2012年2月28日火曜日
RED SNAPPER 「Prince Blimey」
退廃メタルっぽいジャケだなあ。
人力アブストラクトトリオによる初フル音源。1996年作。
ハナのM-01からドラムンベースを人力でかっ飛ばす。まだこのジャンルがシーンに風穴を空ける前のこの当時、バンドでコレを演っているのは衝撃だったのでは。
そもそもこのドラムとダブルベースとギターの三人は結成以前からキャリアも豊富で、ミュージシャンシップも非常に高い上に、シーンも良く見渡せる環境に居た。『カッコイイし、全然演れっし、いくか』くらいの軽いノリだったかも知れない。
このように〝良い音を事前にキャッチする〟高感度のアンテナも持ち合わせてたからこそ、UKクラブシーンの大黒柱インディー・Warp Recordsと契約出来て、このような完成度の高いアルバムでデビューを飾れたのであろう。
今考えれば、彼らはリズムセクションのキャラが非常に立ったバンド。ドラムンベースの方法論は必然なのだが。
輪郭のはっきりしたビートと、ぐいぐい曲を引っ張って行くダブルベースの強力なリズムセクションに、リヴァーブを掛けまくったギターを乗せるのが彼ら本来のスタイル。そこへサックスやクラリネットなどの管楽器を派手に織り込む。
次作では地味な扱いを受けていたこのギターが意外に曲者。湿った残響音がダビーなエフェクトっぽい質感となり、このバンドの音楽性にマッチすることすること。
アブストラクト/ダウンテンポ(当時の呼称・トリップホップ)がブレイクビーツにダブを馴染ませたジャンルなのは言うまでもない。
この通り、完成度と大衆性は二枚目に譲るとして、バンドとしてのアンサンブルと個性に関してはこちらが勝る。
うねりまくるベースラインと唸りまくるサックスがKING CRIMSONのアレの中間部を髣髴とさせるM-04のようなトラックもあるし、意外とクラブ系に興味のないロック好きでもイケるんじゃないのかなあ。
M-01 Crusoe Takes A Trip
M-02 3 Strikes And You're Out
M-03 Thomas The Fib
M-04 Get Some Sleep Tiger
M-05 Fatboy's Dust
M-06 Moonbuggy
M-07 The Paranoid
M-08 Space Sickness
M-09 The Last One
M-10 Digging Doctor What What
M-11 Gridlock
M-12 Lo-Beam
2012年2月24日金曜日
FOUR TET 「There Is Love In You」
〝音色の魔術師〟キエラン・ヘブデン(FRIDGE)のソロエレクトロニカユニット、五枚目のオリジナルフルアルバム。2010年作品。
レーベルはいつも通り、ロンドンのDomino Recording。
以前から音で「演るよ、演るよ」と匂わせてきたダンサブルな四つ打ちを、大々的に解禁。ノリの良い作品になった。
だが、聴き進めていくうちに何か象徴的なモノが忘れられているような気が。
ずばり〝フォークトロニカ〟をその名たらしめている生音、この削減だ。
確かに完全排除ではない。ところどころ、木・鉄琴やらハープやらの音が装飾音として散りばめてある。ただ、以前はもっと分かりやすく使っていただろう、と。
こうなると、FOUR TETを〝フォークトロニカの総大将〟として聴くのか〝エレクトロニカ界の旗手〟として聴くのか――そんな踏み絵盤として、問題作やら実験作のような質面倒臭い扱いを本作は受けてしまうのだろうか。
そんな、もったいない!
本作は、何が悪いのか何が良いのか分からなかった前作「Everything Ecstatic」のもやもやを、本作中ジャケの青空写真のようにすかーっ! と晴らす痛快盤だと思う。
さあ〝フォークトロニカ〟なんて単語、きれいさっぱり忘れよう!
