2012年5月24日木曜日

BROADCAST 「Haha Sound」


作品毎にメンバーが減っているような気がする、Warp Records所属・音響系レトロポップバンドの二枚目。2003年作品。
アートワークは言わずもがな、ジュリアン・ハウス。

前作でドラムが抜け、キーボードが抜け、残されたのはジェイムズ・カーギル(Ba)、ティム・フェルトン(Gu)紅一点のトリッシュ・キーナン(Vo)の三名。
彼らに課せられた音はただ一つ、白身魚のようなキーナンの声質を生かした音創りだ。
食材が淡白となると、味付けを濃くするのがセオリー。でもそれではキーナンの持つ旨味が飛んでしまう。こんなあっさりとした臭みのない味を消すなんてとんでもない。
というコトで、バンドは素材の良さを引き立たせるため、素朴な味付けで勝負した。今風のアレンジをせず、昔ながらの調理法でシンプルに仕上げた。

つまり、モンドやラウンジのようなシックなレトロ感覚を前面に押し出すために、モノラルっぽい音像を施した〝古くて新しい〟音世界だ。
加えてじっくり浸り切れるよう、サイケ感覚もふりかけておく。レトロ感を出すに、これ以上の楽器はないアナログキーボードの音色の裏で、ふんだんにエフェクターの掛けられたフェルトンのギターが夢心地の風味を与えてくれる。
また、連れて来たジャズ畑のゲストドラマーも、輪郭のはっきりしたビートで曲毎に叩くアプローチを変え、これまた美味。
ベースのカーギルは比較的目立たず実直にボトムを支えているが、それは〝さ・し・す・せ・そ〟くらい重要な、料理の基本だ。

それらにしっかりと味付けられた、白身魚の如く淡白なキーナンの歌ははっきり言って一本槍なのだが、曲と剥離することなく、しかも単調にならず、良く香味料と調味料に絡んで存在感を示している。
しかもお約束に堕せず、飽きもこない。こんな音、そうそうないよ。

M-01 Colour Me In
M-02 Pendulum
M-03 Before We Begin
M-04 Valerie
M-05 Man Is Not A Bird
M-06 Minim
M-07 Lunch Hour Pops
M-08 Black Umbrellas
M-09 Ominous Cloud
M-10 Distorsion
M-11 Oh How I Miss You
M-12 The Little Bell
M-13 Winter Now
M-14 Hawk


2012年5月22日火曜日

COLLEEN 「Les Ondes Silencieuses」


フレンチおねーさん、セシル・スコットによる三枚目。2007年作。

まず本作を語るにおいて、彼女が十五年間もの間探し続け、遂に2006年初頭! ねんがんのがっきをてにいれた! ことから書き始めねばなるまい。(誰だ! 「ころしてでも うばいとる」と思った奴は!)
主に十六世紀から十八世紀頃まで用いられ、やがて廃れてしまった擦弦楽器〝ヴィオラ・ダ・ガンバ〟がそれ。
察しの良い(Jリーグ好きな)方はもうお分かりだろう。その名の通り〝脚(Gamba)〟で支え――そうそう、ジャケのように立てて弓で弾く、ヴァイオリン属のようで系統の違うこの楽器が、本作中のM-01、M-04、M-05、M-08.、M-09と、大活躍を果たしているのだ。

だからという訳ではないが、本作は全体的に不穏な空気を漂わせている。ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器の音色(ねいろ)がそうさせるのか。
それはまるで、やはりジャケのような鬱蒼とした森の中で独り、誰に聴かせる訳でもなく楽器を奏でているような。
なーんてね。率直に書けば、録り方が前作までとは少し違う。
彼女自身が弾くさまざまなアコースティック楽器を、音数絞って静謐に生々しく重ねていく手法は変わらない。
ただ、音色(おんしょく)にエコーやフィルターを掛け、幻想的空気を醸し出した音像ではなく、鳴る音をありのままに録る、生々しさを前面に押し出したそれなのだ。
もしや素材本来の旨味を際立たせるため、あえて加工せず――

いやいやいや、もし彼女が「やっと手に入れたのー、聴いて聴いてー!」なんて見せびらしているとしたら、あまりに鬱屈した仕上がりだなあ、と。
だからこのヴィオラ・ダ・ガンバからインスピレーションを受け、彼女が編んだ作品と考えるのが自然なのかも知れない。

