生き生きと撥を振るっている。我が主役! と言わんばかりに。しかも今まで以上に本職のパーカッションの音も冴えまくっている。
一方、主役のスケリックのサックスは……思ったより抑えている印象。管楽器は音がド派手だけ、さすがに鳴れば一発で耳を惹くようになっている。もちろん、ピアノやシンセなどの他楽器導入も今に始まったことではない。

だが、いつもと触感が違う。やはり月日が音楽性を変えたのか?

彼らは今まで、割と好き勝手に音を出していたように思える、特にサックスの男が。そのことにより、このバンドはジャムバンドとして扱われるようになった。
ジャムが〝好き勝手〟とは言わないが、曲の全体像を考えて創る音楽ではない。
そこへきて、本作で〝考えて鳴らす〟ようになった。ココはこう鳴らした方がかっけーんじゃね? とか、ソコはコレとこう絡ませるとアレが引き立つよな、とか。
元々はセッションワークで身を立てていた者どもの集まり。楽曲至上主義になるのはお手の物だ。

実力者が真正面からバンドという共同体に挑んだだけあって、本作は今までのようなおちゃらけた空気が一切ない。その分、凄腕同士の醸し出す緊張感が堪らない。
そこで思い知らされたのが『チェンバレンとブラッド・ハウザー(Ba)あっての、主役のスケリックなのだな』ということ。
M-09のようなライヴさながらのド迫力ビートを叩き出せるかと思えば、M-06のような人力ドラムンベースもスネアの音の粒を揃えて叩き切れる実力のチェンバレン。
どんな曲調にもスマートに対応し、さまざまな彩のグルーヴを生み出せるハウザー。
この二人がしっかりしているからこそ、本作でディロンもはっちゃけられたし、今までスケリックも好き勝手に演れたのだろう。

〝フリーフォームなジャムバンド〟という方向性は後退したが、実力者が曲のアンサンブルをきっちり練って創っただけあって、非常に聴き応えのあるアルバムとなった。
焦点を絞ることなく、今までのキャラに頼ることなく、自我を押し切れた稀有な傑作。

M-01 Hojo
M-02 Panang
M-03 Cloudburst
M-04 Hot Blast Of Concept
M-05 Sisa Boto
M-06 Persephone Under Mars
M-07 We Are New People
M-08 Toad Garden
M-09 Punk Rock Guilt
M-10 Nasty Gnostic
M-11 Dorothy
M-12 Open The Door Of Peace

M-08では元レーベルオーナーであり、彼らだけでなくさまざまな有名アーティストに利用されているStudio Lithoのオーナーでもあるストーン・ゴッサード(PEARL JAM)がシンセでゲスト参加している。この人は本当に友達思いな良い人だ……。


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