ダンサブル、と言ってもアッパーではない。ただ整然とキックとハイハットを四つ並べた安直な創りではなく、打ち方をちょこちょこ変えたりする工夫も欠かさない。
「Ringer EP」で垣間見せたシンプルなビートに味わい深い上モノを融合させるトラック像は、如何にも彼が進みそうな発展経路。同時にいつもの突飛な音色使いは影を潜めたが、音色の選択が独特なのは今まで通り。
つまり、本質的には何も変わっていない。
トラックの創りをソリッドにして浮かび上がってきた上澄みが本作。灰汁ではないよ。すっと耳に馴染んで気持ち良いこの音をすてるなんてとんでもない!
M-01 Angel Echoes
M-02 Love Cry
M-03 Circling
M-04 Pablo’s Heart
M-05 Sing
M-06 This Unfolds
M-07 Reversing
M-08 Plastic People
M-09 She Just Likes To Fight
M-02の女性シンガーの声ループが「Love Cry~」ではなく、「おっぱ~い♪」と聴こえる貴方は重症。筆者は言うに及ばず。
2012年2月22日水曜日
PORTISHEAD 「Roseland NYC Live」
二枚目の翌年、1998年十一月リリースのライヴ盤。
録音自体は1997年の七月で、九月に控える二枚目のお披露目ライヴのような位置付けか。また〝Roseland NYC〟と銘打たれてはいるが、M-09は1998年四月・サンフランシスコの、M-10は1998年七月・ノルウェイのライヴより用いられている。
ココ、重要。
さてジャケをご覧の通り本作は、いつもの三人と常連サポートメンバーに加えて、オーケストラとの競演盤となっている(M-09、10を除く)。陰鬱な彼らの音世界が荘厳に表現されているというだけで本作は特筆すべきアルバムであろう。
ただ、アルバム通りのアレンジにサンプリングにはない生々しい音色が加わっただけなのが現実。過度の期待は無用だが、良い効果は生まれているのが救い。
加えて、残念ながら本作のハイライトはNY録音の方ではないのも事実。
大幅なアレンジを施し、人間不信の極みである歌詞のM-09を咽び泣くように歌うベス・ギボンズさん(当時三十三歳)。原曲にはない畳み掛けるような終盤の高まりに、喉も嗄れよと慟哭する彼女の危うさが垣間見られる名演。
そこからまるで連動しているかのような、息遣いまで切ない彼女の感情移入ぶりに観客の合いの手拍手も暖かく聴こえるM-10。曲が進むにつれ、もうこの人感極まって歌える情況じゃないだろと思わせるほどトーンがふらつく歌唱に、聴き手もぐっと来ること受け合い。
PORTISHEADの(と言うかギボンズの危うい)魅力が本題とピントの外れた部分で発揮されているのは残念だが、コレならわざわざ差し替えたくもなろう。
何せ音源は判断材料が音しかないのだから。
おまけに、レコードを意識してアルバムを前半(M-01からM-06)と後半(M-07からM-11)に分け、構成している。分かっているなあ、後ろの二人は。
M-01 Humming
M-02 Cowboys
M-03 All Mine
M-04 Mysterons
M-05 Only You
M-06 Half Day Closing
M-07 Over
M-08 Glory Box
M-09 Sour Times
M-10 Roads
M-11 Strangers
本作は同時にVHSで映像作品もリリースされている。〝Sour Times〟と〝Roads〟は公演通り、1997年NYCのモノが使われている模様。当たり前か。
なお、2001年にDVD化再発の際、ショートフィルム三本とPV五曲が追加収録された。
2012年2月20日月曜日
TARANTULA HAWK 「Tarantula Hawk」
サンディエゴの暗黒プログレハードコアトリオによる二枚目。2002年作。
レーベルはかのNEUROSISが運営するNeurot Recordings。数多くの実験的ハードコア音楽を送り出している妖しいトコ。
彼らの音世界も例に違わず実験的。
