2011年12月30日金曜日

ADEM 「Love And Other Planets」


毎度お馴染みFRIDGEのベーシスト、アーデム・イルハンのソロプロジェクト、2006年発表の二枚目。

いつも通りミキサーには同僚のキエラン・ヘブデン(イルハンとの連名)。レーベルはロンドンの大手インディーズ、Domino Records。レコーディングは簡素にイルハン家の倉庫、と普段通りの環境でリラックスして創られた作品。
――かと思えばちょっとだけ違う。あくまでちょっとだけ。

その〝ちょっとだけ〟を端的に言えば、〝いつもより凝っている〟。

本作は〝宇宙〟に関して語られたコンセプトアルバムみたいなものだ。
筆者はあまり歌詞には興味がないのでその辺は端折るとして、歌詞を伝えるべく歌を中心に据えた創りなのに、日本盤にすら(対訳どころか)歌詞カードが封入されていないのは如何なものかと。二倍以上の金を払ってわざわざ日本盤を買う必要があるのかと。
幸い、ADEMのHPへ飛べば全曲、歌詞が掲載されているので、興味があれば必読。

さて、問題は筆者が興味のある〝いつもより凝っている〟部分。
M-03は歌詞をAからZまで、Xをあえて除いて縦に並べ、単語を当て込んで意味のある歌詞にする手間の掛かりよう。それどころかコーラス代わりにAからXを除いたZまで並んだ単語の初音をサンプラーで取り込んでディレイさせ、イルハンの発声に併せて添える凝りよう。
それだけで筆者には鳥肌モノなのに、ハイライトは違う場所に配置されている。
M-05は通話不良を起こしたかのようなヴァイオリンが奥で鳴る一方、素朴なリードオルガンの音に導かれ、イルハンが情感たっぷりに歌い上げる名曲。ヴァイオリンが通話不良から復帰し、歌メロに添い遂げるサビは甘美の一言。
その他、アコギだけに頼らない豊富な音使いで感傷的にアルバムを進めていく。儚さはあるが暗さはない、ゆったりとしたトーンで。
その中でも、M-02、M-06、M-10で輪郭のはっきりしたビートを提供してくれるアレックス・トーマスの存在が光る。彼のお陰で〝ゆったり〟だけでなく小気味良さも生まれ、アルバムがより芳醇なモノとなった。(蛇足ながら彼は何とデスメタル上がりのドラマーで、現在はスクプなトムくんと行動を共にしている奇特なユニークな経歴の持ち主だ)

最後に重要なコトを書くが、イルハンの歌唱が朴訥な雰囲気を残しつつも表現力が向上している点を見逃してはならない。歌という至高の音色を十分生かし切れている。
歌モノはこうでなくちゃね。

M-01 Warning Call
M-02 Something's Going To Come
M-03 X Is For Kisses
M-04 Launch Yourself
M-05 Love And Other Planets
M-06 Crashlander
M-07 Sea Of Tranquillity
M-08 You And Moon
M-09 Last Transmission From The Lost Mission
M-10 These Lights Are Meaningful
M-11 Spirals
M-12 Human Beings Gather 'Round


2011年12月28日水曜日

THE CHICAGO UNDERGROUND TRIO 「Flamethrower」


当ブログではすっかりお馴染み(だよね?)のジャズ大将、ロブ・マズレクによる変則プロジェクト、2000年作品。前回『曲者』と書いたトリオ編成では二枚目。
レーベルはいつものトコ……ではなく、地元シカゴで創業1953年よりの老舗ジャズレーベルDelmark Records

さあ、注目すべき点はメンバーの数。ジャケをご覧あれ。
リーダーのマズレク(コルネット)。大将ですから! 彼が居ないと始まらない。
DUOでも行動を共にするチャド・テイラー(ドラム)。ほぼ大将の相方状態。
BROKEBACKでも活躍するノエル・クーパースミス(ベース)。赤シャツ。
現TORTOISEで大将のプロジェクト常連であるジェフ・パーカー(ギター)。黒ぶちメガネ。
……あれ? トリオだ、よ、ね?

そこで大将の詭弁が始まる。
「同時に四人鳴ってませんからー! だからトリオなの! 一粒で何度も美味しいの!」
テイラーのビートにクーパースミスが併せ、大将が乗っている時はパーカーはミュート。そこへパーカーが割り入った時は大将がミュートするか、クーパースミスかテイラーが引いて大将とパーカー、主音同士の鍔迫り合いを傍観するか。
これにより、トリオだから三人という既成概念をぶち壊し、制約を課すことによって曲単位でどう動くのか、抜き差しならぬ緊張感を醸し出す目論見だったのであろう。
確かにその効果はある。鳴っている音を脳内で把握しながら「あ、変わった。また変わった」と聴くのも楽しいモンだ。

でも頭使って音楽聴くの、疲れるじゃない。

だからいつも、そんなマズレク大将の画策した小細工をハナから無視して、筆者はだらーっと本作を聴いている。
Delmarkだからか、いつもよりジャズっぽさが強めだと思う。そんな中、パーカーが突如フリーキーなギターフレーズを織り込んだり、大将がオーヴァーダブでコルネット三重奏を演じるなど聴き逃せないツボも。

まあ、大将作品は相変わらず、大将ならではの気持ち良い音をくれるんです。

M-01 Quail
M-02 Fahrenheit 451
M-03 Warm Marsh
M-04 Antiquity
M-05 Flamethrower
M-06 Woman In Motion
M-07 Triceptikon
M-08 A Lesson Earned
M-09 Arcweld
M-10 Elroy
M-11 Number 19
M-12 504
M-13 The Tungflec Treaty
M-14 The World Has Changed
M-15 Elray


2011年12月26日月曜日

PYRAMIDS 「Pyramids」


後にレーベルオーナーの妻が加入する変態系ハードコアバンドの初作品は、リミックスアルバム(Disk-2)付きのお得仕様。2008年作。当時は四人組。
当ブログで筆者が意図せずちょぼちょぼと名前の出る、アーロン・ターナー(元ISIS)運営のHydra Head Recordsより。

もう、はっきり書かせていただきますとね、こんなあざとくて、自己陶酔的で、薄汚いアート志向の透けて見えるバンドもそうそう居ない。
音楽を演る上でそれらの要素はギミック、ナルシスティック、アーティスティックと、必要悪の存在として大きく横たわっているので、ケチをつけてもどうしようもない。
ただねえ……アルバム全体に漂う「コレが芸術ですっ(キリッ」と言わんばかりの空気、どうにかならんモンかと。
コレらが鼻につくタイプの聴き手には、全く受け付けないバンドだろう。

だが彼ら、各音色とテクスチャの意図が清々しいまでに明快である。
具体例を用いて音世界を説明すれば、「ケヴィン・シールズが加入したブラックメタルバンドをブライアン・ウィルソンがプロデュースしている」。コレで事足りる。
もう少し掘り下げれば、「高速ベタ踏みキックの周囲に、メランコリックなギターノイズを遠巻きに侍らせ、アヘった、デスった、フェミった各種歌声を頭上から降らせる」サウンド。
もうこの時点で「ぼくしかしらないひみつのかっこいいばんど」臭に息が詰まりそうだが、実際コレら滅茶苦茶な音楽性をミックスし、きちっと〝作品〟として成り立たせてみろ、と言われても凡百のミュージシャンには無理だ。
この微妙な匙加減を知り、堂々と演り切っているその類稀なる胆力? 爆発力? いや、構成力? いやいや企画力? を評価すべきかと。
しかもDisk-2のM-03で、ジャスティン・ブロードリックの手により、彼らの「感傷的で耽美的な風を吹かせる似非アート主義者」という化けの皮本質が剥き出しにされているのである。たった一枚目にして。(そのくらいこのリミックスは秀逸だ)

何だかこき下ろしているんだか絶賛しているんだか分からないかんそうぶんになってしまったが、そのくらい個性の強いバンド。
ただし、一枚目にして底割れするお里の知れた連中なので、今後どう化けるかが鍵。筆者はにやにやしながら今後、その動向をヲチろうと思う。
愛い奴らよの。

Disk-1
M-01 Sleds
M-02 Igloo
M-03 The Echo Of Something Lovely
M-04 End Resolve
M-05 Hellmonk
M-06 This House Is Like Any Other World
M-07 Hillary
M-08 Ghost
M-09 Monks
M-10 1,2,3
Disk-2
M-01 The Echo Of Something Lovely (Toby Driver/Ted Parsons/Colin Marston)
M-02 1,2,3 (James Plotkin)
M-03 The Echo Of Something Lovely (Jesu)
M-04 Sleds (loveliescrushing)
M-05 Ghost (Birchville Cat Motel)
M-06 Sleds (Blut Aus Nord)
M-07 The Echo Of Something Lovely (James Plotkin)
M-08 Sleds (Ted Scarlett)
M-09 The Echo Of Something Lovely (loveliescrushing)


2011年12月24日土曜日

ひゃっく麻衣! おンどれーッ、死の舞いを踊れーッ!