M-01 This Place In Time
M-02 Le Labyrinthe
M-03 Sun Against My Eyes
M-04 Les Ondes Silencieuses
M-05 Blue Sands
M-06 Echoes And Coral
M-07 Sea Of Tranquillity
M-08 Past The Long Black Land
M-09 Le Bateau


2012年5月20日日曜日

NADJA 「Touched」


カナダの夫婦スラッジ善哉、2007年作。
本来この作品は2003年に日本のDeserted Factoryレーベルより発表された、エイダン・ベイカーによるソロプロジェクトとしてのNADJAデビューCD-R音源なのだが、コレは相方のリア・バッカレフを加えてリレコーディングとリアレンジを施し、懇意にしている本国・カナダのAlien8 RecordingsよりCD化再リリースしたモノ。
ベイカーはこのような初期音源の焼き鈍し行為を度々行う、マニア泣かせの人なのだ。ただでさえリリースペース早ェのによ……。

まあリレコーディング作品なので、音世界は既に確立後のモノ。
つまりスラッジコア的泥濘リフと、シューゲイザー的拡散フィードバックギターの洪水の下に横たわる鈍重マシーンビート、という音像。
M-01など、彼ら典型の曲。
鈍牛テンポで、泥濘リフに金属質な轟音を絡めてひたすら引き伸ばす。やがて泥濘音を消し飛ばして低音だけを保ち、フィードバックノイズによるサイケデリアへと誘う。
音の密度は異常に高いが、音数自体はそれほどないのも特徴。

このようにNADJAは一つたりとも遊びの音がない。機能的ですらある。
ほとんどバックに埋もれて歌詞が判読出来ない状態のヴォーカルも、従来用いられる曲のアクセント扱いだけに止まらず、野太い咆哮が音圧面に貢献するなど、少ない音数へのテコ入れとしても立派に働いてくれている。
十八分にも渡る最長のM-03の終盤部では、普通なら安易に鳴りっぱなしにして放置するところを、音を揺らがせてアクセントを取り、耳に引っ掛けていく手法などもそう。
ランタイム59分59秒にするためのM-05も、無音で良いのにひっそり微かなM-04のリプリーズにしていたりする生真面目な面もそう。

特に目新しいコトをしている訳ではないが、感覚よりも用の美を徹底して作品を量産する彼ら。このジャンルでは珍しく、職人気質を感じさせる。
そんな彼ら、数多くの音源という名のアーティファクト中、本作に一番愛着を感じているようである。ならば聴き手の我々も避けて通る訳にはいくまい?

M-01 Mutagen
M-02 Stays Demons
M-03 Incubation / Metamorphosis
M-04 Flowers Of Flesh
M-05 (Untitled)

で、リイシュー前の音と聴き比べればもう……泥濘リフですらなかったり、ところどころ創りがダサっちかったりと、なかなかメタルちっくで香ばしい出来だったりする。
エイダンくんにとって過去恥部なのかもねい。そこまで恥かしいモノではないと思うなあ、デビュー作だと考えれば。
きっと原盤を彼の目の前で流すと、枕に突っ伏して足をばたばたさせる様が見られるかもねっ。


2012年5月16日水曜日

MOGWAI 「The Hawk Is Howling」


スコットランドの誉れ、2008年作・六枚目。

ハナっからふざけたタイトルの曲で始まるが、曲調は至って真面目。静謐で叙情的な面と、扇動的な轟音が曲毎に入れ替わる作風に変わりはない。
M-02のようにスラッジコア然とした荒々しさも、定評のあるダイナミックなリズム隊も相俟って、気高き鷹の如く堂々たる迫力だ。
中でも白眉はM-05。
一聴、さまざまな柔らかい音色が煌びやかに散りばめられたMOGWAI風ポップ曲だが、サンプリングで取り込んだような装飾音っぽいギターの音色が音空間のあちこちで場所を移動しながら鳴る仕組み。次第にこのどこから鳴るか予測出来ない装飾音を、脳内のお花畑ではためくモンシロチョウに見立て、耳が追っている始末。
それがまた甘美。