五つのトラックは完全に連動されており、実質七十四分ワントラックアルバム。しかも1stと本作の間に噛ませた二枚の自主流通音源(CD-R)も、やはりワントラック。たった五分で世界を表せるか! とでも言わんばかり。
おまけにご覧の通り、本作には曲名がない。1stにもない。しかも本作も1stもセイムタイトル。曲に命名する意思がまるでない。
しかも掛け声一つ入らない純粋なインストアルバム。
これはもう、音楽に言霊を宿すことを拒絶しているとしか思えない。
だが音楽に、そのような象徴めいた存在など要らないのかも知れない。極論を吐けば、歌や歌詞のような象徴的なモノはかえって音楽の邪魔になる場合もある。
彼らの場合、歌詞を乗せた声など髪の毛一本の隙間すら入り込む余地がない。
そんな音の構成は〝Key or Gu〟と〝Ba or Key〟と〝Dr or Gu〟。それらが場面に応じて楽器を切り替える慌しい編成だ。しかも1st期は更にベーシストが在籍するツインベース形態だったという。
残念ながらそのベーシストは家庭の事情により脱退。残されたメンバーは「あいつの代わりなんて、誰にも勤まらないぜっ!」と後任を置かず、このようなシャッフル編成になった、という泣かせる熱いエピソードがある。
だからか、低音が足らないような気がする。
それどころか、ドラムの手数は多いもののビートの粒が安定していないやら、ギターのフレージングが埋もれるほど地味やら、それ以上にキーボードがしゃしゃり過ぎやら、ベース(の存在感)がたまに消えるやら、筆者が思いつく限りでいくつも難癖が飛ぶ。
だが幅を利かせているだけあって、キーボードのスリリングな旋律は特筆モノだ。蜂が編隊を成して聴き手の鼓膜へと襲い掛かる――そんな戦慄を与えてくれる。
もちろんその戦慄も、強弱のダイナミズムを重視して繰り広げられる楽曲により齎される、あくまで副産物。約四十分間を飽きずに聴き通せる構成力は空恐ろしい。
目に付く欠点はちょぼちょぼあれど、それ以上に期待値も大きい〝上積みも見込める〟バンドだったのに、本作が(公式)ラストリリース。
「あいつの代わりなど~」みたいな熱いコト言える情熱の持ち主どもならさ、石に噛り付いても継続して欲しかったなあ。未完成で散るのは惜し過ぎる。
M-01
M-02
M-03
M-04
M-05
つか! 最後のトラック(49分41秒)の20分以降、ただ持続音が鳴ってるだけってのマジで止めれ。最後、たった一秒でも何か演るだけで残りの約三十分間に意味が出るのに、そのままCDが止まりくさる。
掃除機のぶーんという稼動音に意識を集中させて酩酊する残念なお子様かよ!
2012年2月16日木曜日
CAUSTIC WINDOW 「Compilation」
ご存知リチャDの、数ある変名の中でもぼちぼち知名度が高い方のコンピ盤。1998年発表は、自己レーベルRephlex Recordsより。
まずは収録曲の詳細から。
全てレコードのみでRephlexより発表された1992年作「Joyrex J4」から六曲中五曲(M-01~05)、同年「Joyrex J5」から四曲中三曲(M-06~08)、翌年1993年作「Joyrex J9」から四曲全て(M-09~12)を、すらっと並べた58分15秒。
言うなればリチャ活動初期の音源を、そろそろ音楽活動に飽き始めた頃に掘り起こした、怠惰な一枚である。
『時間余っているのに、何でたった三分台の曲を二つくらい収められないのさ?』という疑問は後述。
『飽き始めた』やら『怠惰』やら酷いコトを書いているが、元々の音源はリチャがバッリバリ演る気になっていた頃のモノ。クォリティは推して量るべし。
もちろんかのリチャDサマの御作品。『名義が違えば創りも違う』なんて小器用な考えなど毛頭ナシ。M-13なんて他名義の曲を平気でこっちに持って来れる鉄面皮ぶりを発揮。いや、M-07こそ向こうに入ってそうな曲調だし。
『俺を型にはめる型を型にはめてやる!』と言わんばかりの俺節貫徹。
強いて他名義との違いを挙げるとするならば、ビートが極端に前のめりだったり。上モノがメロディ度外視で、普段にも増して荒れ狂ってたり。ところどころ構成が幼稚だったり。