あーまー、人知れず、かんそうだぶん書いた音源が百枚に到達した訳でしてね、だァりン。せっかくの到達地点っすから、こんなクソムダな文字の羅列をしぱしぱ打っ棄ってる訳ですがね。千二百パーセント意味のナイお知らせと、書く前から決めテル訳だからして。
と申しますかァ、日付設定から既にインチキ臭いスメルがもわわわ~~~んってするデス。イカサマデス、ごすりんさまァ。

ま、元から誰にも相手にされてへん、ネット世界の隅っこでムジークラヴをうわごとのように呟いている〝カスっぽい奴が書いちょるボロボロブログ〟、略してボログなんでー、インチキ許される!
もちろん過去文をこちょこちょ書き直しても、きっとバレテナーイ。しょっちゅう殺ってるのにィ! 雑ゥな文字列、トリートメントしてるのにィ。ついでに事実誤認とか意味不明表現とか説明不足とかっ、書き加えタリ正しタリ消しタリしてるのにィ。
ずるい! ずっるゥ~~い! そうやって都合の悪い事柄は闇へ病みへと消されてイクんデスね? ためになるなあ。
きっと貴方がグルグルてんてーでブブって本ボログに辿り着いた瞬間の文が、今とちょっぴし違ってるかも知れまてんよ?
べーつに大意が変わってなきゃ、細部なんてどーでもWiiのが閲覧者の真意なんですけどねい。そこをでゅるでゅるしてーのがヘタレ文コキって訳っす。
しこしこしたいんす!
つか貴方に! くりくりして欲しいんす! 何を、ってもういけず!

と言う訳で今年もそろそろボーナストラック時期ですが、まだもうちょっとだけ続くんじゃよ。このボログも書き納めではないんじゃよ。
よろしくお付き合いのほどを。

ねえねえ奥様ァ、最近の日本盤用ボートラって、わざわざ収める必要のないカストラックばっかじゃありませェん?



2011年12月16日金曜日

BOARDS OF CANADA 「Geogaddi」


2002年作の二枚目。

今更説明する必要があるのだろうか。
本来なら第二回くらいに書くべき、音楽シーンにとっても筆者にとっても多大な影響を与えた超名盤。だが、数多の音楽スキーな方々が本作について起こされている文章の上へ、筆者が新たに書き添える言葉など、もはやないのではなかろうか。
でもほら……今回で当ブログで紹介した音源、百枚目だしさ。
記念かきこ。

曲数が異常に多いのはインタールードがこまめに配置されているため。だから一曲一曲を抜き出して聴くより、アルバム全体の流れを味わうべきアルバム。さ、たゆたう流れに身を委ねようか。
そうすると、M-23の人間の耳では聴き取れない〝無音〟でさえ美味しい――なんて言っては『出たよBOC厨うぜえ。電波きめえ』とか罵られるのが落ちだが、ボートラM-24のお陰で解釈が増えたのは嬉しい。
M-24自体は2分ちょいの小曲だが、あるとないとでは〝いつの間にか止まっているプレイヤー〟と〝きっちり鳴り納めて止まるプレイヤー〟では意味合いが違ってくる。

つくづくM-23を考究して『猫になれたら本作がもっと気持ち良いんだろうなあ』と思う筆者を、我ながらきもいと思う。

ゆったりと進んでいるようで、割と拍の取り方が忙しないトラックもあったりする。それでもそう感じさせない、アルバム全体を支配する穏やかさは何なんだ。
間曲の成果か、被せればたちまち音がタイムスリップする卓フィルターの効果か、BOCはかくあるべきだからコトを難しくするなと頭が思考停止した結果か。
ならもう、サイケデリックとかシューゲイザーとかそんな枕言葉捨てさせろ! 筆者はコレ聴いてあんま深いコト考えずだらーっと生きたいよ。

M-01 Ready Lets Go
M-02 Music Is Math
M-03 Beware The Friendly Stranger
M-04 Gyroscope
M-05 Dandelion
M-06 Sunshine Recorder
M-07 In The Annexe
M-08 Julie And Candy
M-09 The Smallest Weird Number
M-10 1969
M-11 Energy Warning
M-12 The Beach At Redpoint
M-13 Opening The Mouth
M-14 Alpha And Omega
M-15 I Saw Drones
M-16 The Devil Is In The Details
M-17 A Is To B As B Is To C
M-18 Over The Horizon Radar
M-19 Dawn Chorus
M-20 Diving Station
M-21 You Could Feel The Sky
M-22 Corsair
M-23 Magic Window
M-24 From One Source All Things Depend (Bonus Track For Japan)


2011年12月14日水曜日

APHEX TWIN 「Selected Ambient Works Volume II」


遂に出ましたAPHEX TWINことリチャード・デイヴィッド・ジェイムズによる世紀の奇盤、1994年作品の二枚組。通称「SAW2」(スプラッタ映画じゃないよ)

まずDisk-2のM-01以外、本来は曲名がない。後付けでタイトルが付けられたのだが、付いてどうなる音楽でもない。全くもって蛇足だ。
曲名がトラック時間という前回のグロコミ同様、彼らにとって言葉などどうでも良いと言わんばかりだ。こんなトコがまさしくニカ人種。

だが音世界は百八十度違う。

「76:14」もAPHEXの前作「SAW 85-92」も一般的な音楽の体を成していた。成していたからこそ誰もが賞賛し、時代を代表する名盤と評された。
だが本作の逸脱ぶりはどうよ、と。
時にもわーんと、時にぼそぼそと鳴るシンセ。ほぼノンビート、ほぼ単音で、メロディを欲しがらずに、陽炎の如く揺らぎ続ける。
その音色使いは冷ややかだったり、たまに優しかったり、不気味だったり、意外にも神々しかったりと落ち着きを見せない。聴き手がリラックスを求めて再生するアンビエント音楽だというのに、聴き進めていくうちに駆られるのは、不安感。
この要因を不穏な音色使いに向けるのは短絡だ。本質はもっと広い。

漠然と見知らぬ場所へと放り出される感覚、と語るべきか。

本作を聴きながらぼけーっとする貴方は今、独りでぽつーんと立っている。
どこで? 月の裏側かも知れない。赤茶けた大地が広がる荒野かも知れない。誰も見えないのに気配だけする薄暗い大部屋かも知れない。メインストリートなのに生命反応のしない石造りの街並みなのかも知れない。それどころか時空の狭間かも知れない。
その場所がどこか付き止める前に、貴方は別のどこかへ飛ばされる。トラック毎に。
聴く人によってその孤独な地は変わる。人のイマジネイションは無限だから。トラックに必要以上の情報が籠められていないから。創り手が、聴き手それぞれが抱く解釈の正否を定めていないから。

聴いて感じて安らぎを得るのもアンビエント。それがパブリックイメージ。
そこへ、聴いて感じて意識をどこかへもって行かれるのもアンビエント、だと提唱するリチャD。本作の真意など語ってくれなそうな人だが、そう勝手に解釈して聴けば本作の凄さが少なからず理解出来るはずだ。

Disk-1
M-01 (Cliffs)
M-02 (Radiator)
M-03 (Rhubarb)
M-04 (Hankie) (UK Only)
M-05 (Grass)
M-06 (Mold)
M-07 (Ropes)
M-08 (Circles)
M-09 (Weathered Stone)
M-10 (Tree)
M-11 (Domino)
M-12 (Steel Plate)
Disk-2
M-01 Blue Calx
M-02 (Parralell Strips)
M-03 (Shiny Metal Rods)
M-04 (Grey Stripe)
M-05 (Z Twig)
M-06 (Window Sill)
M-07 (Hexagon)
M-08 (Lichen)
M-09 (Spots)
M-10 (Tassels)
M-11 (White Blur 2)
M-12 (Match Sticks)

本作にDisk-1・M-04があるのはWarp盤、つまりUK盤のみ。
加えて三枚組LP(とカセット!)にはDisk-2・M-06とM-07の間に〝Stone In Focus〟なる10分越えのトラックが追加収録されている。


2011年12月12日月曜日

GLOBAL COMMUNICATION 「76:14」


テクノクリエイター、マーク・プリチャードとトム・ミドルトンによる、1994年作。アンビエントテクノの名盤として名高い。

ミドルトンがあのリチャDとの共作経験もあるのは周知の事実。その点を踏まえると、本作のこの発表年はとても意味深長に感じる。
その片側は次回に譲るとして、さてグロコミ。本作は彼ら唯一のオリジナル作品である。
元々が現場――つまりDJ気質の人々で、自らクリエイトせずとも周囲に良質な音楽がごろごろ転がっているのなら、それに敬意を払って使わせていただきましょうよ、というのが彼らの活動本意だろう。
そういった人々はオリジナルアルバムを創ると大抵、如何にもし難い出来となって聴き手に深い嘆息をさせる。
聴く頭と創る頭は全く違うことを断言してくれる。

ですがコレですよ、グロコミは!

