2011年4月28日木曜日

NUMB 「Numb」


日本のブレイクビーツ虚無僧によるデビュー盤。2002年作。

この人は何が凄い、となると何て答えたら良いか分からなくなる。
不可思議なビート、グリッチにグリッチを重ねたような上モノ、一切の感情を廃したとも取れる荒涼とした音世界――
良く分からんけど何だか凄い! と言った時点で『何だ雰囲気に乗せられただけか。こーゆー意味の分からないモノを絶賛する自分ってかっけー、みたいなコト考えてんじゃねーのーゥ?』とか思われるのは心外だ。
うるせえ、オマエは気安く頑張れ頑張れ煽ってる陳腐な音聴いて、今日だけやる気になってろよ! と要らぬ憎まれ口でも叩こうか。

筆者はこの人が創る、全身の皮膚と肉の間を這いずり回る蛆のようなトラックが好きだ。眼前を飛び回る夥しい数の蚋のようなトラックが好きだ。毛細血管まで入り込む細菌のようなトラックが好きだ。
だが、実際にそうなって欲しいなんてこれっぽっちも思わないし、そうなるのを想像しただけで怖気が走る。なのにこの感覚は……たぶん、この人のアルバムをきちんと買って、聴いて、気に入った方なら分かってもらえる矛盾した気持ちだろう。
聴いていてこの、全身を何かに侵食されるような感覚は、この人しか創り得ない。
そこが凄い! と答えても伝わってないでしょう?

この人の作品はどれも本当に好きなのだが、毎日は聴けない。たまにふっと欲しくなり、CDプレイヤーに突っ込むような関係だ。
それ、本当に好きって言えるの? と突っ込まれそうだが、聴いている時はこの音世界にどっぷり浸かっているような状況に陥るのに何でそんな質問出てくるの? と質問を質問で返すバカになっているかも知れない。
これでは本当に好きなのかも伝わってないでしょう?

音の形而上化やら、音の禅問答やら、百鬼夜行の音やら、小難しいことはいくらでも書けるが、そんなのどうでもいい。
筆者は身体のどこかを蝕んでくるような、マゾヒスティックな悦び欲しさにこの音を聴く。
気持ち悪いでしょう?

なお、2010年に六曲入りボーナスディスクが追加されたリイシュー盤が出た。
お得でしょう?

M-01 分離 Bunri
M-02 転価 Tenka
M-03 垢 Aka
M-04 雑鬼 Jyaki
M-05 鬼二 Oni
M-06 四ツ目 Yotume
M-07 下意識 Kaishiki
M-08 心 Kokoro
M-09 己 Onore
M-10 意思 Ishi


2011年4月27日水曜日

HELIOS 「Eingya」


アメリカ人はエモい。
がはがは笑ってOne-Two-Manyな大雑把な性格、というのがパブリックイメージだろうが、地球上で最もエモい国だ。断言しよう。
エモーショナルハードコア、略してエモコア発祥の地がアメリカなのだから、隠しようなくエモい。お見通しなんだよ! いくら首を振ろうがな、お前らのDNAはエモなんだ! 認めろよ! アメちゃんはエモい! 言わずもがなエモいのさ!

軽く例を挙げようか。
この国はあんまりエレクトロニカ音楽が盛んなようには見えないのに、ぽっと優秀な奴が現れたとたん、今回紹介するようなもう……聴いていて胸が張り裂けそうなくらいエモかったりするからさ。
欧州のニカ職人はもっとドライだ。このエモ大国がっ!