『安っぽい創りによる荒っぽい音世界』とでも表すべきか。
チープな素材を巧く輝かせるには、制限を壊すか生かすかするのが定石。
前者のように音割れやバランスを気にせず、勢いがままにトラックを聴き手に投げつけるか――当コンピはその方針で編んだものと思われる。
後者のようにチープな音色をチープなまま差し出して聴き手の苦笑や和みを引き出す、文明社会を逆手に取った方法か――当コンピから除外された二曲は、その方向性で創られた曲だったりする。
ああ見えてリチャはリチャなりに考えているらしい。嘘のような本当かも知れない話。
M-01 Joyrex J4
M-02 AFX 114
M-03 Cordialatron
M-04 Italic Eyeball
M-05 Pigeon Street
M-06 Astroblaster
M-07 On The Romance Tip
M-08 Joyrex J5
M-09 Fantasia
M-10 Humanoid Must Not Escape
M-11 Clayhill Dub
M-12 The Garden Of Linmiri
M-13 We Are The Music Makers (Hardcore Mix)
2012年2月14日火曜日
GONJASUFI 「A Sufi & A Killer」
カリフォルニア出身、スーマック・ヴァレンタインによる当名義デビュー盤(本名のSUMACH名義で自主流通ながらソロ音源発表済)。2010年作はFLYING LOTUS繋がりからWarpで!
ヒップホップ上がりの彼、普段はヨガの先生をやっているそうな。
音楽性を一言で辛辣に表すと〝スピリチュアルかぶれ〟。
ゴアちっくでサイケ(非トランス)な音像とヴィンテージモンの音色の上に、彼のラリラリでふやけたラスタ風歌声(非ラップ)が乗る、至って分かりやすい仕立て。長丁場の曲が似合いそうなのに、おしなべて三分程度のコンパクトさなのも、長めのトラックでは単調さが浮き彫りになるヒップホップのDNAゆえと踏んだ。回顧主義もあるかも知れない。
当然影響土壌には忠実で、声質は違うものの発声の仕方はボブ・マーリーの、トラックによってはぶち込まれるねちっこくて平べったい音色のギター(とヴォーカルスタイル)はジミヘンのそれ、と憧れを隠そうともしない。
ヒップホップから洗礼を受け、中東系の神秘主義に傾倒し、ジミヘンとボブマーリーをヒーローと崇める男、と簡単に括ってしまうと彼の本質を見逃してしまいそうになる。
音世界は分かりやすいが、それほど底の浅いアーティストでもない。
M-04のような甘いトラックも、M-05のような切ないトラックも、M-06のような攻撃的なトラックも、M-08のようなインド的なトラックも、M-10のような浮遊感漂うトラックも、平然と一つのアルバムに叩き込んで軸のぶれない多様性――それを統べているのが徹底して古臭い音色使いと、自身のしわがれただらしない声質だろう。
多様な音楽性を有すには、数多の音と触れ合う必要がある。多様な音楽性をびしっと締めるには、野太い不変の軸を持つ必要がある。
影響を希釈する部分は希釈して、残しておきたい部分は剥き出しにする。自分に何があって何を伸ばすべきか、逆に何がなくて何を持ち込む必要がないか。
その取捨選択が大胆かつ巧妙な男、それがこのGONJASUFI。
オリジナリティオリジナリティと喧しい輩をせせら笑う、極濃のキャラを持つ男だ。
M-01 (Bharatanatyam)
M-02 Kobwebz
M-03 Ancestors
M-04 Sheep
M-05 She Gone
M-06 SuzieQ
M-07 Stardustin'
M-08 Kowboyz&Indians
M-09 Change
M-10 Duet
M-11 Candylane
M-12 Holidays
M-13 Love Of Reign
M-14 Advice
M-15 Klowds
M-16 Ageing
M-17 DedNd
M-18 I've Given
M-19 Made