基本はノンビート。音色使いの古めかしさは仕方がない。そんな些細な部分など、時代性と思って許容してもらわないと先に進めない。アルバム/曲タイトルがラン/トラックタイムという抽象的部分もニカならではなのだから、気にしないで欲しい。
気にするべき音楽ではないのだから。
浮遊感のあるシンセの長音は、まごうことなく現世の音。この世に息吹きする生命の音。それを象徴しているのが印象深い主音と、それを盛り立てる背景音の美しさ。それを丁寧に編み込むテクスチャの妙。
ベタな法則ではあるが、これこそが音楽の基本。こういった作品をしれっと出せるのも、実力者たる所以である。
この普遍的な創りならば、『世界規模の伝達。音の媒体を通して伝えられた、感動的な表現』(M-06より)と言い切れる力を有している。(声の響きが宗教めいて聴こえる点は気にしない)

最後に、アンビエントとは〝聴いて感じる〟音楽だと思っている。
終わりそうで終わらず、続きそうかと思えば終わる兆しをみせ、でもやっぱり続いて、やがて消え行くように締めるM-10が最たるモノだ。
だから(全ての音楽に対しても言えるコトだが)クソ真面目に正座して聴けなどとは言わない。BGMとして聴き流しても一向に構わないと思う。
ただ、聴き続けて鬱陶しく感じるならアンビエント音楽として失格だし、眠くなるのならそれはリラックスしている証拠だから良しとすべき。
本作を聴いて前者は信じ難いし、後者なら……それはカラダが欲しがってる証拠だよ、うへへへ……。

M-01 4:02
M-02 14:31
M-03 9:25
M-04 9:39
M-05 7:39
M-06 0:54
M-07 8:07
M-08 5:23
M-09 4:14
M-10 12:18

M-07はTANGERINE DREAM〝Love On A Real Train〟のカヴァー。二倍に増幅されている分、リミックスに近い改変ぶり。


2011年12月10日土曜日

AMEN ANDREWS vs. SPAC HAND LUKE 「Amen Andrews Vs. Spac Hand Luke」


謎のソロユニット、AMEN ANDREWS(以下、AA)とSPAC HAND LUKE(以下、SHL)のスプリット盤。リチャD主宰のRephlex Recordsより、2006年に発表された。
どちらも(俗に言う)コーンウォール一派の番頭格、ルーク・ヴァイバートの変名なんだけど。

名義別音源の振り分けは以下の曲目通り。過去リリースしたEPとの被りもほぼなしの準新作。他人とスプリットを切っている訳ではないので、気にせずごちゃまぜ。
ただしAA名義は(PLUGという専門名義があるにも関わらず)ドラムンベースが基本。SHL名義では(こーゆーのあるらしいしー、俺も演ろっかなー? と、綿棒で耳掃除をしながら思い立ったかのような俺節)ダブステップが展開されている。
共通する点は音色のチープさ。あと、声ネタをいつも以上に多用しているトコ。しかも他で使ったネタを再利用する部分も散見されるいい加減さ。

正にルーク・ヴァイバートの、安っぽくて嘘臭くてテキトーで節操のない部分が浮き彫りにされたかのようなアルバム。
何だかボロカスに書いているみたいだが、「ただし良い意味で」の言葉が必ず語尾に必須状態となる点、それこそが彼の凄いところであって。
M-01の、バスケのタンクトップとダボパンを着て金メッキのブリンブリンを下げた奴がダブステップを始めたかのような珍奇なトラックを組めるのも、ルーク先生だけ!

まあ何だかんだでルークらしいアルバム。
書き遅れたが、結構はちゃめちゃな創り(〝結構〟が付くところに、ルークの計算高さが見て取れる)なので、レーベルオーナーによる変名のコンピ盤「Caustic Window Compilation」との比較もアリ。リチャとルークの彩の違いがはっきりと分かるはず。

M-01 London (SHL)
M-02 1 Shot Killer Pussy (AA)
M-03 Like A Machine (SHL)
M-04 Screwface (AA)
M-05 Grime II Dark (SHL)
M-06 Multiple Stab Wounds (AA)
M-07 Grave (SHL)
M-08 Intelligent (AA)
M-09 Barrave (AA)
M-10 Amen Andrews (AA)
M-11 Junglism (AA)
M-12 Play (SHL)
M-13 Murder (AA)


2011年12月4日日曜日

BLACK FRAMES 「Solar Allergy」


CRITTERS BUGGINのスケリック(Sax)とブラッド・ハウザー(Ba)と4th「Bumpa」から参加したマイク・ディロン(Percussion)が、セッションワークで多忙のマット・チェンバレンを放置し、他のメンバーを迎えて創った2002年作品。
日本盤以外は自主流通盤。唯一の音源。チェンバレンの代わりが、これまた数多のアルバムで叩いているセッションドラマーのアール・ハーヴィン――以上を踏まえて考えれば、本作の立ち位置が透けて見えるはずだ。

さて本作はいつもテキトーに演っているようにしか思えない彼らが、珍しく明確なコンセプトを持って録ったアルバムである。
その内容を知って、筆者の眉間に皺が寄った。

「TORTOISEっぽいコトを俺らなりに演ってみよう!」

……げんなりするところを踏みとどまって、ふと思考。
黙ってパクりインスパイアを受けずに、自ら公言してしまうなんて可愛いじゃないですか。ちゃんとTORTOISE側に敬意を示している訳だから。
で、そのパクりインスパイア具合はと言えば……ハウザー以外のメンバーがマリンバやらヴィブラフォンを用いている――この時点でああなるほどTORTOISEだな、と。
だがはっきり言って、亀さんとの相似点はコレだけ。使い方を真似ているのではなく、あまりに象徴的な音ゆえ、こうでしか当てはめようがない楽器なのだ。

こうなると彼らの独壇場。
音の濃淡をくっきり描き分けられるスケリックのサックス。決して奥に引っ込まないハウザーのベース。有効な装飾音をくれるディロンのパーカッション。チェンバレンとは違う、黒人ならではのグルーヴ感を持つハーヴィンのドラム。
――と、木琴・鉄琴。
コレを使っただけでポストロックっぽく聴こえるって、どれだけエゴの強い楽器だよ。

本体から一音色増えて得した気分になれれば、本作はきっと楽しいはず。
本作が後の彼らの活動に少なからず影響を与えている事実を結果論で悟れば、きっと聴き逃せないはず。
なのに日本のみ、正規流通ですかい……。

M-01 25 Billion Stars Per Human
M-02 French Farse
M-03 Harfta
M-04 Sonic Vapor
M-05 Mullet Cut
M-06 Turbulence
M-07 White Envelopes
M-08 Gophers
M-09 Lucky Dog

どーでもいい話になるけど、このジャケットの黒人男性、ドラムのハーヴィンかと思いきや、LaMar Seymourなる人らしいよ。
誰? つか何で?


2011年12月2日金曜日

JIM O'ROURKE 「Bad Timing」


シカゴの音響職人による、単独名義としては八作目のアルバム。1997年発表。
ただし多作家のため、何を以ってしてオリジナルアルバムか、という定義が曖昧ゆえにこの数の信憑性も疑わしい。
レーベルはDrag City。ほんのちょっと、あのジョン・マッケンタイアが絡んでいる。今となっては見られない組み合わせ。

筆者によるオルークのイメージは『神経質な音楽を創る人』なのだが、本作はそんな偏見を見事に打ち破ってくれる。
凄くメロディアスで心地良いのだ。
だが彼も然る者。安直にメロディを立てただけの聴き捨てポップ曲などらない。
在籍していたGASTR DEL SOLを思わせるフォークっぽいアコギの調べが、時にはカントリー風になったり、ピアノやオルガンやスティールギターを絡めたブルーズ風になったりと、何の予兆もない上に曲の流れを乱さず空気を換え、十分越えの長尺曲を顔を凪ぐそよ風のように乗り切ってしまうこの鮮やかな構成力。
この人にとってジャンルなど意味を成さないのだな、と悟らせてくれる。

その一方でM-03みたいなアコギの静かな爪弾きと愛らしい電子音の絡みは、反復音より齎される快楽の力を鼓膜に染み込ませるように教えてくれる。
しかもこのトラック、その後ろでいつの間にかひっそりスティールギターが鳴り出し、それに乗じて不穏な音色を奏でるヴァイオリンがだんだんと侵食を始め、完全に曲を支配したかに思えた刹那……ぷつっと途切れ、M-04に移行。
そのM-04はM-03の終いの流れを引き継ぎ、グリッチを孕む不穏な幕開け。それをすぱっと響き良く掻き鳴らされるアコギが払拭し、今度は唐突に嘘臭いくらい爽やかな管楽器隊とバッタモン臭いハワイアン風ギターが見送って幕を閉じるこのわざとらしい連動性。
ああ、この人はやっぱりこんな不安定な創り手だよな、と再確認させてくれる。