HELIOSことキース・ケニフはペンシルヴァニア州出身。きちんとバークリー音大で音楽教育を受けた人である。米系ニカ人種はこういった真っ当なルートで、この音魔境へ足を踏み入れる者が多い。我流で音を築き上げる者が多い欧州勢とは対照的だ。
本作はHELIOS名義の二枚目に当たる2006年作品。ニカ職人だけあって、別名義を使い分けてまでこつこつとハイペースでリリースを重ねる頑張り屋さんだ。中にはケニフの双子の兄弟が参加する名義や、奥さんを駆り出して自ら歌っている名義もあるそうな。

それにしてもこのエモさは何だ。
ピアノやギターなどの生音を基調にトラックを組んでいることからフォークトロニカの範疇に入るのだろうが、どの音も全力でエモエモしい空気を醸し出している。音数を切り詰めれば自然と寂寥感が出てエモくなるのだが、これは素材のエモさに侘び寂びのエモさを加える、日本人にとって反則級のエモテクである。
空間処理の仕方がかのBOARDS OF CANADAを思わせる、としてもこのエモさは過ぎる。BOCも少なからずエモい部分はあるが、それは想ひ出は常に人の心を感傷的にさせるものだからであって、音で聴き手を童心に導いてくれる彼らの意図する部分ではない。
HELIOSは具体的に我々の心のどこか、エモい部分をくすぐりにきている。
普通は意図したエモさなどやらしいだけで通用しないのだが、少なくとも筆者はやられる。軽い気持ちでエモい音を出していないから、心の底から己のエモい部分を曝け出して表現しているから、に他ならない。
コレを自然に演れるからこそ、エモ国家・アメリカなのさ。

何だかいつも以上に良い落ちが思い付かないのも、このアルバムがエモ過ぎるからだな、きっと。
どうせ俺なんか文才などないからな――なんて考えた時点で、HELIOSの創るエモエモしい空気にやられている証拠なんだろうな、とする。

M-01 Bless The Morning Year
M-02 Halving The Compass
M-03 Dragonfly Across An Ancient
M-04 Vargtimme
M-05 For Years And Years
M-06 Coast Off
M-07 Paper Tiger
M-08 First Dream Called Ocean
M-09 The Toy Garden
M-10 Sons Of Light And Darkness
M-11 Emancipation


2011年4月26日火曜日

THE ALBUM LEAF 「Into The Blue Again」


マルチプレイヤー、ジミー・ラヴァールのソロプロジェクトの四枚目。2006年作品。

ラヴァールは何を隠そう、あの変態ショートカットマスコアバンドTHE LOCUSTのメンバーだった経歴を持つ。
以後、TRISTEZAを経てTHE ALBUM LEAFに至る、と。

こんな誠実で素直な作品を創る人が、イナゴマスク被ってピギャーピギャー喚きながら鍵盤を叩いていたなんて想像しただけでぞくぞくする。
「もうお前らにゃ付いていけねんだよ!」と、イナゴマスクを地面に叩きつけて辞めたのだろうか。「ジミー、お前だけなんだよ、アホになりきれてねーのは」とイナゴマスクを被ったイカレどもに肩を叩かれたのだろうか。
どちらにせよ、THE LOCUSTは相変わらずアホ激しい音を鳴らしているし、THE ALBUM LEAFも相変わらず顔で澄まして音で泣いているし、非常に健全な世の中だなあ、と。

本作は基本的にインストである。ところどころ音響工作を咬ませてあるので、ポストロックの範疇に収めてしっくりくる作風である。
ソロプロジェクトと謳っているだけあって、音源ではほとんどの楽器を彼が弾いている。ライヴでは、ちょこちょこ手を貸してくれたプレイヤーをバックメンバーに従えて、自らはキーボードを担当している。
ゆえにキーボードを軸にした音創りなのだが、お陰でことのほかエモい。鍵盤楽器というモノは素直に使うとこんなにもエモくなるのだなあ……としみじみきた時点でTHE ALBUM LEAFの術中にはまっているのだと気付かされてはっとするくらいエモい。
ラヴァールはヴァイオリンだけは弾けないらしく、専属で(ライヴも)参加しているマシュー・リゾヴィッチの鳴らす音も、脇役の分際でじわじわエモさを誘う。さりげなく、エモい。
M-02、M-04、M-08の三曲でラヴァール自身が歌っているのだが、声質自体がエモいので言わずもがなエモくなる。聴くだけで失恋したかのような気分に陥るくらいエモい。

あーもうエモエモしいっ! うじうじ切なくなるわ!