ただしそれ以後、割と静謐な――ややもすると大人しい曲が続くので、尻すぼみで地味なアルバム扱いを受けてしまうかも知れない。
いやいやいや、そんな浅いアルバムではない。
哀の感情を押し殺したような演奏へ一点、その内なる激情を表した轟音ギターが貫くM-08(凄い自虐タイトルだよね……)。アルバムの締めに相応しい、じっくりと時間を掛けてMOGWAIがMOGWAIたる所以を聴き手に教示するM-10など、レコードでB面にあたる曲にも抜かりはない。きちんと耳を傾ければ相応の愉しみが得られる、地味な佳曲が並ぶ。

全体的に総決算っぽい雰囲気は漂うが、コレでグランドフィナーレではない! と、意気の良い一音一音が毅然と物語っている。
揺るぎない己の音があるからこそ、自信を持って一音一音を堂々と鳴らせるのだし、六枚目というベテランと呼ぶに相応しい枚数を重ねられるのだろう。
彼らがダメなベテランにありがちな〝終わったバンドの妥協の産物〟をひり出す時期はまだまだ先だ。もしそう落ちぶれた時、きっとすぱっと解散してくれるんだろうな。

M-01 I'm Jim Morrison, I'm Dead
M-02 Batcat
M-03 Danphe And The Brain
M-04 Local Authority
M-05 The Sun Smells Too Loud
M-06 Kings Meadow
M-07 I Love You, I'm Going To Blow Up Your School
M-08 Scotland's Shame
M-09 Thank You Space Expert
M-10 The Precipice
M-11 Dracula Family (*)
M-12 Stupid Prick Gets Chased By The Police And Loses His Slut Girlfriend (*)
M-13 Devil Rides (*)

(*)は日本のみのボーナストラック。M-12とM-13は「Batcat EP」より。
なお、作中唯一のヴォーカル曲・M-13では何と何と! あの伝説のサイケロックバンド・THE 13th FLOOR ELEVATORSのロッキー・エリクソンが歌っている。


2012年5月14日月曜日

TWO LONE SWORDSMEN 「Wrong Meetings」


アンドリュー・ウェザオールとキース・テニスウッドの極悪タッグによる、両方まとめて五枚目。どちらも2007年作品。Warpから離れて、ウェザオールの自己レーベルであるRotters Golf Clubからのリリース。
正確には2007年五月に限定レコードリリースされたDisk-1と、同年六月に続編的内容で一般リリースされたDisk-2をくっ付けて二枚組仕様にした日本限定の編集盤。
五枚目のアルバムを名乗っても問題なかろう?

前作ではドラム=ゲスト、その他の楽器=ほぼテニスウッドにゲスト、ヴォーカル=ウェザオール、なんて編成で挑むエレクトロ+ポストパンクだった。おさらい。
で、本作は……そこにもう一枚、強烈なカードを加えてきた。

ロカビリーである。
そうそう、エルヴィスで有名なロックとヒルビリーを折衷したアレ。リーゼント、リーゼント。

現代ではパンクと融合した〝サイコビリー〟なるジャンルで現存が確認されている程度の、ほぼ遺物ジャンルに手を染めてきたのでびっくり。(別に今は演る人がごくごく少なくなったって、音源やジャンル自体はなくならないんだからな!)
なお、ウェザオールは「ロカビリーは常にオレの心の中にあった」などと供述しており、音楽性を落ち着かせない彼らがいづれこの札を切るのは必定だった模様。テニスウッドが納得して普段通り共闘しているかどうかは……別問題かも。

もちろんエレクトロ+ポストパンク+ロカビリーのミクスチャーサウンドを全編通して演っている訳ではない。
基本線は前作の延長であるエレクトロ+ポストパンクをややポストパンク寄りで。ダルなロック風トラックは早朝、ワーキングクラスの男が気だるそうに出勤する空気をむんむん漂わせる。Disk-1のM-08ではへろへろのバラードまで披露しちゃう。
ロカビリー色はやや電化気味で、唐突に曲順へと紛れ込ませる、と。
その時のウェザオールの生き生きした歌声はどうだ。オリジナルパンクス上がりなので巧いヴォーカルではないのだが、ココまで張り切って演られると、聴いているこちらまで楽しくなってしまう。「テクノを演っていたウェザオールとは何だったのか」と問われても、「こっちも楽しくて面白いので問題ナシ!」と爽やかな笑みを呈して言い切れるくらい。

そろそろ五十歳になるウェザオール、相変わらず曝け出している。
次は……そうだな、高速エレクトロビートのサイコビリーでも演ってくんないかなあ。テニスウッドは嫌がりそうだけど。