M-20 Dobermins
M-21 Ancestors (Agdm Mix) (Bonus Track For Japan)
M-22 Robots (Bonus Track For Japan)
2012年2月12日日曜日
Mr. 76IX 「3 (Minority Of 1)」
P・ウッドなる人物による三枚目、2007年作品。
Skam Records産、というコトで相変わらずの匿名性。どうせ内容もチープなんだろ、と思われがちだが然にあらず。意外ときっちり創られた音世界を提供してくれる。
何でも、とある有名なアーティストの変名とかいう、ウ・ワ・サ。
その噂元の人物をぷんぷん臭わせるアシッド臭さやドリルンベースを披露してくれたと思えば、M-05からM-06の流れのようにどこぞの二人組が繰り出すバッキバキなテクスチャーのトラックもあったりと、音楽的焦点をぼかすのに余念がない。
『誰ぞの変名』という噂が立つのも、見知らぬ誰かが創ったにしてはあまりに緻密でこなれているからであろう。まあ、そういうコトにしておこう。
本人たちが明言していない以上、そこら辺を突付かないのが不文律。
ただ、成熟度や完成度は高くとも、大衆性――噂元の人物たちにあるような、突き抜けた分かりやすさ――に欠ける点は否定しない。あと、オリジナリティに欠けるという難癖も。
かと言って際立って難解でもない。割とメロディの立ったトラックもあるので、始終首を横に傾げて聴くようなアルバムでもない。
もしかして一か八かどちらに振り切れれば、ほぼ同時期に出た某ユニットのようにその正体を騒がれたりしたかも知れない。
そろそろ音楽的方向性も落ち着く三枚目。レーベルが自己顕示欲の欠けらもないSkam。そつのない創り、と地味な要素てんこ盛りなので致し方ないのか、話題性皆無。
でも筆者はこのようなヌルさを適温だと思って浸かるタイプの聴き手である。ココとか、ソコとかアソコとかばっちこーい!
ゆえに、やはり正体を想像しつつにやにやして聴くのが本作の、一番美味しい召し上がり方なのやも知れない。噂元に憧れて音楽を始め、これまでこつこつと音源を積み重ねてきた単なるあんちゃんかも知れないのにねえ。
M-01 Spirit Of Man
M-02 Woden's Phallus
M-03 Time Cycle
M-04 The Archaic Revival
M-05 Paradigm Shift
M-06 Mindworm
M-07 H.A.A.R.P.
M-08 Shape Shifter
M-09 Sex Myself
M-10 Traits
M-11 Tesla AC/ID
M-12 9
M-13 Wordless Aeon
M-14 RV Human++
M-15 Battle Bots
M-16 Romanticism
M-17 Cartoon Dreamz
M-18 Games People Play
2012年2月10日金曜日
CRITTERS BUGGIN 「Stampede」
BLACK FRAMESを経て久々再開の2004年作・六枚目。
前作「Amoeba」が1999年だから、約五年ぶり。比較的リリーススパンの短い彼らとは思えない、この間の開きよう。ソレもコレも、マット・チェンバレン(Ds)がセッションワークで忙しいから……。
さて、月日は音楽性も変えるもので、似非ジャズ(1st)からトライバルなイカレジャム(2nd以降)へと移行した彼らの新章は……ポストロック風味だった!
つまりBLACK FRAMESからの流れを引き継いだ作風になっている、と。
中途採用のマイク・ディロンが例の鉄琴(ヴィブラフォン)専任奏者となり、生き生きと撥を振るっている。我が主役! と言わんばかりに。しかも今まで以上に本職のパーカッションの音も冴えまくっている。
一方、主役のスケリックのサックスは……思ったより抑えている印象。管楽器は音がド派手だけ、さすがに鳴れば一発で耳を惹くようになっている。もちろん、ピアノやシンセなどの他楽器導入も今に始まったことではない。
だが、いつもと触感が違う。やはり月日が音楽性を変えたのか?