こういう後ろ向きの気持ちを、日本人は大切にしたがる人々なので、とっても日本向きの音楽であると断言しよう。生粋の日本人がそう語るのだから間違いない。
でも聴いていてブルーに陥いるような重さはなく、「さ、明日も生きていこうか!」と思える温もりが、やたらと現実逃避のように切り替え切り替えうるさい日本人にぴったりだと、生粋の日本人が薦める。
いつ聴いても枯葉が舞い落ちる秋になる、そんなエモさを貴方に。

蛇足ながら、本作は前作「In A Safe Place」(2004年)に続き、かのSub Pop Recordsからのリリース。まあ今更、Sub Popとグランジを直結させている方も居ないと思うので参考までに。

M-01 The Light
M-02 Always For You
M-03 Shine
M-04 Writings On The Wall
M-05 Red-Eye
M-06 See In You
M-07 Into The Sea
M-08 Wherever I Go
M-09 Wishful Thinking
M-10 Broken Arrow


2011年4月24日日曜日

ADEM 「Takes」



トルコ系英国人、アーデム・イルハンによる2008年作の三枚目はカヴァーアルバム。

種明かし、なんて大げさな言葉を使うまでもなく、ADEMはポストロックバンドFRIDGEのベーシストのソロ名義。仲間のキエラン・ヘブデン(主にギター)はかのFOUR TETとして大活躍中。
こうなるとドラムのサム・ジェファーズも自分で何か演ってくれよ! とお願いしたくなるほど高水準の音楽を我々に授けてくれる才人の集合体だなあ、FRIDGEというバンドは。

ヘブデンのFOUR TETは生音に電子音をふんだんに咬ませた“フォークトロニカ”と呼ばれるエレクトロニカ系統の旗手だが、イルハンのADEMの音楽性は至ってシンプル。
ずばり、ベースをアコギに持ち替えたフォークソング。
FRIDGEがインストバンドということもあって、彼の朴訥な声色をど真ん中に据えたこの歌モノアプローチは意外性もある一方、ドが付くほど直球である。
お陰で、下手するとイルハンがこっちで多忙になってFRIDGEが疎かになってしまうほどのセールス的なポテンシャルを、ADEMは持っている。

そのくらい“歌”というものは普遍的で、人々の生活に入り込みやすい、ということ。

さて、本作はカヴァーアルバムなので、それほど感想らしい感想はない。選曲がなにげにマニアックで、若干フェミニン寄りかな? 程度。
下手すれば“スイーツ”と呼ばれるオシャレガールズの家に置いてあってもおかしくない?
いえいえ、この素朴で侘びた風情、物事の上っ面しか舐めずに生きている連中なんぞに分かってたまるか! と偏見に塗れた憎まれ口でも叩こうか。音楽なんてそんな小難しいモンじゃないのにさ。

インナーに本人が「カヴァーアルバムはミックステープを作るようなモン」と記しているので、もしかして「Takes II」もあるかな?
数年後、期待したいな。この内容なら。

M-03 Slide
M-04 Loro
M-08 Starla (+ Additional Lyrics From“Window Paine”)
M-09 Gamera
M-10 Unravel


2011年4月23日土曜日

TRICKY 「Pre-Millennium Tension」


で、TRICKY。1996年発表の2nd。TRICKYが一番ギラギラしていた頃。

はっきり言って、TRICKYは永遠の厨二病患者でいいと思う。
世の中に拗ねて、薄ら笑い浮かべて近付いて来る連中を悪罵して、「みんな俺のコトが嫌いなのさ」と斜に構えていて欲しかった、一生。
そうすれば自ずと、量産されるトラックの質も高まるだろうから。

はっきり言って、TRICKYは次作「Angel With Dirty Faces」までだと思う。
マルティナ・トプリー・バードという名バイプレイヤーを失って、一気に失速した感がある。
別離が見えていた「Angel With Dirty Faces」は悲壮感が音にまで伝わってきた。だからアルバムとして感じ入るものがあった。
以後アメリカに移住して、いろんな人と交流して、いろいろやってみても散漫で、「意外と器用貧乏なんだね」としか印象が沸かないアルバムを並べてくれた。