一聴、なにげない創りでも、油断出来ないのがシカゴの音響技師たち。気付けば桃源郷。気付かなくても十分ハッピー。
奥が深いわ。

M-01 There's Hell In Hello But More In Goodbye
M-02 94 The Long Way
M-03 Bad Timing
M-04 Happy Trails


2011年11月30日水曜日

PLAID 「Rest Proof Clockwork」


日本でもお馴染みになるべきだった、アンディとエドのなかよしコンビ、1999年発表の三枚目。

前作では三名の歌い手をゲストに迎えたが、今回は〝例外〟除いて全てインスト。
M-01から彼ららしい楽しげなトラックが展開されるも、いつもとは質感がちと違う。
もったいぶらずとも答えは簡単。M-01、M-03、M-10でターンテーブリストがゲスト参加している通り、意図してヒップホップに接近したトラックもある。
もちろん〝もある〟というだけで、アルバム全体をヒップホップ色で塗り込めてしまうほど、彼らは新たな音の軸を欲していない。

あの広がりのある、メロディアスだけどどこか奇妙な音色使いの上モノさえあれば、PLAID以外の何者でもないトラックが出来上がるのだから。
聞こえは悪いが正直、毎回金太郎飴していただいても構わないくらいだ。

ただ、ちょっと……今回はPLAID節が僅かに弱いかな、と。
Warp二作目だし、いろいろ試してみようかな、とか。音色使いとか、テクスチャーとか。だからヒップホップのフォーマットを取り入れてみたのかな、と。
もちろんその試みが失敗とは思わない。成功ではなくて、ほんのちょっぴり他作品と毛色が違うってだけだが。

こんな作品もアリだと思う。男は度胸! 何でも試してみるもんさ。
こんな模索を初期に出来るのも、余裕のある証拠。下手打ってボロカスに罵られて消えた奴や、頭打ち状態で変化を求めて総スカン食らった奴などいくらでも居る。
機を見て敏なPLAIDって凄い! と褒め称えようぜ、みんな。

M-01 Shackbu
M-02 Ralome
M-03 Little People
M-04 3 Recurring
M-05 Buddy
M-06 Dead Sea
M-07 Gel Lab
M-08 Tearisci
M-09 Dang Spot
M-10 Pino Pomo
M-11 Last Remembered Thing
M-12 Lambs Eye
M-13 New Bass Hippo
M-14 Churn Maiden
M-15 Air Locked

冒頭で〝例外〟と書き記した通り、今回も豪華な歌い手、いらしていまス。
M-15終了後、無音を挿んでGOLDFRAPPのアリソン姫様がお忍びでお越しくださいました。お忍びですので、トラック名などございません。
〝姫〟とか言ってみたけど、当時既に三十路越えてるんだよな。若作りすんじゃねえよ、ババァ! もっと頑張れよ!


2011年11月28日月曜日

NADJA 「When I See The Sun Always Shines On TV」


カナダのスラッジ夫婦による、2009年発表のカヴァーアルバム。
インナーもジャケのようなイラストで構成されている。この巧く二人の特徴を捉えたイラストレーターは、Klawfulことマット・スミス

NADJAは基本、インストバンド。全編歌入り作品は珍しい。カヴァーアルバムならではの、肩の力を抜いた、本編とは別枠としての楽しみ方を薦める。
とは言え彼らは多産家ゆえ、既に自分たちの音世界をほぼ確定させてしまっているアーティスト。出て来る音もNADJAとしか答えようのない音像になる。

白昼夢とも悪夢とも取れるドリーミーでざらついたギターと、嫌々漸進するかのような牛歩テンポ。足首には重い鉄球付きの足枷。今にも泣き出しそうな曇天。

M-02やM-03やM-06のようにアコースティックな曲も、彼らに掛かれば立派な陰鬱泥濘曲に早変わり。
アレの入っているアルバムから採られたM-05や、カナダのお笑い番組からのM-07は一見、ベイカーなりのジョークなのかと思いきや、至って(生)真面目にNADJAサウンドへと変換しているし。M-04を含めて、ベイカーがキッズの頃の思ひ出曲なのかなー、と想像してにやにや出来るのもカヴァーアルバムならでは。
また、M-01のように影響土壌を剥き出しで持って来られ、苦笑させられる一面もそう。

せっかくの歌モノだし、普段通りに徹しているし、曲も当たり前だがどこか聴き覚えもあるしで、コレをNADJA入門盤にする手もアリかと。

M-01 Only Shallow
M-02 Pea
M-03 No Cure For The Lonely
M-04 Dead Skin Mask
M-05 The Sun Always Shines On TV
M-06 Needle In The Hay
M-07 Long Dark Twenties
M-08 Faith


2011年11月26日土曜日

CRIPPLED BLACK PHOENIX 「The Resurrectionists & Night Raider」


暗黒音楽系太鼓叩きのジャスティン・グリーヴスが、MOGWAIのドミニク・アイチソンやソロシンガーのジョー・ヴォルクなどを統べた五人組+αの二枚目。
レーベルは前作に引き続き、ジェフ・バーロウ(PORTISHEAD)のInvada Records

いろいろややこしいリリース形態なので、きちんと整理してから。
まず2009年、先行して本作の選り抜き盤である「200 Tons Of Bad Luck」を発表。
同年、「The Resurrectionists」(以下、Res盤)と「Night Raider」(以下、NR盤)の二枚組で後日、豪華ボックス仕様として送り出されたのが本作。
それだけでは終わらない。
2011年にはRes盤四曲、NR盤三曲の未発表曲が追加されたアナログ限定ヴァージョンを別々に再々リリース。(しかも初回プレス200枚はRes盤がオレンジ、NR盤がレッドのカラーヴァイナル)
マニヤ泣かせな……。

前作のアコースティック風味な哀路線はやや後退。代わりに前進して来たのが、70年代に隆盛を極めたプログレのかほり。(技巧至上主義で変拍子多用するだけの音楽が〝プログレ〟だと思っている者、そこへ直れ!)
つまり古臭くて、ゆったりとした曲調で、時にドラマチックに、時に勇壮に、長尺の曲を厭わず、歌モノとしての効力を度外視し、曲単位ではなくアルバム全体で語る手法だ。
それにより、ヴォルクのヘタウマヴォーカルも主ではなく、曲の一部として輝くのみに留められた。それでも聴けば「めそめそしてんじゃねえよ!」とケツを蹴り上げたくなる悲哀の歌声は健在だ。

いや、それ以上に熱い声を、コンポーザーのグリーヴが導入してきた点に注目したい。
総勢二十名から成る、The CBP Brutes Choirの存在だ。

寡黙なベーシスト、アイチソン以外のバンドメンバーと関係者、その友人たちがこぞって参加した男臭いコーラス隊は曲の情感を高めるばかりか、聴き手の意気を高揚させる。
パブで酒をかっ食らいながら、ブラウン管のTVに映るおらが街のフットボールチームの試合中継を大盛り上がりで観戦している時のような。
いやいや、実際にスタジアムでタオルマフラーを広げて、一列でピッチへと入場する我が選手たちをチャントで勇気付け、試合開始を待ちわびる時のような。
そんな熱い音を、哀の旋律に被せるこの心意気はどうだ。しかもRes盤M-01、M-08、NR盤M-03と、ここぞの場面しか使わない出し惜しみっぷりはどうだ。
それだけではないぞ! と言わんばかりの多彩な楽器と、こぞって集まったゲストプレイヤーたちが奏でる音力を感じ取れるか。

咽び泣いているようで慟哭している、じっと堪えているようで拳を天高く突き立てている、静と動をざっくり切り取ったようで丁寧に描写している、凄く深みのあるアルバム。
じっくり、何度でも聴いて欲しい。きっと心の奥底から静かに湧き上がる、熱き血潮を感じ取れるはずだ。
うーん、厨二。

The Resurrectionists
M-01 Burnt Reynolds
M-02 Rise Up And Fight
M-03 Whissendine
M-04 Crossing The Bar
M-05 200 Tons Of Bad Luck
M-06 Please Do Not Stay Here
M-07 Song For The Loved
M-08 A Hymn For A Lost Soul
M-09 444
M-10 Littlestep
M-11 Human Nature Dictates The Downfall Of Humans
Night Raider
M-01 Time Of Ye Life
         /Born For Nothing
         /Paranoid Arm Of Narcoleptic Empire
M-02 Wendigo
M-03 Bat Stack
M-04 Along Where The Wind Blows
M-05 Onward Ever Downwards
M-06 A Lack Of Common Sense
M-07 Trust No One
M-08 I Am Free, Today I Perished

曲末尾の〝〟は「200 Tons Of Bad Luck」収録曲。なぜかタイトル曲にあたるRes盤M-05が含まれていない点は気にしない。
またRes盤の内袋の手書きタイトルが〝The Ressurectionists〟とスペルミスを犯している点も気にしない。



2011年11月24日木曜日

BROTHOMSTATES 「Claro」


フィンランド人、ラッシー・ニッコーの初作品。2001年作はいきなりWarpから!