彼らは今まで、割と好き勝手に音を出していたように思える、特にサックスの男が。そのことにより、このバンドはジャムバンドとして扱われるようになった。
ジャムが〝好き勝手〟とは言わないが、曲の全体像を考えて創る音楽ではない。
そこへきて、本作で〝考えて鳴らす〟ようになった。ココはこう鳴らした方がかっけーんじゃね? とか、ソコはコレとこう絡ませるとアレが引き立つよな、とか。
元々はセッションワークで身を立てていた者どもの集まり。楽曲至上主義になるのはお手の物だ。
実力者が真正面からバンドという共同体に挑んだだけあって、本作は今までのようなおちゃらけた空気が一切ない。その分、凄腕同士の醸し出す緊張感が堪らない。
そこで思い知らされたのが『チェンバレンとブラッド・ハウザー(Ba)あっての、主役のスケリックなのだな』ということ。
M-09のようなライヴさながらのド迫力ビートを叩き出せるかと思えば、M-06のような人力ドラムンベースもスネアの音の粒を揃えて叩き切れる実力のチェンバレン。
どんな曲調にもスマートに対応し、さまざまな彩のグルーヴを生み出せるハウザー。
この二人がしっかりしているからこそ、本作でディロンもはっちゃけられたし、今までスケリックも好き勝手に演れたのだろう。
〝フリーフォームなジャムバンド〟という方向性は後退したが、実力者が曲のアンサンブルをきっちり練って創っただけあって、非常に聴き応えのあるアルバムとなった。
焦点を絞ることなく、今までのキャラに頼ることなく、自我を押し切れた稀有な傑作。
M-01 Hojo
M-02 Panang
M-03 Cloudburst
M-04 Hot Blast Of Concept
M-05 Sisa Boto
M-06 Persephone Under Mars
M-07 We Are New People
M-08 Toad Garden
M-09 Punk Rock Guilt
M-10 Nasty Gnostic
M-11 Dorothy
M-12 Open The Door Of Peace
M-08では元レーベルオーナーであり、彼らだけでなくさまざまな有名アーティストに利用されているStudio Lithoのオーナーでもあるストーン・ゴッサード(PEARL JAM)がシンセでゲスト参加している。この人は本当に友達思いな良い人だ……。
2012年2月8日水曜日
SAO PAULO UNDERGROUND 「Sauna: Um,Dois,Tres」
居住地をブラジルはサンパウロに変えたシカゴジャズシーンの顔役、ロブ・マズレク大将が、太鼓叩きのマウリーシオ・タカラと組んだ2006年初作品。
レーベルはシカゴのAesthetics(音量注意)。
クレジットには古馴染みのジョシュ・エイブラム(TOWN AND COUNTRY、THE ROOTSなど)やチャド・テイラー(CHICAGO UNDERGROUND系)の名も見られるが、ほとんど現地のブラジリアンミュージシャンで固めている。
いや、〝固めている〟という表現はこのプロジェクトを語る上で適切ではない。クレジットにおけるテイラーのパートが〝Short Drum Sample〟な点で何となく察して欲しい。
何しろ、ゲストプレイヤーなど音のパーツでしかないのだから!
卓! 加工! エディット! ミックス! オーヴァーダブ!