はっきり言って、TRICKYは元から音楽素養の後ろ盾がない初期衝動アーティストなのだから、角を削るより磨いて尖らせた方が良かったんじゃないかと思う。
それこそ「怨みはパワー、憎しみはやる気」と言った具合に。
頭で考えて良し悪しを決めるタイプのリスナーなら、4th以降の作品の成熟度を評価するんだろうなあ。

身体で感じて良し悪しを決めるタイプのリスナーは嗜好に一貫性がなく、面倒臭い。

さて本作、のっけのM-01から殺伐モード全開。こめかみに銃口を押し付けられているようなひりひりした切迫感。
以後、彼とマルティナがクライドとボニーに見えるくらいギスギス。トラック構成がシンプルな分、悪意くっきり。聴いていて、目つきが悪くなる悪くなる。
加えて、TRICKYと言えばサンプリングソース選びの節操のなさ(今回はM-03でTHE COMMODORES、M-05でERIC B & RAKIMと、比較的真面目)と、底なしに暗い声質で呟くラップだが、この頃は本当に“呪詛”という言葉がしっくりくる不気味さ。

もう、全て負の方向性でベクトルが振り切れている。
これなんだよなあ、TRICKYの魅力は。

暗黒音楽は何もハードコアやメタルの専売特許ではない。ハッピーな印象の強いクラブカルチャーからでも、こうして撒き散らすことが出来る。
厨二病の魂さえあれば。

M-01 Vent
M-02 Christiansands
M-03 Tricky Kid
M-04 Bad Dream
M-05 Makes Me Wanna Die
M-06 Ghetto Youth
M-07 Sex Drive
M-08 Bad Things
M-09 Lyrics Of Fury
M-10 My Evil Is Strong
M-11 Piano


2011年4月22日金曜日

MARTINA TOPLEY-BIRD 「Quixotic」


マルティナ姐さんの多様性は類を見ない。

TRICKYの相方として1995年「Maxinquaye」でアルバムデビューを果した姐さんだが、1998年の「Angels With Dirty Faces」をもってコンビ解消(同時に婚姻関係も解消)してからこの2003年ソロデビュー作まで、五年の月日が流れている。
その間、彼女は何をしていたのだろうか。
当アルバム制作へ向けてこつこつと人脈作りをしていたのではなかろうか。でなければ誰が、UKブレイクビーツ界の才人デイヴィッド・ホルムスと、ロック界の口入屋ジョシュ・オーミ(QUEENS OF THE STONE AGE)と、映画音楽の大家デイヴィッド・アーノルドが肩を並べて参加するアルバムなど企画出来ようか。
その上、姐さん自身の客演履歴も凄い。前述のホルムスや、TRICKYの元親分にあたるMASSIVE ATTACKはもちろん、ヒップホップ界の良心COMMON。ストーナー人脈結集バンドEARTHLINGS?。超ド変態オルタナバンドPRIMUS。グランジ世代のスーパー(極渋)タッグTHE GUTTER TWINS。イカレロケンロー魂JON SPENCER。バレバレ覆面アニメバンドGORILLAZ、etc...と、もう滅茶苦茶である。

その間(はざま)を、姐さんは狭い声域と線の細い淡白な声質で渡り歩いているのだ。

なぜ姐さんがこうも多種多様なアーティストからもてるのか。
偏にその淡白で我の弱い歌声にあるのではなかろうか。
この声はどんな曲調にも、嫌味なくすっと張り付く。決して曲の和を乱さない。曲のアクセントとしてひっそりと輝いてくれる。雇い主からしてこんなありがたいゲストは居ない。
では姐さん、曲調や共演者に併せて歌い方を変えているのかと言えば、答えはイイエ。いつも通り、淡々と自分の狭いトーンを守り続ける、不器用なタイプの歌い手である。
もしかしてそんなに巧くないのかも知れない。だからこそ、自分の分を弁えているのかも知れない。
なのに、聴き手にとって心地良い空間を与えてくれる。