本作を薦める以上、避けては通れない言葉がある。
「AUTECHREのフォロワー」
M-04のようなバッキバキでビシャンビシャンした音色を使ってしまうと、どうしてもあの辛辣な二人組の顔を想像してしまう。しかもアルバム後半になれば、今度はテクスチャー面でその色が濃くなってしまうのは致し方ないと言うか、何と言うか……。
もちろんフォロワーがどうしたと。

だが「静謐なビートと主音が寒々しさを演出する、荒涼とした電子音楽」と書けばそれほどAUTECHREの匂いがしない。不思議!

音色の織り込み方――つまりテクスチャーの方法論を変えれば、AUTECHREフォロワーから一歩踏み出せるはずなのだ。
世界一のテクノレーベル・Warpのディレクション力もあるだろうが、初アルバムでココまで堂々たる作品を創れる才があるのだから、そこら辺は克服可能と踏んだ。
M-08はクリックのようなひっそりとした味わいもあるし。M-03はCDが傷飛びを起こしたのかと思ったし。ぽつぽつキックとぴきぴき主音がスパイラル状に追い駆っこして、やがて疲れるM-10は地味ながらもかなり聴かせるし。
M-01みたいな奇妙な主音使いでアンビエントとは小癪な真似を。
全般的に、曲がある程度進んでから音色を増やしていく手段も凄くこなれている。

これだけ出来る子なのに、何で本作以降沈黙する!

やはり白日の下に晒してこそ表現。ハードディスクに溜め込むモンではない。
エレクトロニカは独りでやれるからこそ、がしがし量産すべき。誰かに似てるとか考えない。その似てる相手が思いつかないトラックを俺が組んでいる、と自負すれば自ずとストックが増えるはず。さすればいづれ自分の色とやらが見えてくる。
彼ならさしずめ……北欧の寒々しさを電子で表したような色になるかも。違っても、良質な音楽なら期待を裏切ってくれて嬉しい。

だからさあ、それを我々に聴かせてくださいよ、と! 金なら払うっ。

M-01 In
M-02 Brothomstates Ipxen
M-03 Kava
M-04 25101999
M-05 -
M-06 Mdrmx
M-07 Te Noch RP
M-08 Kivesq
M-09 Natin
M-10 Mr. Kitschock
M-11 Detektiv Plok
M-12 Viimo
M-13 Loose Fit (Bonus Track For Japan)


2011年11月22日火曜日

FREEFORM 「Human」


Warp Recordsでおなじみのデザイナー集団、The Desiners Republicに所属していたマット・パイクを兄に持つ、サイモン・パイクの六枚目。2002年作。
本作は言わずもがなのSkam Records産だが、自分の音源を出すためだけのプライヴェートレーベルも所有している。
その名も〝Freefarm〟……(脱力)。

はっきり言って訳の分からない、食えない人、というのが率直な感想。
ただし、実力は相当高い。
水滴の音や犬の鳴き声や口笛をサンプリングとして組み込んだり。毒々しくて可愛らしくて安っぽくて奇妙な音色を面白がって使ったり。東南アジア系の民族音楽ちっくな雰囲気を持つトラックを組む一方で、その民族楽器の音色を装飾音として、東南アジア色のないトラックに忍ばせたり。最強の音色である〝人の声〟をさまざまな部分で有効活用したり。M-14のように、こんな形でアルバムを締めくくったり。
こんな滅茶苦茶な要素を、平易な表現で平然と統合出来る時点で、それはもう。

どんな音色でも貪欲に取り込む姿勢はAMON TOBINを髣髴とさせるし、聴いてて楽しい気分にさせてくれる点はPLAIDを想起させるし、無頓着で飄々としたキャラはルーク・ヴァイバートと印象が重複する。
それなのに、これらアクの強い三者と似ても似つかぬ音楽性を持っているFREEFORMって何なの!? と、この先の文を放棄したくなっている筆者が居る。
それくらい掴めない人だ。もしかして超個性っ!?
でも自己顕示欲を全く感じないSkamレーベル。いつも通りひっそり売り出されてま。

理詰めではなく、己の感性に基づいてトラックを組み、好き勝手に音源を発表する。
――まるで自分のおもちゃ箱の中身を友人にお披露目しているかのような音楽を。
凄く羨ましい人だと思う。

M-01 Big Top
M-02 Crumble
M-03 Software Exaggeration
M-04 Human
M-05 Nylon
M-06 Stander
M-07 Mango
M-08 Rain
M-09 You Should Get Out More
M-10 Spoob
M-11 Ticataca
M-12 1 x Distant Babbling Brook
M-13 Rattle
M-14 Yum Yum


2011年11月20日日曜日

RED SNAPPER 「Making Bones」


Warp発、英国は倫敦の人力アブストラクトバンド、1998年作の二枚目。
〝トリップホップ〟は死語!

重さよりも抜けの良さや切れ味を重視したリチャード・サイアーのドラム。やはり重さよりも曲の操縦性を重視したアリ・フレンドのダブルベース。この二人のリズム隊を軸に、乾いたカッティングで地味に支えるデイヴィッド・エイヤーズのギターが絡む三頭体制。
そこへ必要に応じて、管楽器ならではの派手な音を響かせるバイロン・ウォーレンのトランペットや、ジャングル系ラッパーのMCデット(M-01、M-06、M-09)、中音域の伸びを能くする女性シンガーのアリソン・デイヴィッド(M-03、M-08)を徴集し、本作は成り立っている。

ジャズっぽいようでその実、雰囲気を持ち込んだのみに留まる点。当時全盛を誇っていたドラムンベースちっくなボトムラインで構成されている曲もある点。時期的にMASSIVE ATTACKなどのブリストル界隈がぶいぶい言わせていた点――ゆえに、流行りの音を人力で演っているコトだけに着目されがちだった。
なのに、十年以上経った今でも古さを感じさせず、十分どころか十二分に身体を揺らせる出来になっているこの耐久性!
もちろん個々のセンスの高さもある。演奏技術もある。基礎はばっちり。
そこへ一つのジャンルに固執しない柔軟性と〝人力でブレイクビーツを演る〟という強固なコンセプトが相反せず同居出来たからこそ、年月を経て風化せず聴ける仕掛けになっているのだろうか。
おそらく〝人力ドラムンベース〟のコンセプトで演り続けたら、ジャンルの衰退と共に消滅する運命にあったかも知れない。

ただ彼ら、三枚目を切った後、編集盤を置き土産に2003年を以って解散していたりする。ほら、何だかんだで消滅してるじゃない!
いやいや、ユニットの存続とアルバムの耐久性は別。今も演っているけど、昔の音は古臭くて歯が浮くアーティストだって居るじゃない?

あえて音楽的焦点をぼかすことで生まれる効用もある。
〝ブレイクビーツを人力で演る〟という共通のコンセプトを持ち、あえてヒップホップに固執することで現在もシーンに君臨している、フィラデルフィアのTHE ROOTSと比較しても面白いバンドだと思う。

M-01 The Sleepless
M-02 Crease
M-03 Image Of You
M-04 Bogeyman
M-05 The Tunnel
M-06 Like A Moving Truck
M-07 Spitalfields
M-08 Seeing Red
M-09 Suckerpunch
M-10 4 Dead Monks

その更に後、2008年にひっそり復活。2011年には久々の四枚目をドロップするなど、今でも十分現役で演れるコトを証明してくれた。
まだだ、まだ終わらんよ!


2011年11月18日金曜日

RIOW ARAI 「Rough Machine」


2004年作、六枚目。今回はいつもとはちょいと違うぞ! 