Disk-1
M-01 Patient Saints
M-02 Rattlesnake Daddy
M-03 No Girl In My Plan
M-04 Puritan Fist
M-05 Never More (Than Just Enough)
M-06 Wrong Meeting
M-07 Evangeline
M-08 Work At Night
M-09 Get Out Of My Kingdon
Disk-2
M-01 Mountain Man
M-02 Shack 54
M-03 Glories Yesterday
M-04 Blue Flames
M-05 Ghosts Of Dragstrip Hollow
M-06 Born Bad / Born Beautiful
M-07 In The Shadow Of A Dark Heart Sun
M-08 Hey Deborah Anne
M-09 If You Lose Control Of Yourself (You Give It To Somebody Else)
M-10 Born Bad / Born Beautiful (Dub Of Death) (Bonus Track)
M-11 Wrong Meeting (T-Bar Remix) (Bonus Track)


2012年5月12日土曜日

HELIOS 「Caesura」


ペンシルヴァニアのエモい奴、キース・ケニフの当名義三枚目。2008年作。

今回もやはりエモい。全くぶれていない。
自身が弾く、ピアノやアコ/エレギターを主音として叙情的に用い、幻想的な音色のシンセでそれを引き立たせ、BPM100前後のゆったりとしたビートを這わせる。きちんと音楽教育を受けた人だけあって、メロディを最重要視する、誠実で隙のない安定感が持ち味。アンビエントトラックも得手。
口が悪い人は「毎回金太郎飴で芸がない」とほざくだろうが、創り手側が一生賭けて守り抜きたい音を守って何が悪いのか。同じ作風を貫き通すのがどんなに難しいことか。
ちょっとでもぶれたら鬼の首を獲ったようにぎゃーぎゃー喚き散らすクセに、もっと彼のような音楽的に保守側のアーティストをきちんと評価すべきだ。

と言っても冷遇されている訳ではない。普遍的な音世界の持ち主だけに、きっかけさえあれば一気にこの界隈のトップランナーになれる位置まで着けている。
だがそこから一歩が踏み出せない。米国でマイナージャンルのエレクトロニカを演っている以上、致し方ない壁なのかも知れない。音楽性からして重複する部分もあるポストロックがあんなにも普及しているのに、おかしな話である。
いっそのこと、Thrill Jockey Recordsに移籍してみてはどうだろうか。
けど、本人にその気がなさそうなので、無理せず短めのリリーススパンで頑張って欲しい。個人作業なニカアーティストは量産してナンボ

本名を含む数名義を音世界が丸被りせぬよう、また自分の有す音世界を乱さぬよう使い分けるケニフは叙情派ニカ(略してジョジョニカ……)きっての職人だ。
そんな他名義の一つであるMINT JULEPのパートナーでもあり、奥方でもあるホリーさんに捧げられたのがM-10。うーん、(愛妻家って)エモい。

M-01 Hope Valley Hill
M-02 Come With Nothings
M-03 Glimpse
M-04 Fourteen Drawings
M-05 Backlight
M-06 The Red Truth
M-07 A Mountain Of Ice
M-08 Mima
M-09 Shoulder To Hand
M-10 Hollie
M-11 Stasis (Bonus Track For Japan)


2012年5月8日火曜日

PORTISHEAD 「Dummy」


1994年発表の記念すべきデビュー盤。

驚くべきことに、初作品ながら既にPORTISHEADならではの個性は確立されている――パサパサしたドンシャリ音像の中、陰鬱なトラックに併せて倦怠感や儚さを籠めて女性シンガーが歌い上げる、という。
上モノがダウナー偏重な作風なので単調さが浮き彫りになるかと思いきや、トラック毎にビートの音色を使い分けることで聴き手の目先を変え〝単調〟ではなく〝モノトーン〟なんだと意識を誘導させることに成功している。(ヒップホップでは定石の方法論なのだけど)
加えて、某ジーンズメーカーのCMでも取り上げられた名曲をアルバムの終い・M-11に据える、度胸たっぷりの曲配置はどうだ。

親分のMASSIVE ATTACK同様、若気の至りのような青臭さが一切ない。下積み時代から構想してきた自らの音世界を余すことなく銀盤に叩き付け、『デビュー作としては~』やら『衝撃の~』やらハイプ臭いフレーズ抜きでベテランどもに一泡吹かせる秀作を、一枚目にして創ってしまったのだ。
お陰で本作は売れた。それこそ〝ブリストルミュージック〟やら〝トリップホップ〟やらと要らぬ枕詞を添えられるくらいに。