マルティナ姐さんこそが、最高の癒し系シンガーだ。

本作はじっくりと企画やら楽曲やらを練ったお陰で、バラエティに富んでいる。
バックコーラスを立てたゴージャスなR&B風のM-04から、元パートナー(兼元夫)を呼び寄せたそのまんまTRICKYなM-08、ギターのカッティングが格好良いロックなM-10まで、雑多な内容を姐さんの淡白な歌声がきちっと締めている。締められている。
もちろんこれらの楽曲を書いているのは姐さん自身。

意外と姐さんは我の強い人なのかも知れない。

M-01 Intro
M-02 Need One
M-03 Anything
M-04 Soul Food
M-05 Lullaby
M-06 Too Tough To Die
M-07 Sandpaper Kisses
M-08 Ragga
M-09 Lying
M-10 I Wanna Be There
M-11 Ilya
M-12 Stevie's (Day's Of A Gun)


2011年4月21日木曜日

SEEFEEL 「Seefeel」


クレジットは2010年と記されているが、発表は2011年の通算四枚目。何と十五年ぶりのオリジナルアルバムリリース。

彼らは「Succour」(1995年作の二枚目)という、UK音楽シーンに少なからず影響を与えた傑作を持っている。その他のアルバムも評価が高い。音楽に対して妥協を許さない、聴き手からすれば非常に信頼の置けるクリエイターである。
だがこの十五年というブランク期間は何なのか。
SEEFEELが時代に併せて正当評価を受けず、順調に活動出来なかった証だとしたら、それは悲しいことだ。

人の多くは、闇を遠ざけ、陽の光を好む。

今回の活動再開に際して、SEEFEELは三つの大きな変貌を遂げた。
一つは首魁のマーク・クリフォード(G)とサラ・ピーコック(Vo)はそのままに、リズム隊を入れ替えたこと。
ドラムのカズヒサ・イイダは、かのBOREDOMSにて叩いていたことでお馴染み。ベースのシゲル・イシハラは、DJ SCOTCH EGGの名の方が知られているチップチューンアーティストだ。
この二人の日本人が持ち込んだ要素は非常に大きい。
ビートが生々しく、太くなった。低音が低くうねり、曲を操縦するようになった。

これにより、大きく変貌した点、二つ目――以前はピーコックのローレライヴォイスを含めたウワモノが陰鬱かつたゆたうように流れ、鼓膜に染み込んできた。曲の流れを邪魔することなくループさせ、すっと曲を終焉まで導いてきた。
本作は違う。ウワモノを削り、彫り、すり減らし、切り、聴き手の鼓膜にこびり付けてきたのだ。あざといくらいに、執拗に、手間暇を掛けて。
そんな小細工がうるさくならないのも、イイダがビートパターンを遊びつつもきっちり守っているから。イシハラが実直にボトムラインを支え、曲の羅針盤と化しているから。
おそらくリーダーのクリフォードは今回、自らが思い描くトラックメイキングが存分に出来たのではなかろうか。

最後に三つ目の変貌。
SEEFEELは陰鬱さを持ち味とするバンドだ。本作も確かに陰鬱だ。その軸はぶれていない。
だが「Succour」や96年作の三枚目「(Ch-Vox)」のような冥界からの空気は感じない。ジャケット通り、人の気配がする。時折、陽の光も感じる。
この変化が空白の十五年間で培われたのなら、蓄積された経験に基づく正当変化であろう。もしイイダとイシハラの加入により齎されたものならば、劇的な化学変化であろう。
それは本人たちに訊いてみないと分からないし、訊く必要もないのかも知れない。

SEEFEELは聴き手のノスタルジーに甘えていない。今、活動を再開して然るべきバンドである。本作が雄弁にそれを語っている。

M-01 O-On One
M-02 Dead Guitars
M-03 Step Up
M-04 Faults
M-05 Gzaug
M-06 Rip-Run
M-07 Making
M-08 Step Down
M-09 Airless
M-10 Aug30
M-11 Sway
M-12 Twojam (Bonus Track For Japan)