彼は二枚目から三枚目へ移行する際に一度、音創りのメソッドにモデルチェンジを施している。なのに別人の如く変貌しないところが、常にぶれないこの人らしくもあるのだが。
さて今回は筆者が思うに二度目のメソッド変更盤である。
ならさぞかし……と思いきや、表面上はいつも通りだったりするのも、常にぶれないこの人らしくもあるのだが。
上モノはワンショットメイン。装飾音の鳴る位置を散らしまくる。ブロークンでアタックの強いビート。のっけがイントロで、締めがアンビエントなアウトロ。

ほんとに変わったの?
上記の列挙部分はあくまでトラックの枝葉。問題は根幹であり、本質。

具体的に言えば、以前は『どこのジャンルに押し込めて良いか分からないから、とりあえずクラブミュージックにしとけ』みたいな曖昧な位置取りに居た。それを生かして、比較的自由にトラックを組んでいたように思える。
そこへ、本作からヒップホップに自ら近付いた。
ただヒップホップと言っても、MCやトラックメーカーの観点ではなく、ターンテーブリストの視点でトラックを構築していると気付いた時点で、筆者のにやにやが止まらない。
本作を聴いて、筆者の脳内にはサンプラーのキーパッドを叩いている彼が浮かんでいない。それはもう、2ターンテーブル&DJミキサーだ。
まるで皿をこすっているかのような、つんのめる装飾音のぶち込み方からしてそう。装飾音を左右にパンした際、まるでミキサーの横フェーダーを振って出したような両耳の感触からしてそう。ビートや上モノと装飾音のグルーヴィーな絡みからしてそう。

装飾音の可能性を示唆した「Beat Bracelet」。効果向上を図った「Device People」。ヒップホップという様式を用いて具体化した本作――
これは焦点を絞った末ではなく、なるべくしてなった正当進化だと思う。

でもこの『RIOW ARAIの組んだトラックをDJ RIOW ARAIが回した』ようなメソッドは以前からちょぼちょぼ出しているのよね。本作のように完全に開花していないだけで。

M-01 Intro
M-02 Break Infection
M-03 Rough City
M-04 Forward Direct
M-05 Election
M-06 Magnet
M-07 Ground Heat
M-08 Glare Glance
M-09 Funky Jockey
M-10 Overtime


2011年11月16日水曜日

SEEFEEL 「Succour」


マーク・クリフォード率いる四人組、1995年発表の二枚目。

音世界を一言で表すと〝陰鬱〟なのだろうか。
けど重くはない。重くては浮かべない。アンビエント的な背景トラックと、サラ・ピーコックの断片的でエコーがかった声が浮揚感を演出している。
まるで打ち込みのようなジャスティン・フレッチャーのドラムと、曲のど真ん中で現れたり消えたりするダレン・シーモアのベースをボトムに敷き、あちこちで装飾音を囁かせる。
物凄く聴き手を不安にさせる音だ。
のっけのM-01からイントロでもなくノンビート、という時点で本作の妖しさ極まれり。

もはや〝冥界音楽〟と称してはばからない世界。
漆黒ではなく、モノトーン。M-08のような四つ打ち曲でも荒涼とした渇きを覚える。
アルバムを聴き進めていくと、何だか幽体離脱でもしているような気にさせる。
物凄く聴き手を選ぶ音だ。
ただ、聴き手を(カッコだけでも)冥界へ導きたいから出しているようなメッセージ性は皆無で、全ての音色を〝トリートメント〟するクリフォードの望んだ音像がコレなだけ。好みさえ合えば音楽自体にそれほどアクはない。

「世界あっての音」ではなく、「音あっての世界」なのが〝ポストロックの元祖〟と謳われたバンドたる所以だろう。

もちろん終いのM-10もノンビートだ。徹底している。
主張はないが、主義はある。上辺で着飾らず、内面で戦えるよう常に己を磨いている。とてもストイックで気骨のある音だと思うのだが、イチゲンさんには『人間味を感じない音』とか評されるんだろうな。

M-01 Meol
M-02 Extract
M-03 When Face Was Face
M-04 Fracture
M-05 Gatha
M-06 Ruby-Ha
M-07 Rupt
M-08 Vex
M-09 Cut
M-10 Utreat


2011年11月14日月曜日

JEGA 「Variance」


ジェーガー!
ということで、ロゴもまんまなSkam生まれPlanet Mu育ち、ディラン・ネイザンによる2009年発表の三枚目は、なんと九年ぶりの復活作。すったもんだがあったんデス。
ジャケはネイザン自身の手によるもので、Vol.1のM-04にもある『The Girl Who Fell To Earth』なるタイトルが付けられている。厨二素敵デスネ。

自業自得なのか災難なのかは分からないが、彼は2003年に発表する予定だった3rdアルバムのマテリアルをネットに流出させてしまっている。
その〝すったもんだ〟の鬱憤晴らしで二枚組の大容量になったのかといえば、然に非ず。
本作収録曲は流出した音源に相当手を加えて送り出している。
『The Girl Who Fell To Earth』は#1と#2があり、それぞれ陽/陰になっている。
Vol.1、Vol.2共に、ランタイムが四十分未満(=合わせてもCD一枚で収まる容量)。
以上により、プランが先延ばしになっただけで二枚組は予定事項だったと思われる。

さて本作。せっかくの二枚組を利用して、Light SideのVol.1と、Dark SideのVol.2の二極分裂を音で語っている。
Vol.1はハッピーなアッパートラックかと思えばゆったりとした曲調のメロディアスなトラック群。Vol.2は陰鬱な暗黒無調音楽ではなく刻みが忙しない、金属質バキバキなトラック群。枠組みは客観的に聴いても非常に分かりやすく出来ている。
相違する二つの方向性がきっちり差別化を図って打ち出され、なおかつ違和感を抱かせずに聴き通せる音が創れる才に、まずは拍手。

ただし……ねえ。Vol.1ではさもルーク・ヴァイバートやらBOARDS OF CANADAやらを思わせる音色を、胸張って使っているし。Vol.2ではスクプやらAUTECHREやらを感じさせるテクスチャのトラックも散見される。(ああ、マイクってのも居たねえ……)
Skam→Planet Muと来て、なあああんで俺はWarpにフックアップされないんだあああ!! こんなに頑張ってるのにいいいい!!
――と、こんな風にネイザンの心の叫びが聞こえたような気がするなら、頭を左右に揺すってそんな邪念を振り払っていただきたい。
そうでもないトラックだってあるのだから――ただ『コレはアイツの×××!』とはっきり特定して指差せないだけで。

つまりJEGA、未だ己の音を確立していないのだ。

もうすぐデビュー十五周年を迎えるアーティストに何て言い草だ! と怒られても、そうとしか言いようのないアルバムを切っているのだからねえ。
ならテメー、さっきからJEGAさんディスりっぱなしじゃねえか。そォゆうコト書かねえんじゃねえのかよ、このブログは! と凄まれても困る。
似てる似てないなんて一時的なモノなのに。それを短所として論うつもりなどないのは、過去ログを読めば一貫しているはずなのに。
様々な影響を未だ咀嚼し切れていないからそこかしこに表れるだけで、本格化すればそこら辺もきちんと消化したJEGAの音が提供されるはずだ。過去の賢人もそうやってオリジナリティを獲得してきたのだし。

となると(何もせずにいた訳でもなかったとはいえ)この九年間のブランクは痛い。一人ユニットなのだから、がんがん音源を発表して、己の音を聴き手に刷り込むべきだったのに。
もしかして両極端の音を二枚分提示したってコトは、今後の方向性に迷いが出てるのかなあ。どっちも演って良いのに。
そんなとっ散らかった何でもあり精神が、ニカアーティスト最大の長所なのに。

Vol.1
M-01 SoulFlute
M-02 Antiphon
M-03 Moment
M-04 The Girl Who Fell To Earth
M-05 Sakura
M-06 Eva
M-07 Dreams
M-08 Aqueminae
M-09 Zenith
Vol.2
M-01 Tensor
M-02 Shibuya
M-03 Chromadynamic
M-04 Cascade Decoherence
M-05 Aerodynamic
M-06 Latinhypercube
M-07 Kyoto
M-08 Hydrodynamic
M-09 Reprise


2011年11月8日火曜日

KIRIHITO 「Suicidal Noise Cafe」


それぞれ、あちこちで課外活動も盛んな竹久圏(G、Key)と早川俊介(Ds)のヘンテコデュオ、2000年発表の三枚目。
そろそろ結成二十周年にもなろうベテランだ。

ジャケをご覧の通り、早川は高足設置のドラムセットを立って叩き、竹久はギターを弾きながらキーボードを踏み鳴らし、音を踏み均していく。
曲毎に貫き通すぺなぺなした奇妙なギターフレーズと、やたら裏を取りたがる上に前のめりな独特のタイム感で刻まれるビートと、爬虫類的声質の歌をほぼ並列に配した最小編成らしい音世界だ。各音色のジョイントに当たる低音パートをわざと配置しないことで、それぞれの音色を剥離させ、際立たせている。
歌詞はあるが、特に内容は感じ取れない。英詞なのも、声という音が乗せやすいだけだろうし、巧く乗れば日本語でも構わないと思っているはず。M-05が中国語と英語のちゃんぽんなのも歌詞の内容同様、大した意味などないはず。
時折噛ませてくるサンプリングのソースがへんちくりんなのも、変な音楽にしたいというあざとさからではなく、ごくごく感覚的なモノだろう。

つまり、感性に基づく音至上主義。
あれ? コレって今で言う“ポストロック”的な考えでしょう? しかも音像から察するに、そこから枝分かれした“マスロック”のような?

と、そんなジャンル分け云々など、聴き手側が分かりやすく解釈出来るよう便宜上付けたラベル。創り手の方はまるで気にしていない。
それよりも、今から十年以上も前にこの音を、何の迷いもなく演っている時点で『時代が彼らに追い付いた』?
いやいや、創り手の方が世間を気にしてどうするのさ。製品じゃあるまいし。
何が言いたいのさ?