素晴らしい出来のアルバムが売れること自体、非常に健全だと思う。だが、彼らが万人に受ける作風なのかと問えば、首を横に振らざるを得ない。
四つ打ちブリブリなトラックをバックに『あげぽよ~☆』とぎゃんぎゃん騒いでいる方が、みんなたのしいに決まっている。
そう言う意味で、彼らの成功はハイプだったのかも知れない。お陰で超人見知りのベス姉さんが急速度に荒んでしまったしね……。

M-01 Mysterons
M-02 Sour Times
M-03 Strangers
M-04 It Could Be Sweet
M-05 Wandering Star
M-06 It's A Fire
M-07 Numb
M-08 Roads
M-09 Pedestal
M-10 Biscuit
M-11 Glory Box

最後に、本作は「To Kill A Dead Man」なる物騒なタイトルのショートフィルムの架空サントラとなっている。実はシネオケの先駆者なのだ。
なお、その映像は前回取り上げたライヴ映像のDVD化に合わせ、追加収録されている。


2012年5月6日日曜日

SAO PAULO UNDERGROUND 「Principle Of Intrusive Relationships」


コルネット奏者、ロブ・マズレク大将がプラジリアンジャズメンと組んだ渾身のプロジェクト二枚目。2008年作品。レーベルは前作同様、Aesthetics(音量注意)。
編成は大将と相方のマウリーシオ・タカラに加えて、二名のパーカッショニストを迎えている。つまり太鼓三段構えだ。さすがはビートを最重要視するラテンの血/地か。

さて……以前書いた通り、本作は相当エグい。マズレク音源中、図抜けたエグさ。他の音源とはダブルスコアつけて聴きづらい。はっきり言ってコレを大将入門盤にして欲しくない。もっと他にも良いのありますよって。

何がエグいのかと言えばその極端な録音状態。
まずハナのM-01から前作同様、フリージャズちっくなポリリズム曲(つか公開リハーサル)で既にこれからかっ飛ばすぞ! という無用な意気を感じる。
明らかに前作から劣化した、もわもわもこもこした音像の中、一本のコルネットを取り囲むように三基の太鼓が好き勝手に鳴らされる訳である。門外漢からすれば、こんなのわけがわからないよ、と匙を投げたくもなるわ、と。
ただこの曲、途中から存在感を顕わにしてきたベースに引きずられて、徐々にメンバー四点のピントが合い出すこの兆しがめちゃめちゃカッコイイ。
以後、ダビーなんだか偶発セッションなんだか悟れない、如何にもし難い音像が繰り広げられる。時にはばっきばきの音割れも辞さない。M-03やM-08など、大将自慢のコルネットの響きが、安っぽいサンプラーによる加工で聴くも無残に溶解している。M-04は各楽器のバランスが一切取れていない、まるでシャツのボタンを掛け違えたまま街を歩くような珍曲。M-06に至っては周波数の合わないラジオを聴いているかのようだ。

で、誰かに「こんなの聴いて面白いの?」と訊かれたら、筆者は満面の笑みを呈してうんっ、と頷くだろう。変なモン聴いて悦に入ってる俺は人とは違うぜ愚民ども! みたいなキモチワルイ上から目線ではなく、純粋に。
演るコト成すコト極端で、この音像に慣れてくると痛快に聴こえるのだ。
四十代半ばに差し掛かった中年太りのオッサンが、ココまで尖がった音を創るのかと。このオッサン、還暦過ぎてもぎらぎらした音楽創ってそうと(おまけに二十代の情婦も抱えてそう)

マズレク大将というミュージシャンは、象徴的なコルネットの吹き方からして、常に気持ち良い音を念頭に置いて音楽を創ってくれる人だ。
本作もその表現軸は変わっていない。相変わらず一音一音に痺れる。
ただ今回に関しては、その聴かせ方があまりに異常なだけだ、と思おう

M-01 Final Feliz
M-02 Barulho De Ponteiro 1
M-03 Barulho De Ponteiro 2
M-04 Pulmões
M-05 Entre Um Chão E Outro
M-06 Cosmogonia
M-07 Imã
M-08 Só Por Precaução