2011年4月20日水曜日

CLARK 「Body Riddle」


2006年作品の三枚目。

一言で書けば『化けた』。
本作から名義を本名のCHRIS CLARKから、味もシャリシャリもないファミリーネームだけのCLARKに替えたのだが、そのCHRIS CLARK時代から才の片鱗を見せていたのだから『本格化した』の方が適切かも知れない。

2001年のデビュー当時から〝APHEXチャイルド〟なる枕詞が添えられてきた彼、完全にThis Is CLARK!! と言い切れるようになったのは、音世界をアッパーかつアグレッシヴにシフトさせた次作「Turning Dragon」から。WARPレーベルの主力アーティストとして君臨するようになったのもそれから。
本作もM-10のような、如何にもリチャDっぽいトラックが収められている時点で〝APHEXチャイルド〟などという忌まわしきレッテルを払拭出来ていない。

以上により、本作はCLARK過渡期にリリースされた佳作? いえいえとんでもない!
筆者は文句なく、このアルバムを傑作に推す。
なぜなら彼は何と、全盛期の本家に匹敵する高い質の楽曲をこのアルバムで叩き付け、我々リスナーの度肝を抜いたのだ。フォロワーはオリジネイターには敵わない、という定説に真っ向から対峙し、自らの実力で壁をぶち破ったのだ。
コレは凄いコトだと思う。並の創造者では出来ない荒業である。

音が不安定に揺らぎ、外し、重ねられるが、それはすべてCLARKの想定内。どう音を加工すれば聴き手の心を操れるか熟知しているかのようだ。何度聴いても悔しいかな、彼の術中にはめられてしまう。聴き流せなくなってしまう。音色の選択とその噛み合わせもばっちり。気持ち良く聴こえる音を、気持ち良い場所にくれる。
お陰で、捨て曲などナシ。一分弱の小曲も、インターリュードとしてだけではなく、一つの曲としてきちんと完結している。日本限定のボーナストラックであるM-12でさえ、寒風吹き荒ぶ中で立ち尽くしているかのような秀曲だ。
しかもこんなに質の高い楽曲を取り揃えているのに、及第点を堅持する優等生の臭いがちっともしないのも特筆すべき点だろう。エレクトロニカの基本線を踏まえてながらも、どこか微妙に外して構成する。音使いがやんちゃなのだ。

本当に隙のないアルバムを創った、隙のないアーティストである、このクリストファー・ステファン・クラークという男は。

M-01 Herr Bar
M-02 Frau Wav
M-03 Springtime Epigram
M-04 Herzog
M-05 Ted
M-06 Roulette Thrift Run
M-07 Vengeance Drools
M-08 Dew On The Mouth
M-09 Matthew Unburdened
M-10 Night Knuckles
M-11 The Autumnal Crush
M-12 Observe Harvest (Bonus Track For Japan)


注:ココは音楽ブログです。


さあブログを始めたぞ! やれ序文だ! 頑張るぞー!
――と無邪気に気合を入れてみたが、良い文章が思い浮かばなくて困っている。



ようこそ、L.O.T.W.へ!
こちらは音楽アルバムの感想をつらつら並べるサイトです! 扱うジャンルはエレクトロニカとポストロックが主となりますが、元からイッチョカミ気質ですので、さまざまな音世界が混在した、焦点の絞れない音楽ブログになりそうです……。
ただ、共通するのは“筆者の耳が気に入った音”であること!
ゆえにクソだ駄作だ金のムダだ、などと言う非生産的な発言は一切致しません。享受者の分際で偉っそうに採点などする気にもなれません。「聴いて、筆者はこう感じましたが……貴方の心には何が残りましたか?」と言う穏健派――悪く言えば事勿れ路線で更新を重ねることでしょう。
では、当ブログが貴方の健やかなる音楽ライフの一助になることを願って。



と、当たり障りなく文を刻んでみたが、相当キツかった。予想以上に時間が掛かった。慣れないコトはするモンじゃないな。
以後の本文はこんな感じのくだけた内容になる、か、なあ……。
まだ始めたばっか。どう転ぶか分からないや。