短くも密度の濃いポピュラー音楽史上でたまーに出る、オーパーツのような作品に触れて『すげー! 今でも全然色褪せてねー!』と後出しじゃんけんのような追体験をする楽しみ方だってあるのさ。
それが本作のように音的に気持ち良くて、しかも混沌の坩堝に落とされて頭ぐらぐら出来るとあっては、お得感が二乗三乗されたようなモンじゃない?

M-01 Strawberry Massage (Instrumental)
M-02 Up Up!
M-03 Suicidal Noise Cafe′
M-04 Surf
M-05 Cut -我想修口下前面、前齋後面-
M-06 Fish & Tell
M-07 D.N.A+
M-08 Ohayo Death -Good By The Earth-

しかも2009年、リマスターを施し〝M-09 Made In Egypt〟を追加収録した再発盤が出たのさ。ファインドアウトレコーズってどこだよ! 広いネットの海からHPをFind Out出来ねーよ!
ちなみに原盤は(とうとう実の兄貴がCMに出るようになった)DMBQの増子真二が主宰した、ミュージックマイン傘下のNanophonica。


2011年11月6日日曜日

BOLA 「Kroungrine」


UKエレクトロニカシーンに君臨すれど統治せず。自由気ままなダレル・フィットン師匠の四枚目。2007年作品。

いつも通り、抜群のメロディセンスを盾にゆったりとしたビートを敷き、暗めの音像と緻密な装飾音で優しく聴き手を包み込むメソッドを堅持。
伝統を今に伝える、安心のBOLA印、老舗の味――
かと思いきや、本作ではようやく師匠、ちょっと動いた。

以前との差異が分かりやすい部分として、例えばM-02(やや奥まっているが、M-05などもそうかも)。前のめりのブレイクビーツに、アタックの強いスネアの音色の選択は今まで見なかった手法だ。中間部でアンビエント風味のキーボードとの噛み合わせは静と動を端的に表していると言える。
またM-04など、小気味の良いトラックに嘘臭いチャイニーズスキャット(!?)を絡ませるという摩訶不思議な創り。この曲は本作中で白眉の出来。
なお、一作目以来久々にアルバムの掉尾を飾る(「Shapes」は編集盤デスヨ)、10分越えの長尺トラックにもその微細な変化が。
今までは主音色を大事に大事に接ぎ、気が付いてみればCDが終わっていた。
だが本作は、継ぎ目を大事に大事に整え、気が付いてみれば主音が挿げ替わっていた。それどころか曲中で幾度か構成を変える、非常に凝った創りなのだ。

だけど大抵、それらに気付かぬままアルバムはしっとりと幕を閉じる。
本当にさり気ない。まるで遊び疲れていつの間にか寝てしまった子供にそっと毛布を掛けてやるお父さんのような創り手だ、フィットン師匠は。

多少マイナーチェンジを施したが、作品を聴けば分かる通り、まるで違和感ない。
彼は常に自分のトラックを客観的に捉え、バランスを崩すことなく無難に着地させることをよしとする人なので、安心して聴き手はそのたおやかな音世界に浸れる。
この安定感こそが師匠最大の武器なのだ――卓越したメロディ使い以上に。

M-01 Zoft Broiled Ed
M-02 Noop
M-03 Waknuts
M-04 Halyloola
M-05 Urenforpuren
M-06 Phulcra
M-07 Rainslaight
M-08 Diamortem


2011年11月4日金曜日

AUTECHRE 「Confield」


この際だから、AUTECHRE史上最凶にして最高のアルバム、と言い切ってしまおうか! 2001年発表の六枚目。

何が最凶なのかと言えば、その強烈な怨憎――いや、音像。
まともに拍を刻まないキック。たまに真面目に打ってるなと感心していたら、やがてリズムキープをサボり始める。いや、別にモタっている訳ではないのだが、いつの間にかずるりと崩す。油断も隙もない。
で、背景音に注目して聴けば……夜、独りでトイレに行けなくなる。霊界より、錆びてぼろぼろになった鐸を鳴らしながらこちらに近付いて来る得体の知れない何かの気配を感じる――そんな〝幽〟鬱とした音色使いに背筋が凍る。
M-06のビートの音色が血を啜っているように聴こえた貴方はアウト。
メロディアスな音色を使っている冒頭のM-01、M-02に騙されてはいけない。曲を追うごとにトラックに費やす音が、ひとォつ……ふたァつ……と減っていく。
やがて、トラックの主を担う不確定なキックと、接触不良を起こしているようなスネアと、寒々しい背景トラックだけが残される。
それもやがて――

このアルバムの真ん中辺の曲、主音なくね!? と気付いた貴方はアウト。

さて、何が最高なのかと言えば、主音すら設定せずにトラックを、引いてはアルバムを成立させているその恐るべき構成力にある。
それは、絶妙のアクセントになるキックの乱れであり、冥界からの呼び声を思わせる(本来の役割では)背景音色の旨味である。
普段流されがちなそれらが、きちっと耳を惹く音色として存在出来る訳は……もはや言うまでもなかろう。そもそも必要最低限の音数しか鳴らしていないのに、妥協の産物をぽーんと転がして放置プレイにする余裕などないはずだ。
また、ちゃんと主音を想定して組んでいるトラックもある。それがまた、ガラス細工のように繊細で儚いメロディを有しており、そこら辺はBOLA師匠の薫陶の賜物だな、と。

シンプルなようで、一音一音に恐ろしいほど手間を掛けており、表面は己の姿が映るほど滑らかに磨かれている。
これを「人間味を感じない」と断ずる方は、機械のない原始生活に還った方が良い。
あと日本のみのボートラであるM-10がクラブ仕様のアッパートラックでかっけー! としか言わない方。M-01からM-09までの、神経質なまでに刻まれた音のアーティファクトあっての、相反した輝きだと気付いて欲しい。

でも本作を聴く人全員がかっけー! と震える世界は怖い。おしっこもれちゃう。

M-01 VI Scose Poise
M-02 Cfem
M-03 Pen Expers
M-04 Sim Gishel
M-05 Parheric Triangle
M-06 Bine
M-07 Eidetic Casein
M-08 Uviol
M-09 Lentic Catachresis
M-10 Mcr Quarter (Bonus Track For Japan)


2011年11月2日水曜日

BIBIO 「Ambivalence Avenue」


英国人、ステファン・ウィルキンソンによる、Warp Records移籍初のアルバム。2009年作品で、通算は四枚目にあたる。

宣材としてL.L.BeanAdult SwinToyotaなどが彼の音を使い、フライフィッシングに用いる毛針の種類を名に冠した通りのサウンド。
色を付けるとすればセピア色の音像に、山にも閑静な住宅街にも似合うアウトドア志向の生音系エレクトロニカ――とまで書けばもう、音が思い浮かびそうな。

とは言え、彼の影響土壌の一つであるBOARDS OF CANADAの弟の方、マーカス・イオンより紹介を受けたMush Records所属の頃から随分と様変わりした印象。
テレコで録ったような、もこもこした音像が幾分かはっきり、くっきりした。
電子音の含有率が増え、しかも効果的に扱えるようになった。
ボトムにブレイクビーツを敷くことで、音にダイナミズムが生まれた。
もちろんあのもこもこした音が、BIBIOならではの郷愁を誘う古臭さを強烈に演出していた点は否めない。ビートなんか要らない、あのサイケフォークみたいな音世界が良かったんだ! という意見もあるだろう。
フィールドレコーディングをサンプリングソースとして使っている点は以前と変わらないが、その素材の選び方がBOC風になったんじゃないか、とか。電子音の使い方に、仲の良いCLARKからの影響が見て取れる、とか。まだまだ難癖つぷつぷ。

でもあのまま同じ音を周りが強いていたら、あまりの窮屈さに音を上げていたのでは?
現に二枚目「Hand Cranked」(2006年作)と三枚目「Vignetting The Compost」(2009年作)にはそれほど差異はなかった。
三枚目と本作である四枚目との間隔がわずか四ヵ月半。(憶測だが、三枚目は身辺整理盤なんじゃなかろうか。内容は良かったので、あまり響きの悪い言葉を使いたくないのだが)
人脈が一所に収まりたがらないニカ人種ばかり。
しかも出来栄えは、新章突入を高らかに告げる充実の内容。
もう好きに演らせてあげようよー。

と、改変部分が非常に目立つので大改革したと思われがちだが、M-03、M-07、M-08、M-10には以前の感覚が色濃く残っている。
これらをあの〝まるでテレコ録音〟で再生すれば、とたんに元通り! 逆にシーンを代表する大手インディーズの力をひしひしと感じるはず。
その管理体制が嫌だって? 元々が「A.I.」以後のWarp勢に憧れて音楽を始めた人。コレは必然なのだよ。