大将はご親切にもタイトル曲のM-01でさっそく、このアルバムのあり方を示している。ヘッドフォンをご用意を。
サウンドチェックのような声から、ぱらぱらとタカラのドラムと大将のコルネットが鳴り始める、左右のチャンネルで別々の音が。フリージャズどころの話ではない。ポリリズムにすらなっていない。二人の捻り出す〝音色ども〟が聴き手の脳内のあちこちで揺さぶりを掛け、混沌の坩堝へと落とし込む。
いいかい? 〝演奏〟じゃなくて〝音色〟だよ、と。
それがようやく霧散し、全ての音が止んだ後……一発で誰が吹いているか分かるコルネットが響き、ラテンの肉感的なビートがそれを後押しするM-02が弾けた瞬間、聴き手毎の本作における評価が決まると思う。
ただしこの曲は二層構造で、中間部に編集の賜物であるドローンノイズを噛ませてある。そこから再び肉感的なビートとコルネットがフェイドインで戻って来て締める、まるで楽団が町内一周パレードしたような素敵曲! と思える方は、おそらく本作を気に入っていただける方なのではなかろうか。
以後、アンサンブルでは味わえないテクスチャの妙を存分に堪能出来る。
ビート感が明らかにラテン風味なので、CHICAGO UNDERGROUND系とはきちんと差別化が計れているし、エディット感はこちらの方が強いくらいだ。
マズレク大将がジャズを多角的に視ているコトが分かる秀作。
ただし! 次はエグいよ。本作が洗練されている、と言いたくなるくらいね。
M-01 Sauna: Um, Dios, Tres
M-02 Pombaral
M-03 The Realm Of The Ripper
M-04 Olhosss...
M-05 Afrihouse
M-06 Black Liquor
M-07 Balao De Gas
M-08 Numa Grana
M-09 O Armarinho (Bonus Track For Japan)
M-10 FSY (Bonus Track For Japan)
日本盤は、ボートラのM-09が本編であるM-07の終いから続くへんてこな声ネタループを引き継いで大将の寂しげなコルネットが乗る連動性のある曲なので、ちょっとしたお徳盤。ないよりあった方が良い程度だけど、筆者はこちらを薦める。
M-10もアレだしね……。
2012年2月6日月曜日
HINT 「Portacabin Fever」
英国はサセックス出身のブレイクビーツのび太くん、ジョナサン・ジェイムズによる2003年発表の初アルバム。
レーベルはブリストルのHombre Recordingsと、大手インディーズNinja Tuneの連名。本作がHomble最後のアルバムリリースとあって、いろいろ事情があった模様。
それについて邪推から紐解かれる結論を述べさせていただけば、「本作での音楽的発言権はNinjaが上」ということ。それはもう、圧倒的なくらいに。
本作はそのくらいNinja Tuneのカラーが強い。
当ブログで頻繁に紹介されるNinjaのイメージは〝ジャジーなブレイクビーツレーベル〟かも知れない。だが本来は、まったりと地味に進行するトリップホップ(嘲笑)がレーベル黎明期の屋台骨を支えていたことを忘れてはならない。
その代表格であるBONOBOと交流のある彼。ならば音世界は決まったようなものかも知れない、幸か不幸か。
ただ、同じ音世界だからと一緒くたにするのは良くない。何せ創っている者が違うのだから、HINTなりの特色も淡く出る。
まず、本作でジェイムズは自らギターとベースとキーボードを弾いており、生音混合のインストブレイクビーツ作品であること。
叙情的なメロディを立て、分かりやすく丁寧にトラックを紡いでいること。
各トラック自体にそれほど統一した音楽的主張はないものの、静かに調べられたピアノにKID KOALAばりの温いスクラッチが絡むM-03から、イントロからシネオケを彷彿させどきりとするM-06を経て、数多くの生音色の上モノを破綻も嫌味もなくさらりと織り込むアルバムの総決算的M-11まで、借り物では終わらない感性の持ち主だと分かる優良トラックが粒揃いなこと。
まだビートパターンにやや未熟さを残しているが、まだ初作品だ。個性だって続けていけば後から付いてくる。キラーチューンはこの音楽性でさほど必要ない。
温かい目で見守ろう。
こののび太は出来るのび太だ。やれるのび太なんだぞ、ジョナサン!
M-01 Actory
M-02 The Look Up
M-03 Words To That Effect
M-04 Why The Top Ten Sucks In 2002
M-05 You Little Trooper
M-06 Re:percussions
M-07 Quite Spectacular
M-08 Plucker
M-09 Shout Of The Blue
M-10 Count Your Blessings
M-11 Air To The Sky
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