(2011/5/20執筆文を大幅改筆)

M-01 Ambivalence Avenue
M-02 Jealous Of Roses
M-03 All The Flowers
M-04 Fire Ant
M-05 Haikuesque (When She Laughs)
M-06 Sugarette
M-07 Lovers' Carvings
M-08 Abrasion
M-09 S'Vive
M-10 The Palm Of Your Wave
M-11 Cry! Baby!
M-12 Dwrcan


2011年10月30日日曜日

AMON TOBIN 「Isam」


我が道を行くニンジャの番長、六作目。2011年作品。
本作はジャケットのような、昆虫・動物の死骸や植物を用いて創る新進気鋭のコラージュアーティスト、テッサ・ファーマーとのコラボレーション作品である。
輸入盤はファーマーの作品をフィーチャーした、四十ページのブックレット付き豪華仕様が同時発売されている。
CDが売れなくなった今、複合アートとして付加価値を与えるのは良い傾向だと思う。

前作「Foley Room」の軸である(付属のDVDにその録音模様を収録までした)フィールドレコーディングの音色をサンプリングソースとして噛ませるムジーク・コンクレートの手法は既に、前々作でも行われていたらしい。(間抜けな筆者は気付かなかったが)
まずは一枚、触りだけ試してから次、大々的に演る。こうして同じ主題のアルバムを連続して創らず、軸を挿げ替え挿げ替え新風を吹き込んでいくのがトビン流。
となるとムジーク・コンクレートの章は前作で一段落ついたコトになる。

さて、本作は……ダブステップときた!

確かに切り張り音楽であるムジーク・コンクレートと、がったがたでぶつ切りの音像が魅力のダブステップの邂逅は理に適っている。
でもコレ、前作までずーーっとボトムに敷いていたブレイクビーツをすっぱり捨て去ってまでNinja Tuneで演るほどの音なの?
いえいえ何を隠そう、彼はドラムンベースが流行りだした頃、真っ先に飛びついた類のミーハーな世相に敏感なアーティストでもある。
ただ彼は稀代の音キチ様。まんま二番煎じのへちょい音を創る訳がない。

相変わらず音色の数が半端ではない。
“ダブ”ステップと呼ぶからには、音色の出し入れから起こる幽玄で抜けの良い音像になるのだが、そんなコトなどトビンの知ったこっちゃない。
フィールドレコーディングで得た音色(M-04で凄く分かりやすく使われている)や、女性シンガーのや、シンセと卓で加工した音色をがんがん注ぎ込みまくる。
聴き手の脳みそを圧縮せんばかりの音圧を誇るM-03のようなトラックがある一方、ひっそりと波形を感覚で落としていくようなM-11もあったりと、音の振り幅は過去最凶。

既存のジャンルを踏襲しているようで、結局はオレ流を貫いているところが彼らしい。
その潔さに男惚れするも良し。秘めたる部分を濡らすも良し。
ただし、近作だからとこの作品からAMONヴァージンを切るのは止めた方が良い。
やはり彼はNinja Tuneの重鎮。ブレイクビーツを主とした粒揃いの過去作品に触れてからの方が、本作をしっくりと聴けると思う。

そのくらい異色作であり、なにげに問題作でもある。

M-01 Journeyman
M-02 Piece Of Paper
M-03 Goto 10
M-04 Surge
M-05 Lost & Found
M-06 Wooden Toy
M-07 Mass & Spring
M-08 Calculate
M-09 Kitty Cat
M-10 Bedtime Stories
M-11 Night Swim
M-12 Dropped From The Sky
M-13 Morning Ms Candis (Bonus Track)


2011年10月28日金曜日

TEAM DOYOBI 「Push Chairs For Grown Ups」


クリス・グラッドウィンとアレックス・ピヴレットからなるデュオの、初音源となるミニアルバム。2000年、英国・マンチェスターの謎ニカレーベルSkamより。

ふざけた、とぼけた名前。その看板に偽りなく、チップチューンばりのしょぼい音色で繰り広げる安っぽいエレクトロニカ。
ほんっとSkam。頭のてっぺんから爪先までSkam。
筆者はこういう音を聴くと、外で子猫を見掛けた時のようなちょっとした癒しを感じる。
何と言うかそのう……か弱き音色がちんと座り、くりくりっとしたテクスチャーで筆者を見上げて「ナーオ♪」と鳴くような、ね。
かわええのう、かわええのう。
その割にはM-01のような、ひっそりと愛らしく鳴る上モノをレイプせん勢いで突き上げるキックが軸のトラックもあったり。暴力から静謐まで、ビートの音色見本市のようなM-06もそうだろうか。意外と振れ幅が大きい。

その統制を執っているのが、グラッドウィンとピヴレットの二人――よりも、低スペックで制約のある機材(と、安いニカを発掘させたら天下一品のSkam Records?)だろう。

低機能の機材は足枷と思っていないだろうか?
確かに表現の幅は狭いが、その狭い幅を駆使して創られた良質の音楽には「こんな安い機材で~」の枕詞が付いて激賞を受けやすいメリットがある。
しかもその狭さとやらは機材面だけで、テクノから(ドラクエのように)現代クラシック風楽曲まで創れる可能性まで秘めているのだ。
無論、使いこなせなければ駄機に堕し、センスがなければダサカッコ悪い音楽扱いを受けるのは言うまでもない。

しょぼ機材、しょぼ音楽は厳しくもあり、優しくもあり。
願わくば筆者は彼らに、このスペックで精一杯続けて欲しい。この安っぽさでこの音の質(“音質”ではない)を出せる連中が、筆者の低感度アンテナでは今のところ彼らしか見つかっていないから。
もちろん、音楽は自由である。しょぼい機材で頑張って創った初期音源が売れたので、調子に乗ってそれを全部友人に融通し、新たに機材を買い直したは良いが、どうしても初期の頃のような感じが出せずに迷走し続けている誰かさんのようになっても自己責任、っと。

M-01 Push Chairs For Grown Ups
M-02 Kitten Development
M-03 Stickleback
M-04 Airels Adventure In Easter Island
M-05 Two Of Everything
M-06 Birdstrike
M-07 A Song For ______________
M-08 Spider Monkey


2011年10月26日水曜日

THE CINEMATIC ORCHESTRA 「Man With A Movie Camera」


J・スウィンスコーが統括するクラブ系ジャズ楽団の、二枚目三枚目の間にリリースした、ライヴ盤のようなサントラのような作品。2003年発表。
いきなり曖昧な説明で申し訳ないが、もう少し字数を割いて書くとこんな作品。

題して『ロシアのサイレント映画を元に生演奏してもらい、それをそっくり録音して音源化しちゃおう』企画!

ライヴ盤のようで歓声はないし、ブックレットには『ロンドンのスタジオで二日間掛けて録られた』と記載されている。要はスタジオライヴ盤、という訳。
スタジオとは言えライヴ盤。生演奏のダイナミズムはスピーカーからびんびんに伝わって来る。M-08の、中間部でドラムのルーク・フランシスと、DJ FOODの名でお馴染みのパトリック・カーペンターがせめぎ合うところなど最たる部分。
正直、3rdアルバムと名乗らせちゃえよ! と思ったくらい。

ただ、本作のように明確なコンセプトを元にアルバムを編むのではなく、一曲一曲にバンドのコンセプトを籠めてアルバムを編むのが、彼ら――いや、スウィンスコーにとってのオリジナルアルバムのあり方なのかなあ、と考えてみたり。
オリジナルならきちんと卓で創り込むだろうし。
あえてどの曲かは書かないが、生演奏ならではの(ほんの些細な)ミスも修正されずに残してあるのだから、そこら辺の生々しさを楽しむ聴き方も出来るし。
逆に、音質も(上記のようなコトを書きつつ)演奏も安定しているので、スタジオアルバムとして聴くことも出来るし。

〝企画モノ〟扱いが残念なくらいムードのある逸品。
やっぱり軸になるコンセプトがきちっと絞られた作品は強いね。

M-01 The Projectionist
M-02 Melody
M-03 Dawn
M-04 The Awakening of A Woman (Burnout)
M-05 Reel Life (Evolution II)
M-06 Postlude
M-07 Evolution (Versao Portuense)
M-08 Man With The Movie Camera
M-09 Voyage
M-10 Odessa
M-11 Theme De Yoyo
M-12 The Magician
M-13 Theme Reprise
M-14 Yoyo Waltz
M-15 Drunken Tune
M-16 The Animated Tripod
M-17 All Things

M-11(M-12、M-13)はART ENSEMBLE OF CHICAGOのカヴァー。原曲よりも都会的なアレンジが楽しめる。
それよりも、この原曲を収録したアルバム自体がフランス映画の劇伴音楽だったり、原曲のシンガー(当カヴァーはインスト)が若き頃のフォンテラ・バス婆様(声、若っけえ!)だったりと、いろいろにやにやさせてくれる仕掛けが施してある点に注目。